意識低い系、日本代表宣言!!

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北海道周遊・豪華列車のツアー内容をプレゼン!・・・と思ったら違うほうへ。

*今回の内容は、JR北海道にビジネスをプレゼンしようとしたら、気持ち悪い一人語りになってしまった。しかし、そのまま掲載します。心してお読みください。 先日、JR北海道が、豪華観光列車を投入する計画を発表した。 JR北海道、豪華列車運行へ 26年4…

すんげーパウダースノー!

昨夜から札幌は猛吹雪となっております。 週の前半まで、異常な暖かさのために雪が解け、湿度も上がっていたせいか、冷たい風がやってきたら一気に冷やされて大雪になっています。 で、ですね、寒すぎるため、積もった雪がサラサラになっています! どのくら…

自然のピタゴラスイッチ・流氷 その4

さて、南下してきてオホーツク地方沿岸に接岸していた流氷ですが、ここで西からやってきた宗谷海流によって、動きます。 もう10年近く前になるのだけど、NHKで「流氷大回転」という番組がやっていましてね。 名前の如く、流氷が回転する現象です。 北西か…

自然のピタゴラスイッチ・流氷 その3

さて、前回までに海が凍ることがわかりました。 じゃあ、凍った氷はどうやって運ばれるか?というと、まずは「風」ですね。 前回までにオホーツク海には常に北からやってくる風と北西からやってくる風がある、と書きました。 この風によって、氷の塊、流氷が…

自然のピタゴラスイッチ・流氷 その2

さて、オホーツク海に流れ込んだアムール川の川水ですが、川の水だけに淡水です。 で、オホーツク海に流れると真水は凍ります! なんぜ凍るとか?というと、オホーツク海は他の海と異なるためです。 まず、オホーツク海は北方にあり、世界で最も寒い地域とさ…

自然のピタゴラスイッチ・流氷 その1

先日、ついに流氷が接岸した、とのニュースが! ・・・・・・正直言いますと、オホーツク地方で幼少期を過ごした身で言いますと、観光業の人はともかく、昔は地元では流氷にそんなに関心がありませんでした。 昔は流氷の時期となると、オホーツク地方のドラ…

開拓の先にある風景 その2

ご覧のように、どこまでも碁盤の目が続く札幌。 札幌は、最初から計画されて作られた都市。 札幌を作った島義勇は、まだ何もなかった一面の原野を見て、「世界一の都市を作る」と決意したそうです。 1869年の建設開始以来、札幌は成長を続け、今では20…

開拓の先にある風景 その1

昨年の12月中旬から始めた幕末~開拓の北海道のお話。 長くなってしまった。まだまだ語り足りないことがあります。 また、記事を書くために調べていくうちに、もっと多くの知識を得ることもできました。今回の記事内容は、ほんの一部に過ぎません。 大河ド…

札幌農学校と台湾 その2

札幌農学校と言えばクラーク博士が思い浮かびますね。 クラーク博士ですが、「博士」なんて肩書がつくから「研究者」のイメージがありますが、実は元軍人。 しかも南北戦争で北軍に属し、最激戦地区で指揮を執っていた、バリバリ叩き上げの司令官! 少佐まで…

札幌農学校と台湾 その1

続いてのお話の舞台はこちら。 そう、札幌時計台です。札幌だけにとどまらず、北海道全体のイメージともなっています。 全国的に有名な画像。見覚えあるでしょ?フライドチキンのお店じゃないよ。 この札幌時計台ですが、「日本3大がっかり」として不動の地…

網走監獄と開拓

皆さん、「網走」と聞くと、何を思い浮かべますか? 管理人から上の世代であれば、「高倉健」が連想されると思います。 そして何より、「刑務所」! 管理人世代以上では、網走刑務所と高倉健の任侠映画こそ、網走のイメージになっているのではないでしょうか…

「北京」建設計画

日本の首都は東京。 東の「京」と書きますね。 名前の由来は、江戸時代まで天皇の居所があった京の都から東に位置しているから。 明治新政府は、東京を「東の京」としたうえで、従前の京の都を「西の京」、平城京があった日本古来の都である奈良を「南の京」…

赤レンガ道庁 その4

続いての肖像画はこちら。 初代開拓使長官、鍋島直正です。 鍋島直正は17才にして、肥前佐賀藩の藩主に就任します。 しかし、直正の就任時に、肥前佐賀藩はすでに財政破綻しており、直正の居所にまで商人などの借金取りが押し寄せる始末でした。 若い直正…

赤レンガ道庁 その3

赤レンガ道庁には、絵画も展示されていました。 光が反射して申し訳ありませんが、兵隊さんが畑仕事をしていますね。 その後ろには、何やら騎馬の列が見受けられます。 なんと、北海道を視察されている明治天皇が描かれていました。 明治5年(1872年)…

赤レンガ道庁 その2

赤レンガ道庁館内の探索は続きます。 これはかつて択捉島に建てられていた標柱らしい。 21世紀の今でこそ、世界のあらゆる場所は「国境」で境され、国境の中ではそれぞれの国が独立を保障されていますが(そう願う)、開国直後の18世紀は異なりました。 …

赤レンガ道庁 その1

今回のお話の舞台は札幌。 それも赤レンガ道庁です。 北海道を象徴する建物で、北海道のイメージと言えば、時計台かクラーク博士像か、この赤レンガ道庁が思い浮かぶはず。ススキノはダメよ。 なんだかんだ言って、北海道の歴史には赤レンガ道庁を欠かすこと…

ある星条旗を巡る冒険 その2

真珠湾内に浮かぶフォード島ですが、一般人が入島するには橋で渡るしかありません(だと思う)。 管理人はツアーバスに乗って橋を渡ったのですが、渡る前にガイドさんから「橋の途中で窓から撮影をしてはいけない」「カメラを向けるだけもいけない」「携帯で…

ある星条旗をめぐる冒険 その1

ここまで、幕末から開国直後の函館のお話をしてまいりました。 箱館に関する記事は、以前に違うブログで掲載していたものです。 いずれもっと詳細を調べて、内容を煮詰めよう、と温存してきたのですが、時間ばかりが経ってしまいまして。いまだに調べなおし…

前時代と新時代の結紮点 その2

時は幕末。 徳川家康による創業以来260年間、権力を維持し続けてきた徳川幕府ですが、1868年5月3日、江戸城の開城を迎えることになります。 この江戸城の降伏を前に、海軍副総裁であった榎本武明は、幕府艦隊を率いて江戸を脱出。東北で旧幕府軍の…

前時代と新時代の結紮点 その1 

管理人は、短期間だけど函館に住んでいたことがありましてね。 その時に函館山にも何度も上りました。 当時は夜間は解放されていたので、車でも行きましたし、ロープウェーでも上りました。 ある時、思いついたのが「歩いて展望台まで行こう」と。登山ですね…

2024年も更新していきます。

新年早々、大きな災害があり、年明け定番のフレーズを使うのは自粛します。 数年前の胆振東部地震の際に、札幌でも数日間の停電が発生しました。 その時、「真冬に起こらなくてよかった」とつくづく思ったものです。 その恐れていた自体が起き、しかも大津波…

ペルリ提督、函館に上陸す!その14(終)

箱館を後にしたペリー艦隊は、下田に到着。 下田にて、日米和親条約の細部を詰める協議が始まりました。 この下田での交渉で、箱館については2点が決まりました。 一つは、箱館では石炭の補給をしなくてよくなったこと。 二つ目は、遊歩区域の広さについて…

ペルリ提督、函館に上陸す!その13

1864年6月1日、松前藩とアメリカとの通算4回目の交渉が、アメリカ側の「ホームグランド」である旗艦・ポーハタン号で行われることになりました。 松前藩側の使節は、幕臣である安間純之進、平山謙二郎、名村五八郎、武田斐三郎ら4名と、松前藩の藩士…

ペルリ提督、函館に上陸す!その12

お話を松前藩とペリー提督との交渉に戻しましょう。 1854年5月22日に「第二ラウンド」が開かれて以来、松前藩とペリー艦隊との交渉は、一時、中断しています。 その間、ペリー艦隊は5月24日にサウザンプトン号を室蘭に派遣します。 サウサンプトン…

ペルリ提督、函館に上陸す!その11

アメリカと松前藩の緊迫した交渉が続いていますが、ここで閑話休題して、ペリー艦隊が来航以来の箱館の様子について、お話しします。 ペリー艦隊は、停泊中、松前藩から食料や薪水などの補給を受けていたが、その際にアメリカ側からも箱館の人に贈り物などが…

ペルリ提督 箱館に上陸す!その10

松前藩に対し、もはや幕府に対したのと同じ脅迫姿勢を隠さなくなったマシュー・ペリー提督。 松前藩の全権・松前勘解由に対し、箱館での遊歩地区についての即時認めることと、認めないならば賠償せよ、と迫ります。 地方の小藩でしかない松前藩に、国家間の…

ペルリ提督、函館に上陸す!その9

1854年5月21日、箱館では、松前藩とアメリカとの「開国交渉」の真っ最中。 ペリーからの強引な要求を受け、松前勘解由は、努めて冷静に返します。 「箱館の遊歩区域について、同地を視察した上で決めると林大学頭と合意しているというのであれば、江…

ペルリ提督、函館に上陸す!その8

アメリカ艦船での「第一ラウンド」から2日後の1854年5月21日、アメリカ側から伝達使が来て、「明日の午前11時ころにペリー提督が上陸し、一同と会見したい」との申し出を受けます。 ここから松前側はてんやわんやの大騒ぎになります。 応接の場所…

ペルリ提督、函館に上陸す!の「その4」について、追記があります。

お知らせですが、2023年12月23日に掲載した「ペルリ提督、函館に上陸す!その4」の記事において、追記があります。 アメリカ側が、アメリカ人との売買の自由を認めろ!と要求した部分です。 この部分が欠落すると、この先のお話が進まない、と判断…

ペルリ提督、函館に上陸す!その7

1854年5月19日の午前の会談後、アメリカ使節は艦隊に戻ります。 そして同日の正午頃、松前藩の全権である松前勘解由が、ペリーを表敬訪問するために、数名の家臣と共に船でアメリカ艦船へ向かいました。 徐々に近づくアメリカ艦隊は、巨大でした。 そ…