真珠湾内に浮かぶフォード島ですが、一般人が入島するには橋で渡るしかありません(だと思う)。
管理人はツアーバスに乗って橋を渡ったのですが、渡る前にガイドさんから「橋の途中で窓から撮影をしてはいけない」「カメラを向けるだけもいけない」「携帯で撮影する仕草をしてもいけない」等々の注意を受けました。
橋の上を通るバスは、どこかから必ず監視されているそうです。
ここが軍事施設であることが思い出されました。
フォード島には退役した戦艦ミズーリが浮かんでおり、見学できます。
ミズーリは第二次大戦中の1944年に就役した戦艦です。
「大艦巨砲主義」の時代のはずなのに、なんか現代的な装備がありますね。
ミズーリは1955年に一度、退役しました。
しかし30年後に1985年に、再度、就役を果たします。その際に現代的な装備に改造されたそうです。
1991年の湾岸戦争にも参加したそうです。
そして1992年に、二度目の退役を迎えます。
この時、二度と就役されることがなく、永遠に安らかにいてもらうように、真珠湾の湾口とは正反対の方向を向いて停泊されたそうです。(ガイドさんのお話し)
とにかく大きかった!
戦艦大和って、これ以上に大きかったんでしょ?
当時の日本の国力を相当割いたことが想像できる。
第二次大戦時の軍艦と言えば、上のような姿を思い浮かべますね。
巨大な砲台が象徴的。
現代では大砲の打ち合いではなく、ミサイルや航空力を駆使したものが主流になっているため、大砲は重要ではなくなった、とのこと。
世界の「大艦巨砲主義」の潮流を変えさせたのは、マレー沖海戦でした。
日本海軍が、当時のイギリスの最精鋭艦であったプリンス・オブ・ウェールズを戦闘機だけで撃沈させてしまった。
この時、日本ではすぐに報道され、歌まで作られました。
《軍歌》英国東洋艦隊潰滅(マレー海戦勝利の歌) (youtube.com)
この海戦はアメリカ、イギリスなどに衝撃を与え、大艦巨砲主義を捨て、マレー沖海戦で日本が行った航空戦力による戦闘を重視した路線へと変更する起点となりました。
艦内にはこういうミサイルも平気で置いてある。
ちなみに、かなり重いそうです。数人がかりでようやく持てるそうです。
艦内を歩いていると、ロープに囲まれた一画にたどり着きます。
ここは日本が降伏文書を調印した場所。
1945年9月2日、戦艦ミズーリは東京湾の海上に停泊していました。
連合国の出席者は、アメリカ代表チェスター・ミニッツ、イギリス代表ブルース・フレーザー、フランス代表フィリップ・ルクレール、ソ連代表クズマ・デレヴァーンコ、オーストラリア代表トーマス・ブレイミー、カナダ代表ムーア・コスグローブ、オランダ代表コンラート・ヘルフリッヒ、中華民国代表 徐永昌、ニュージーランド代表レナード・イシット。
日本側の出席者は、政府全権・外務大臣 重光葵、大本営全権参謀長 梅津美治朗、等々。
午前9時02分から、午前9時23分までの20分間、各国代表が降伏文書に署名していきました。
日本史においても、最重要な歴史の事象が、この場所で行われました。
この「調印地点」の周囲を見回してみると、ボロボロの旗が目に留まりました。
これです。やけに色あせた星条旗。
この星条旗こそ、1853年の黒船来航の際に、ペリー艦隊の旗艦に掲げられていた星条旗!
驚いてしまった!
ペリー艦隊が箱館来航時に掲げていた星条旗の話を書いたら、半年後に本物に出くわしてしまったのだから!!
これがその星条旗です。
ペリー艦隊の函館入港から続けてきたお話の、主人公の一人。
歴史を勉強しなおしてから、いろんな出会いや出来事に遭遇することが多くなりました。そして、こういう偶然も、珍しくなくなってきた。
この星条旗も、何も知らないで見ていたら、「ほー」としか思わなかったでしょう。
しかし、ペリー来航からの流れを追いかけてきてから、偶然、見上げると、感動してしまいました。
この星条旗は、幕末と開国時の日本と箱館の様子を覚えているのでしょうか?
北海道から遠く離れたハワイで、北海道の歴史を感じることができました。
以上が管理人が経験した、ある星条旗を巡る冒険のお話し。
北海道の黎明期を知る星条旗に出会うことができた。
穏やかなハワイの海で、静かに「余生」を過ごす戦艦ミズーリと同様、この星条旗もこの場所で、日本とアメリカの両国の平和な歴史を見守り続けてくれることを願います。
たまにこういうワクワクすることがあるから、歴史のお勉強は止められません。
長くなってしまった箱館編はここまで。北海道のお話はまだ続きます。