意識低い系、日本代表宣言!!

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2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧

ペルリ提督、函館に上陸す!その14(終)

箱館を後にしたペリー艦隊は、下田に到着。 下田にて、日米和親条約の細部を詰める協議が始まりました。 この下田での交渉で、箱館については2点が決まりました。 一つは、箱館では石炭の補給をしなくてよくなったこと。 二つ目は、遊歩区域の広さについて…

ペルリ提督、函館に上陸す!その13

1864年6月1日、松前藩とアメリカとの通算4回目の交渉が、アメリカ側の「ホームグランド」である旗艦・ポーハタン号で行われることになりました。 松前藩側の使節は、幕臣である安間純之進、平山謙二郎、名村五八郎、武田斐三郎ら4名と、松前藩の藩士…

ペルリ提督、函館に上陸す!その12

お話を松前藩とペリー提督との交渉に戻しましょう。 1854年5月22日に「第二ラウンド」が開かれて以来、松前藩とペリー艦隊との交渉は、一時、中断しています。 その間、ペリー艦隊は5月24日にサウザンプトン号を室蘭に派遣します。 サウサンプトン…

ペルリ提督、函館に上陸す!その11

アメリカと松前藩の緊迫した交渉が続いていますが、ここで閑話休題して、ペリー艦隊が来航以来の箱館の様子について、お話しします。 ペリー艦隊は、停泊中、松前藩から食料や薪水などの補給を受けていたが、その際にアメリカ側からも箱館の人に贈り物などが…

ペルリ提督 箱館に上陸す!その10

松前藩に対し、もはや幕府に対したのと同じ脅迫姿勢を隠さなくなったマシュー・ペリー提督。 松前藩の全権・松前勘解由に対し、箱館での遊歩地区についての即時認めることと、認めないならば賠償せよ、と迫ります。 地方の小藩でしかない松前藩に、国家間の…

ペルリ提督、函館に上陸す!その9

1854年5月21日、箱館では、松前藩とアメリカとの「開国交渉」の真っ最中。 ペリーからの強引な要求を受け、松前勘解由は、努めて冷静に返します。 「箱館の遊歩区域について、同地を視察した上で決めると林大学頭と合意しているというのであれば、江…

ペルリ提督、函館に上陸す!その8

アメリカ艦船での「第一ラウンド」から2日後の1854年5月21日、アメリカ側から伝達使が来て、「明日の午前11時ころにペリー提督が上陸し、一同と会見したい」との申し出を受けます。 ここから松前側はてんやわんやの大騒ぎになります。 応接の場所…

ペルリ提督、函館に上陸す!の「その4」について、追記があります。

お知らせですが、2023年12月23日に掲載した「ペルリ提督、函館に上陸す!その4」の記事において、追記があります。 アメリカ側が、アメリカ人との売買の自由を認めろ!と要求した部分です。 この部分が欠落すると、この先のお話が進まない、と判断…

ペルリ提督、函館に上陸す!その7

1854年5月19日の午前の会談後、アメリカ使節は艦隊に戻ります。 そして同日の正午頃、松前藩の全権である松前勘解由が、ペリーを表敬訪問するために、数名の家臣と共に船でアメリカ艦船へ向かいました。 徐々に近づくアメリカ艦隊は、巨大でした。 そ…

ペルリ提督、函館に上陸す!その6

1854年5月19日午前、アメリカ側は松前藩からの回答を受け取ったところまでお話が進みました。 この後、同日の午後に、松前側の全権・松前勘解由がペリーの乗船する旗艦ポーハタン号に乗船し、いよいよ直接会談が行われることになります。 その前に、…

ペルリ提督、函館に上陸す!その5

最初の「交渉」の翌日、1854年5月19日の午前九時ころ、約束の「回答」を受け取るため、前日の交渉の場にもいた副官ペンテ、通訳官ウィリアムズが再び箱館に上陸します。 松前藩側も同じく、前日の交渉の場にいた遠藤又座衛門と石塚官蔵が応接にあたり…

ペルリ提督、函館に上陸す!その4

1854年5月17日に箱館に入港を果たしたペリー提督。 松前藩は、旗艦のポーハタン号が入港したことを知ると、奉行を派遣してポーハタン号と接触しています。 ここで松前藩とアメリカ側の間で齟齬が生じます。 前回までにお話ししたように、松前藩は幕府…

ペルリ提督、函館に上陸す!その3

1854年3月31日に、日米和親条約が締結され、箱館が開港地となったことは、前回までにお話ししました。 突如、開港地に選ばれてしまった箱館ですが、当地を管理していた松前藩には、五月初旬頃の「ペリーが箱館に入港する15日前」までには、幕府からペ…

ペルリ提督、函館に上陸す!その2

*管理人より 今回の記事では、日時・日付が重要になりますが、参考にさせていただいた資料・サイトなどの日付が西暦なのか、旧暦なのか明確ではなく、記事作成の際に整合性を調べたうえで、全て西暦・現代の暦に合わせて書いたつもりです。 しかし、もしか…

ペルリ提督、函館に上陸す!その1

嘉永六年(1853年)6月3日、浦賀沖に4隻の蒸気船が現れます。 機械仕掛けの巨大な船の姿は、素朴な木製帆船を見慣れた住民を圧倒します。 この第一印象だけで、日本と外国との間には、途方もない差があることを、全ての日本人が思い知らされました。 …

北海道に残る明治政府の外交方針

この一年間、歴史に関する管理人の「私見」を述べてみました。 本当は、徳川家康の江戸開府、吉宗の改革、明治維新が成功できた理由、などを暦年順に お話ししようと思ったのだけど、それぞれ別のタイミングで話してしまいました。 歴史好きの勝手な戯言と斜…

幸村の復讐 その5

ここまで、徳川家康が徐々に権力を手中に収めていく過程をお話ししてまいりました。 朝廷による秩序に組み込まれてしまった家康が、どうすれば独立することができるのか? 前例と因襲、人的つながりに支配された朝廷からの脱却が、いかに面倒くさい、いや難…

幸村の復讐 その4

随分間が空いてしまいましたが、10月まで掲載していたお話の続き。 豊臣から徳川への権力の移行は、「朝廷」から「幕府」へ権力が移ることでもありました。 秀吉亡き後、豊臣は関白でこそありませんでしたが、朝廷や世間ではいまだ「摂関家」として認識され…

大谷、世界一へ!

凄いニュースでしたね! 大谷のドジャース移籍!!契約金が1000憶円を超えた、ということは、年棒以外のCM契約なども考えると、年間では200憶近い金額になるのでは? スポーツ史上最高額とのこと! やっぱりスポーツは夢があるね!! そしてドジャー…