意識低い系、日本代表宣言!!

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開拓の先にある風景 その2

 

 

 

ご覧のように、どこまでも碁盤の目が続く札幌。

 

札幌は、最初から計画されて作られた都市。

 

札幌を作った島義勇は、まだ何もなかった一面の原野を見て、「世界一の都市を作る」と決意したそうです。

 

1869年の建設開始以来、札幌は成長を続け、今では200万人都市となった。

バカでかいビルがあり、ドーム球場があり、新幹線も来る。

 

野球、サッカー、バスケそのほかのプロチームがあり、冬季競技の施設があり、冬季五輪、夏季五輪が開催され、サッカー・ラグビーのワールドカップも開催され、冬季競技の世界選手権も行われ、ラリーレースの世界戦も開催された。

 ダルビッシュも大谷もいたんだぞ!

 

 155年後、島の願った通りの押しも押されぬ国際都市になりました。

 

 

 

 

 

展望台は結構、広いんですよね。十分滞在できる。

 

 

 

 

 

 

お酒を飲めるところもある。

 

 

 

 

 

 

お酒を飲みながら眺める夜景は、なかなか素晴らしいですよ!

 

 

 

 随分とお話が長くなってしまいました。まだあるのだけど、次の機会にしておきます。

 

 シリーズの冒頭で「北海道には明治政府の外交方針が残っている!」と書きました。

 

 

 植民地主義の吹き荒れる国際情勢において、日本が独立を保つにはどうすべきか?

 

 

 「開国」という言葉は、明るく開かれたイメージがあり、それまでの鎖国を強いてきた江戸時代と対称的に思われてきました。

 

 しかし、開国で開かれた扉の先に広がっていたのは、「列強」が露骨に領土や権益を狙って侵攻を繰り返す、弱肉強食の狂乱の世界。

 そして、列強の一角が、日本に迫りつつあった。

 

 明治の日本人は、少ない体力を振り絞って、北海道の開拓に心血を注いだのでした。

 

 もし、ペリーとの交渉で、松前勘解由が黒船に屈していたら?

 

 もし、箱館政権が欧州諸国から「独立国」もしくは「交戦団体」と認められていたら?

 

 もし、強引にでも中央道路を完成させていなかったら?

 

 もし、明治政府が北海道を重要視せず、ロシアの侵攻を黙認していたら?

 

 

 北海道は列強の領土となり、現代の世界地図は大きく変わっていたことでしょう。

 また、北海道開拓の経験を得ることができない以上、台湾の開発も困難になっていたかもしれない。

 

 とにもかくにも、当時の日本人は、狂乱の世界で自立すべく、全力を出した。

 

 北海道の至る所に、それが形として刻み込まれています。

 

 明治維新の時代の人々は、何を考えていたのか?知りたいのなら北海道に行こう!!

 

 

 

 

 

 

 

 これが今回のシリーズの最後の画像。

 

 この景色を見て、島義勇は何を思うか?

 

 

 開国間もない極東の小さな国が、国家の存亡と威信をかけた北海道開拓のお話は、これで終わり。

 

 次は日本のどこが、歴史の主舞台となるのでしょうか?