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前時代と新時代の結紮点 その1 

  

 管理人は、短期間だけど函館に住んでいたことがありましてね。

 

 その時に函館山にも何度も上りました。

 

 当時は夜間は解放されていたので、車でも行きましたし、ロープウェーでも上りました。

 

 ある時、思いついたのが「歩いて展望台まで行こう」と。登山ですね。

 

 ただ、函館山の登山は初心者向けなので、散策程度の格好でも大丈夫ですが。

 

 その登山中に、驚いたことがありまして。

 

 なんと、杉の木が生えているじゃないか!

 

 時期が来ると本州では花粉症の被害者が急増しますが、その花粉症の「諸悪の根源」として一般的に認識されているのが、杉の木。おそらく杉だけが原因ではないのかもしれないけど、全国的には「花粉症=杉」というイメージが固定しています。

 

 で、杉の木は北海道にありません。なので、杉花粉症も滅多にない。かわりに白樺花粉の花粉症に困っている方はおられる。

 

 その北海道にないはずの杉の木が、目の前にある!

 

 前回までの記事で、箱館の開港のお話をしました。

 

 開港地になった箱館は、管轄が松前藩から幕府に移り、幕府の直轄統治の街となりました。

 

 幕府の役人が箱館に着き、函館山を見て絶句してしまったどうです。

 

 今では緑豊かな函館山ですが、当時の函館山は、木がほとんどないハゲ山だったのです!

 

 これは当時、箱館を治めていた松前藩が、薪に使用するために函館山の木を伐採しつくしてしまったため。

 登山口にあった史料には、当時の函館山の写真もあったのですが、荒れた山肌が映っていました。

 

 幕府はすぐさま、函館山の植林事業を興し、その際に本州では一般的な杉の木が植えられたのでした。

 

 函館山の生態系も、時代と共に変化していますね。

 

 登山道を登っていくと、意外と早く頂上に到着しました。険しい道ではなく、1時間くらいで登頂してしまった。

 で、展望台で休憩しているときに思ったのですが、予想以上にあっけなく登頂できてしまったので、上ってきた道をそのまま降りるのは面白くない。せっかくだから、函館山1周コースを巡ってやろう!と。

 

 早速、一周コースへと入っていきました。

 

 函館山は全国的な観光地なので、見たことがある方も多いと思います。

 

 しかし、大抵は函館市街地から見た函館山かと思われます。

 

 函館山1周コースでは、函館山の裏側を見ることができるのです。

 

 箱館戦争の際に、新政府軍が夜間に函館山の裏側から上陸し、函館山の山頂も占領。

 

 函館山は裏側にもストーリーがあります。

 

 

 さて「函館山」というと、大きな山を思い浮かべる方が多いと思います。

 

 しかし一周コースを回っていると、実はいくつかの山が集まっていることを実感できます。

 

 また、函館山は「山」ですが、かつては「島」でした。

 

 もともと亀田半島の南に寄り添うように浮かんでいた「函館山」ですが、沖からやってきた波が、島の両側から回り込み、島と半島の間の海峡でぶつかり合うことで静かな海域ができ、そこに砂などがたまって陸地になり、最後には半島と島がつながって出来上がった「陸繋島」。

 

 こういう地形は日本各地にもありますし、世界にもあります。フランスのモンサンミシェルが有名ですね。

 

 モンサンミシェルは、まだ完全に陸地化してはおらず、時間によっては「島」になりますが、モンサンミシェルの陸地化が完了したのが函館山です。

 ちょうど、函館駅のあるところが、かつては海だった場所。そこに長い年月をかけて砂や土が溜まり、陸地になりました。で、そこに人が住み始めた、と。

 

 

 函館山の散策ですが、「裏側」には、実は様々な名所があります。

 

 要塞跡です。

 

 かつて函館山は、一大要塞となっていました。

 

 地図で函館の場所を見てみると、太平洋と日本海を分かつ細い海峡の中間にあります。

 日本海は閉じられた海で、外海から中に入るには、対馬海峡宗谷海峡、そして津軽海峡を通るしかありません。

 

 日本列島とは不思議なもので、狭くて細長いのに、中国とロシア、朝鮮半島などの国々から、太平洋を離してしまっている。

 

 北海道に注目すると、この島一つだけで太平洋、日本海オホーツク海を分断してしまっている。

 

 先日、日本で最も北方領土情報が豊富な北海道新聞に、北方領土の現在の状況が掲載されていたのだけど、4島ではガソリン不足が起こっているそうです。

 

 そう、実はロシアは北方領土の維持に難儀している。

 

 4島への燃料補給は、ほぼ樺太からの輸送に頼っている状況。しかも冬の間は流氷に閉ざされる。

 

 そして、北海道から北にある港は、冬の間は凍ってしまう。

 

 もう一度、地図を見ると、函館が、実は重要な場所にあることがわかります。

 

 日本海と太平洋との交通の要衝であり、数少ない北方の不凍港。その上、ペリーも認める良港。

 

 そのため、ロシアの脅威が迫っていた開国以降、函館は軍事拠点として、極秘地帯として扱われていました。

 

 戦後、出入りが自由になりましたが、砲台やトーチカなどが残っています。

 

 全て、津軽海峡を向いている。この海峡を行き来する艦船に、いつでも容易に攻撃できるように。

 

 

  かつての要塞施設も、森に帰りつつあります。

 

 

 散策は佳境を迎え、下り坂の連続となりました。

 

 結構、急な坂なので、スニーカーではきついかもしれない。

 

 急坂を超え、平地に至ると森林の中の遊歩道を歩くことになります。

 

 遊歩道を歩いていくと、森林の中に立っている大きな記念碑が見えてきます。

 

 これは「碧血碑」。

 

 

 日本史の「もう一方の側」の人々が眠る場所です。

 

 

 お話は、戊辰戦争のクライマックス、箱館戦争の時代になります。

 

 

 続く