この一年間、歴史に関する管理人の「私見」を述べてみました。
本当は、徳川家康の江戸開府、吉宗の改革、明治維新が成功できた理由、などを暦年順に
お話ししようと思ったのだけど、それぞれ別のタイミングで話してしまいました。
歴史好きの勝手な戯言と斜め読みしていただければ幸い。
残っているのは「開国後の日本の歴史」。
管理人が日本史を「お勉強」し始めてみると、学校で教わる歴史が、ほんの一部でしかないことがわかりました。また、それが「試験対策」になる過程で、単なる知識の出し合いになってしまう。本当は歴史事象の前後の過程こそが重要なのに。まあ授業だからしょうがないんだけどね。先生や国に責任を求めるようなことではありません。
そして試験対策の歴史のお勉強をしている限り、北海道が日本史の主舞台になることはありえません。
道民にとって、歴史とは北海道から遠く離れた京都や関東での出来事、くらいにしか思っていないのでは?
再度の日本史の「お勉強」をする前まで、自分もそう思っていました。
なんせ日本の端っこ。
しかし、大人になって、試験も関係ない学びなおしをしたところ、見方が大きく変わった。
最初は奈良や京都・大阪周辺で起きていた歴史事件が、徐々に広がり始め、江戸幕府の誕生で東が主舞台に。
そして開国を迎えた。
長い鎖国を終えて開国した日本は、植民地主義の世界情勢を知ることになります。
また、世界は北海道に到達しつつあった、と言えます。
毛皮を求めて東へ拡大したロシアは千島や樺太で日本と対峙し、イギリスは世界地図を完成すべく「世界最後の地図の空白地帯」であった北海道の観測を開始し、北米でビーバーなどの毛皮を狙った列強諸国も必然的に極東へ関心を持ちつつあった。ドイツも北海道の統治に感心を持っていた模様。
幕府との内戦に集中していた日本は、内戦終了の直後から、自分たちが侵略的な空気の中に立たされていることを実感させられます。
他国の植民地支配を避けるためにはどうすべきか?
侵略の危機が差し迫っていた北海道の開拓は、国家の命運を左右する緊急課題でした。
もし、北海道が他国の領土となれば、本州が他国とダイレクトに接することになる。
それは江戸の至近距離まで、外国の影が近づく、ということ。
開国直後の日本は、北海道が他国の領土となる事態を、なんとしても避けなければならなかった。
北海道の開拓が成功するか否かは、食料自給の内政問題、首都防衛のための国防問題、国際社会での日本がどのように扱われるかの外交問題など、多くの問題の成否がかかった、重要な国家プロジェクトだったのです。
「北海道の開拓」には、開国直後の明治政府の、国家の危急存亡をかけた「方針」が示されています。
今回からお話しするのは、北海道の開拓のお話し。
それはそのまま、不穏な国際情勢で日本が独り立ちするための努力の表れと言えます。
一年間、続けてきた歴史のお話の最後の章の舞台は、北海道です。