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日本とソ連とユダヤ人 その2

 ここからようやく、今回のテーマの「3人目」の主役であるユダヤ人が登場します。

 

 しかしその前に、帝政ロシアにおいてユダヤ人がどのように扱われていたのかを説明しないといけません。

 

 

 

 帝政ロシアは領土が広大で、多くの民族がくらしており、ユダヤ人も多く住んでいました。

1917年の2月革命以降、ロシア領内では「ソヴィエト」と呼ばれる評議会が各地で作られた、とお話ししましたが、その動きは1920年代に入るとロシア領内の各民族が、各民族単位で自治共和国自治州などを創設するという方向に変わっていきます。

 

 そんな中、唯一、土地を持たないがために民族独立の気運に乗ることができなかった民族が、ユダヤ人です。

 

 ユダヤ人たちは帝政時代、法的に差別され、また反ユダヤ暴動も頻発しており、苦しんでいました。そのため相次ぐ革命に積極的に参加し、その後もポリシェヴィキ政権を裏切ることなく、非常に献身的であったため、ポリシェヴィキ政権はユダヤ人たちを好意的に見ていました。

 

 1924年、ポリシェヴィキでは、後継争いを制してヨシフ・スターリンが主導的な立場になります。
 そして1928年、スターリンが提唱する民族政策の一環として、アムール川沿岸の中ソ国境付近に「ユダヤ民族区」の設立し、将来的にはソヴィエト連邦の一共和国となる予定である、とする「ピロビジャン計画」を発表。

 

 ポリシェヴィキ政権は「ユダヤ人の歴史上、初めて自分の故郷を建設、自らの民族国家の成就への燃えるような要望が満たされた」と大々的に宣伝。ユダヤ人に対する国際的な同情を集めることで、政治的、経済的援助を期待していました。

 

 そしてこの「ピロビジャン計画」は、「ユダヤ人の歴史上、初めて」と宣伝されたように、中東で「イスラエル」建国が宣言されるより以前に発表されています。

 さて、一見、ユダヤ人に対する深い思いやりが背景にあるかのように見えるこの計画ですが、実は当時のスターリンユダヤ人への思想や国際情勢とも重要な関係がありました。

 ユダヤ人に対する民族政策を提唱したスターリンですが、もともとは都市に暮らす商業の民であるユダヤ人を、歴史上、関係の全くない極東に住まわせて、へき地を開墾させて農耕民にする、という意図を持っていた、と言われています。

 また、前回、お話ししたように、当時のポリシェヴィキ政権は周辺国から危険視されており、それがために日本のシベリア出兵が行われてしまいました。しかも日本の撤退は遅れに遅れ、領土的野心が疑われていました。

 そのため、日本軍がシベリアから撤退した後もポリシェビキ政権の日本に対する警戒心は高く、国境を接する満州周辺には緊張が走っていました。当時、ソヴィエトは日本を仮想敵国としていました。開国直後の日本がロシアを仮想敵国としていたように。

そこでスターリンは、ポリシェヴィキ政権に献身的なユダヤ人を満州との国境地帯に移住させて自治区を作らせることで、日本に対する防壁とすることを企図していた、と言われています。

ユダヤ自治区の出現には、列強入り後の日本の野心的な行動が要因の一つとなっていました。

 

 

こうして設立されたユダヤ自治区には、現在のウクライナを中心とする中欧ユダヤ人たちが移住します。アメリカ大陸からも「ユダヤ人の国」を目指して移住してきた、とのこと。

順調に人口が増加した自治区は1934年、「ユダヤ自治州」に昇格。今後もゾヴィエトを構成する民族自治区として発展していくと思われました。

しかし「ユダヤの国」としてあてがわれた地は、極寒、酷暑の地。また、もともと商業民であったユダヤ人たちは農耕生活に定着できず、失望とともに去っていく人たちが増え始めます。

さらに1930年代後半から、スターリンユダヤ人に対する大粛清を決行。ユダヤ人指導者たちが投獄・処刑されてユダヤ文化が迫害されました。

そのため、ユダヤ自治州からのユダヤ人の脱出が相次ぎ、ユダヤ人の人口が著しく減少していきます。

1939年の調査では自治州の人口10万9千人に対し、ユダヤ人は1万7千人に過ぎない状況となり、しかも大部分が都市部にすむ、という情勢となってしまい、ユダヤ人による土地の開墾のプランは頓挫してしまいます。

 

その後、第二次大戦が勃発し、日本は満州における権益を失って、大陸から日本の脅威が去ります。大戦後、アムール川沿岸の領有をめぐって対立関係にあった中国とも、2004年に領土の合意がなされ、一応、国境が画定します。

 

第一次大戦の結果として生まれたユダヤ自治州は、今も残ってはいるものの、人口は減少。

自治州の総人口は2002年の調査では19万人。しかし大半はロシア人であり、ユダヤ人は自治州の総人口の4パーセントに当たる2327人しかいません。もはや「ユダヤ人の国」とは言えない状況。

近年、ユダヤ人保護政策が行われている、とのことですが、この地域でユダヤ人が優勢になる可能性は非常に少ないといえます。

 

 

 

日本の開国直後、帝政ロシアに対する脅威から北海道の開拓を急いだのと同じく、ソヴィエトも日本に対する脅威から極東のユダヤ人国家の建設を企図したのでした。

 

北海道とユダヤ自治州は、歴史的に対の存在、と言えるのかもしれません。