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日本史と世界の歴史の違いを考えてみた その3

 次に日本史と世界史の違いとして挙げられるのは「地方の反乱」です。

 

 もちろん、日本でも地方の反乱はありましたが、世界の他の国の反乱との違いは、自国以外の外部勢力と結びつくことがなかった、という点。

 

 ここでまた中国王朝の例を挙げますが、これまで何度もお話ししてきたように、中国歴代王朝は北方にて騎馬民族と長大な「国境」を持っていました。

 

 騎馬民族は恒常的に、中国王朝の領土への侵攻を繰り返します。

 

 中国王朝の側でも、いつ襲ってくるかわからない騎馬民族に即応できるように、北方の国境付近の司令官には大きな権限が与えられていました。

 しかし国境付近だけに中央政府とも距離が遠いため、自然に独立の機運が高くなっていく傾向にありました。

 そのため中央からも警戒されることもあり、ついには反乱の兵を挙げることも珍しくありませんでした。その際、自分の勢力だけではなく、騎馬民族とも結託して王朝に攻め込んでくることもありました。

 

 自国内だけの反乱なら、大きくなることは難しいのですが、外部勢力が加わっているため容易には鎮圧できないこともあり、ついには王朝が滅亡してしまうこともありました。

 

 また、晋王朝の「八王の乱」のように、中央政権での権力争いのために騎馬民族を含む外部勢力を引き込んだ例もあります。

 

 

 日本は島国のために外部の勢力が干渉してくることがなく、反乱がおきても比較的に小さいもので終わる結果になりました。

 

 

 

 このほか、政治的なもの以外の要因を挙げるとすると、水が飲める軟水であること。世界では硬水の地域も多く、飲み水を求めて争いに発展する例もありました。

 また、温暖湿潤な気候のため、木の実や動物なども豊富に存在したこと。

 メソポタミア地域で古代から灌漑施設が発展したのは、この地域では降水が少ないために農業生産のための水を確保する必要に迫られたため。

 また他の地域では、採集が過ぎると食料となる植物、動物がいなくなるため、移動を続ける必要がありました。

  しかし日本は雨の多い地理条件のため、常に自然の食料が豊富にありました。

 函館や北東北で、縄文時代の遺跡が世界遺産に認定されましたが、これは農耕せずに採集だけで集落が形成されたため。日本以外の地域で定住がはじまったのは、飼育や農耕によって食料を持続的に得ることができるようになってから。

 日本の自然環境が、農耕も始まっていないのに定住を可能にしたのでした。

 

 これも日本独自の特徴。

 

 

 

 以上が、管理人が考えた、日本史と世界の歴史との違い。

 

 日本はガラパゴスになってしまった、のではなく、ガラパゴスが可能だからそうなった、と言えます。