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「男系男子」を守らなければならない理由 その1

 

  皆さん、ネットフリックスで配信されている「三体」というドラマをご存じでしょうか?

 

 今回のタイトルにあるお話をする前に、まずは「三体」の第一話を見てみてほしい。

 第一話をすべて見る必要はありません。冒頭の10分(?)くらいで十分です。

 

 多くの人々が叫び、壇上に挙げられた一人を糾弾していく。

 

 これは過剰演出ではなく、1966年から1977年にかけて中国で実際に行われた「文化大革命」を再現したもの。

 

 老境の域にあった毛沢東は、自身が推し進めた「大躍進政策」が破綻し、後継が市場開放政策を進めることへの巻き返しとして、「革命」と名付けた政治運動を開始します。

 

 「政治運動」なんて言うけど、ドラマにあるような公開弾劾裁判や、処刑もフツーに行われていました。

 

 社会主義運動に反するとして、文化人や科学者が弾劾され、伝統文化財などが破壊されました。

 

 皇帝のいた王朝時代の話ではありません。20世紀に起こったこと。

 

 この時、日本でも余波として、浄瑠璃浪曲など、日本古来の伝統芸能も「国粋主義だ!」として、圧迫を受けました。

 

 一人の権力者が権威も兼ねていたため、その人物の暴走によって、国中が一つの過激な方向へと走ってしまった。

 

 中国共産党は、「集団指導主義」と言いながら、結局は一人の人間に権威も権力も集まる傾向にあります。

 

 これは中国古来の伝統でもあります。

 

 中国の王朝交代の時というのは、それまでのイデオロギーや統治体制、宗教観の交代を意味します。禅譲によって皇帝の譲位が「円満に」行われる、とされていますが、そんなわけがなく。

 

 王朝交代後に行われるのは、徹底した前王朝の否定です。酒池肉林の話など、「勧善懲悪」の話が作られていきます。自己の王朝を正当化するためにも、前王朝を徹底的に否定しなければならなかった。

 その際に実際に行われたものは、もっとエグイですよ。前王朝の皇后の墓を暴いてミイラとなっていた遺体を掘り出し、陰部に異物を入れる、などという、人間の品性を疑うようなことです。

 「前王朝の否定」なんていうけど、やっていることは略奪、殺戮、集団レイプ。

 集団レイプなんてものは現代でも、ユーゴスラビアの崩壊後の民族対立時や、アフリカのツチ族フツ族の対立時に行われましたし。その時は「民族浄化」なんていう格好のよい言葉が使用されましたが。

 

 また、中国においては「文化大革命」のような権力者による「大粛清」は、毛沢東だけではなく明王朝朱元璋をはじめ、何度も繰り返されています。

 

 なんというか、中国の歴史を見ていると、王朝交代時に「リセット」が行われている、というか。都合の悪いものはすべて前王朝におっかぶせようとしている、というか。

 

 今の中国共産党も、それ以前の王朝時代の反動として生まれたもの。

 毛沢東の時代には王朝時代を過剰に否定する必要があったと思われます。

 また、近年、中国共産党反日色を強めています。経済の成長と共に経済格差が生じてしまった。共産主義ではありえない現象が起こっている。

 国民(人民?)から、「共産主義をやらない共産党とはなんなのか?」という批判を逸らすために、外部に敵を作ろうとしているように思われます。

 

 この「王朝交代時の前王朝の全否定」とか、「王朝交代すればリセットされることになる」という感覚は、日本人にはわかりづらいかもしれない。

 

 

 管理人は若かりしときに鎌倉旅行をした際に、北条政子のお墓を訪ねてみました。

 

 あのころはまだインバウンド客などは少なかったので、鎌倉も「にぎわっているな」程度のものでした。

 

 で、教科書に出てくる北条政子のお墓ともなれば、かなり大きなものではないか、と想像したのですが、全然大きくなかった。フツーのお墓。権力者の威厳、なんてものは微塵も感じさせない。

 

 くれぐれも行っておきますが、観光地ではないんです。管理人もお墓の前で手を合わせ、ご挨拶しました。写真撮影などは一切していません。フツーのお墓と書いたけど、本当に寺院特有の静謐な空気でした。あのころはまだ、規制されていなかったけど、今はお参りできないかもしれないですね。

 

 で、ですね、北条政子のお墓の後に、足利尊氏のお墓もある、とある本にあったので、そこに行こうとしたら、そこは入り口でお坊さんに止められたので、お参りかないませんでした。あくまでお墓なのだ、しょうがない。

 

 でも、前述の王朝交代のい話をした後で考えると、不思議ではないですか?

 

 北条政子のお墓と足利尊氏のお墓が同時に存在する。

 

 鎌倉幕府という前時代の政権のお墓と、室町幕府という後時代のお墓が、同じ地にあるのです。

 

 政権の交代が行われたのだから、室町幕府成立時に北条政子のお墓も暴かれ、遺体(遺骨?)も辱めを受けてもおかしくはない。

 

 このほか、奈良や京都、大阪をはじめ、日本全国で前政権と後政権のお墓、建物などが残っている。

 

 また、正倉院が象徴的。なぜ、あれが残っているのか?中国などの他の地域では、王朝交代時に破壊されてもおかしくはない。

 

 アフガニスタンタリバンが政権を握った際には、世界遺産の巨大仏像彫刻が爆破されることも起こった。

 

 また、中国の歴史的な「名著」とされるものは王朝交代時に焼却されることが多いのですが、その「名著」の写本が、日本の金沢文庫足利学校で発見された!などということもあります。

 

 日本では過剰な文化否定や、死者を辱める文化はなかった。(もちろん完全になかった、なんて思いませんけどね)

 

 これは、結局、権力の交代はあっても、王朝の交代は起こらなかったからではないでしょうか? 

 他宗教民族では、王朝の交代は宗教の交代をも意味するので、前宗教の否定も行われる。

 王朝の交代がなかった、ということは、前宗教の否定も行う必要がなかったため、ともいえる。

 

 北条政子の墓が破壊されずに残っているのは、政権は変わっても宗教観自体は変わらなかったため、といえるのではないでしょうか? 

 

 一方で、日本では「権威」である皇統の分裂によって「カオス」となってしまった歴史もあります。

 

 

 おっと、仕事なので続く