続きです
2,開国から欧米列強入りまで、明治天皇一代で達成できた
幕末を描いた大河ドラマなどでは、開国したと同時に日本は成功した、というようなエンディングを迎えることが多いですが、そんなことはなく、むしろ真逆。
開国したとはいえ、世界では「植民地主義」の潮流の真っただ中であり、アジア各国が欧米列強の植民地となり、東洋の大国・清王朝まで列強諸国によって切り刻まれている状態。
そして次なる「獲物」として、日本が視野に入れられている状況。
日本の独立は、風前の灯に過ぎませんでした。
特に北方からはロシアが急速に接近しており、国防の上からも北海道の開拓が急務となっていました。
このような緊迫した情勢下で内紛が起こると、すぐに列強の餌食となってしまう。
もし、この開国早々の時期に、明治天皇が崩御していたらどうなっていたのか?
何度も何度も繰り返すように、この時期は、日本にとっての議会制民主主義の黎明期であり、いつ揺り戻しが起きてもおかしくはない情勢でした。
そしてこれまでの日本史において、天皇の代替わりの際に大きな政治混乱が起こることは珍しくありませんでした。
天皇即位を巡って激しく争われた平安時代はもちろん、鎌倉時代においても大覚寺統や持明院統といった皇統の争いはあり、鎌倉幕府も下手に関われば政争に巻き込まれる恐れがありました。
それでも幕府が厳然と機能していた江戸時代では、大きな問題とはなりませんでしたが、開国直後の日本は違います。まだ徳川の残党も多く残っていた時代。
憲法上は「大権」が認められている以上、それを利用して前時代に戻そうという動きも考えられました。
憲政の初期ゆえに議会の方で混乱が続く情勢で、「権威」である天皇の側でも問題が起こっていたら、日本は新たなる内戦に突入していた可能性もあります。
この、国際的にも国内的にも一時たりとも時間を無駄にできない状況で、明治天皇は在位し続けることで、「権威」の側の安定を実現。
その間に近代化を急いだ日本は、日清戦争、日露戦争の勝利を経て、欧米列強の仲間入りをするに至ります。
こうして、国際社会で地歩を築いた段階で、明治天皇は崩御されました。
もし、明治天皇が早期に崩御していたら、「明治維新」は実現することなく頓挫し、さらなる内戦が起こり、ロシアをはじめとした欧米列強の植民地となってしまっていたかもしれない。
日本史においてもとても重要な局面で、迅速に国際社会に対応できたのは、明治天皇の代が続いていたため、と言えるのではないでしょうか?
ここまで繰り返してきたように、明治維新が実現できたのは、「権威」の側に大きな問題が発生することなく、「権威」と「権力」の分離が持続できたため、ということが非常に大きい。
「2」で述べたように、緊迫した情勢下で日本の国際的地位を確立するまで、明治天皇の一代で過ごすことができた。
「権威」の側が安定していたから、「権力」の側の政争が激しくとも、日本は大きな混乱に陥ることはありませんでした。
そしてこれは、明治天皇の代だけに限りません。
明治天皇の後継として、後の大正天皇が健在であり、しかも明治天皇の即位中に「次々代」の天皇となる、後の昭和天皇も生を受けていた。
これによって、明治時代にすでに、3代先までの安定した皇位の継承が見込まれていました。つまり、「権威」の側は、3代先までこのままを維持できる、と。
日本史では、代替わりは何かと政争を引き起こしてきました。
現在だって、将来、皇統が直系ではなくなる(それでも男系男子は維持される)というだけで、論争がくすぶっている。
もし、明治天皇、もしくは大正天皇が男子を持つことがなかったら?
今と違って宮家が多かった時代とは言え、皇統が変わることを口実とした問題が起こる可能性はありました。
ただでさえ、清との戦争や、ロシアの南下に備える必要があり、また征韓論や艦隊整備など、様々な政治課題に直面し続けた明治時代。
ここで皇統の争いまで勃発すると、日本は外部の脅威に加え、内部の紛争にも直面していたかもしれない。
「2」と「3」にあるように、この議会制民主主義の黎明期という大変な時期に、「権威」の側に大きな問題が起こることがなく、3代先までの安定が得られたことが、どれほど政治課題解決にプラスに作用したことか。
以上が、管理人が考える、日本が他国に比べて短期間で近代化を達成できた理由。
他国では近代化の際に「権威」と「権力」が対立することで、国内の混乱を招いてしまったことの方がほとんどでしたが、日本では両者は対立することなく、むしろ「権威」の側が、「政府」「議会」という新たな「権力」が確立することを助けたのでした。
明治天皇は、現在にも通じる議会制民主主義の確立に尽力した日本史上でも一級の人物、と言えるのではないでしょうか?
追記
戦後、何かと批判される大日本帝国憲法の「天皇大権」ですが、これは封建時代から近代化するためには必要なステップではなかったか、と思われます。
そして日本史をよく見てみると、平安時代は朝廷が統治し、鎌倉時代は幕府が権力を握り、鎌倉幕府への不満が高まると、一時的に後醍醐天皇の建武の親政として権力が移し、その後、室町幕府へ。室町幕府が失墜すると、豊臣秀吉が「関白職」を根拠に権力を握ることで(形式上だけだけど)朝廷が再び政治を差配し、その後、江戸時代になって再び幕府が政権を握った。
そう、日本史では、権力の実行機関が倒れた時に、それを補完するように朝廷が機能している(利用されている)。
江戸幕府という権力が失墜した以上、天皇権威が次の「権力の実行機関」の受け皿とならざるを得なかったのではないか、と。
そう、「ザ・クラウン」を見ていても感じたのだけど、英国も日本も、君主制が、政府の危機を救ったりもしている。
むしろ権力だけ、権威だけ、になることの方が危険。
「権力だけ」の社会主義・共産主義国家は、度々独裁者を産み、そのイデオロギーの崩壊とともに国家が消えてしまった。
一方で「権威だけ」では、過度な信仰が、現実政治よりも重視されてしまう。
歴史を学ぶうちに、権威と権力は、互いに補完しあうことで、社会に安定がもたらされるのではないか、と思うようになりました。過度に信仰に走るのではなく、過度に権力が暴走するのでもなく。
真ん中にあるのは国民の生活。権威と権力は、その両輪となることで、国民の生活に安定をもたらす。
君主制を無条件で礼賛する気はないけれど、なくてはならない存在なのではないか、と思うようになりました。
ちょっと、話過ぎたか。