よくテレビなどで「万博」が語られるとき、映しだされるのは、1970年の「大阪万博」の太陽の塔のもの。
でも、管理人にとって記憶に残るのは、1985年に開催された、国際科学技術博覧会、「つくば科学万博」です。
この万博は「科学万博」とあるだけに、当時の先端技術が一堂に会する万博となりました。
なんせバブル目前の日本でしたからね。各企業に勢いがあって、各国のパビリオンよりも、日本企業の方が存在感がありました。
日立、東芝、三菱、富士通、TDKに松下電器、そして「くるま館」。
この時の日本の科学技術はアメリカに迫りつつあり、まさにライジングサンと言えるほどの勢いでした。
その先鞭を担っていた日本の各企業が、自社で開発中の技術を「これでもか!」というくらいにパビリオンで披露していました。
特に、すでに世界を席巻しつつあった自動車産業の「くるま館」は大人気!未来を意識したデザインの車が展示されていた、とのこと。
管理人と同世代なら、「コペル21」という子供向け科学雑誌を読んでいた人も多いのでは?
当時の子供たちは「科学」という言葉に、強い憧れを抱いていました。
また、創作物などでも科学を全面に描いたものがありましたし。スターウォーズが公開されて間もなかったし、テレビではスタートレックなんかも流れていましたし。
藤子不二雄が、科学を駆使した漫画を描いて子供たちをワクワクさせていました。
そう、当時は「科学」と聞くと、明るい未来が連想されて、ワクワクした。
その「ワクワク」の最先端が集まった「つくば科学万博」は、一時的に、開業間もないディズニーランドよりも、子どもの人気を集めました。
会場には、当時の子供たちの「夢」がなんでもあった。会場内では、まだ研究の初期段階で、世界中の夢の技術だったリニアが走っていましたし、何よりも子供心をつかんだのは、デッカイ画面でのゲーム!
会場内に、映画のスクリーンくらいの大きさの画面が設置され、そこでスターウォーズのような立体シューティングゲームが遊べたのです!3Dというか、実写だったのだけど。
当時、ファミコンも発売されて間もない時期で、子どもが「ゲーム」という存在を知り始めたころ。
実は管理人も、科学万博に行ったんだよね。
どこも長蛇の列だったよ。ゲームコーナーはもちろん。
でも、会場のいろんなところに「最先端」を感じた。
ほんと、世界に向けて、日本の科学技術を、堂々と自慢しているような感じだった。
なので、管理人にとって、万博は、未来を感じさせるワクワクするもの。
2025年の大阪万博が危険視されていますね。
管理人は、大坂や関西の人のためになるなら、反対する理由もないです。
きっと、子どもたちには何かが残ると思う。
それはお金に換算できないことだけど、その経験をもとに将来、子どもたちが今の大人たちが想像できない何かを実現する、と思っている、のだけど。
ただ、せっかくやるなら万全な体制でやってほしいんですよね。
せめて一年だけでも延期できたらいいのに。
中止か続行かは、大阪の人が決めることなので、管理人は、中止とされるまでは、成功を祈るのみ。