拓銀の破綻により、ハドソンの資金繰りも急速に悪化してしまいます。
一方で、自ら生み出したCD-ROMによって天外魔境やイース1・2などで、ゲームのスケールを拡大させたハドソンでしたが、そのためにゲームの制作規模が拡大し始めます。かつてのファミコン時代のように、小さい会社でもアイディアと技術があれば大ヒットゲームとなって、一晩で億万長者になれた時代は過ぎ、弱小会社では開発が困難となっていました。
そして、プレイステーションやサターンなどでさらに拡大していました。
このゲーム製作費の拡大も、拓銀の破綻によって資金調達の厳しくなったハドソンの重荷となってしまいます。
自らがきっかけとなったゲームのスケールの拡大が、ここでハドソンに追い打ちをかけることになってしまった。なんたる皮肉!
ハドソンは家庭用ゲーム事業をあきらめ、当時、世間に広まりだした携帯電話のアプリゲームの開発に、活路を見出そうとするも、経営は好転することはありませんでした。
そして2000年代後半に、かつてライバルとして互角に張り合ったコナミの支援を受けることになります。
この辺りで有名だった自由な社風が改まり、「コナミ色」となった模様。
「自由がなくなった」と思ってしまう方もおられるかもしれないけども、コナミは今も世界的なゲームメーカーとなっているだけに、ゲーム業界も変化を求められていたのかもしれません。
その後も「沿革」では様々な活動をしているように見えるものの、徐々に活動が細くなっていったらしい。
ついに2005年、コナミの連結子会社となり、本社も創業地の札幌豊平区を離れて東京へと移転。
「札幌のハドソン」ではなくなった瞬間でした。
さらに2012年3月1日、完全にコナミに吸収されます。
そして2014年1月1日をもって、ハドソンの公式ホームページが閉鎖。
「ハドソン」は、名実ともに跡形もなく消滅しました。
つくづく思うけど、もし拓銀が破綻していなかったらどうなっていたのだろうか。
ハドソンは先の記事で「丸井今井にソフトを供給した」と述べたように、他にも筑波大学と共同研究したり、ゼンリンと共同開発をおこなったり、岩見沢の図書館での一部の蔵書の管理にも関わっていたらしい。
また、2000年代に「ベイブレード」「ビーダマン」などの子供向けアニメや玩具の立ち上げにも関わったらしい。
そう、パソコン技術が会社の根幹なのだから、むしろこれからゲームを離れて拡大していく時期だったのかもしれない。
いずれにしろ、ハドソンは無くなりました。
札幌の小さい無線屋にたむろしていたオタク集団は、気の向くままにパソコンいじりをしていたら、いつの間にかパソコン技術で日本のトップにたってしまい、80年代、90年代のゲーム業界で主役となり、CD-ROMで21世紀のゲーム機の形を決めるまでに至りましたが、時代の変化とともに消えていきました。
誰も知らないフロンティアに、率先して突き進んでいった姿は、開拓の地・北海道にふさわしいと思ってしまった。
そういえば、ホリエモンも北海道で「宇宙」を目指していますしね。
ハドソンの話を聞いていると、一見、全て開拓されたように見えても、実はフロンティアはまだまだあるんだ、と思えてくる。
かつて北海道に、ゲームで世界を変えた会社があったことを記録しておきたいと思い、記事にしてみました。
ラピダスに係わる方も、「日本の国家の運命を背負っている」と考えるのではなく、ハドソンのように「今までの世界にないものを作ってやる!」と考えてほしいですね。 迷ったら、ハドソン研究所を見に行こう!
東京発信の常識にとらわれない、己の好奇心のみで突き進む「ハドソン魂」を持つ若者の登場を願う!!
以上、長いシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、管理人の思春期をワクワクさせてくれたハドソンに敬意をこめて
ボンバーキング ボンバーキングのテーマ 歌:高橋名人 - YouTube
追記
ハドソンが無くなったにも関わらず、いまだに札幌はソフトメーカー、IT企業の多い街なのだそうです。
なぜかというと、元ハドソンに所属していた方が、消滅前に独立し、また消滅後に自ら起業するなどしたためとのこと。
そう、札幌にはまだ、ハドソンの遺産が残り続けています。