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かつてハドソンと言う会社があった。その7

 

 ハドソンのお話を続けます。

 

 ゲーム業界での存在が印象に残るハドソンですが、1990年代からは多角化に取り組んでいた模様。

 

 その中で気になったのは、ビジネスソフトを開発していた、ということ。

 

 ハドソンは絶頂期の1991年に、当時、北海道の百貨店で最大手だった丸井今井に、流通に関するマーケティングソフトを提供していた、とのこと。

 

 ゲーム開発で培ったプログラム技術を、ゲーム以外に応用しようとしていたんですね。

 

 90年代の時点で、企業がどこまでパソコンを導入していたのか、詳細は不明なのだけど「一太郎」という会計ソフトが一世を風靡していた時代ではありました。そういえば一太郎を製作した会社も地方でしたっけ。

 

 

 

 

 ・・・・・・・ここくらいまでが、ハドソンが絶好調であったころのお話しとなります。ここからはいよいよ斜陽期に入っていきます。

 ここまでの記述については、管理人がリアルタイムに経験したゲーム体験ももとに語ることができたのですが、ここから先は筆は鈍くなる。個人としても徐々にゲームから離れていく時期なので。なのでネットなどの情報をもとに語ることになります・・・

 

 

 

 

 ここまで、発売するゲームはほとんどヒット作となるほど高い開発力をもち、それでいてPCエンジンという高性能ハードも供給していたハドソンですが、徐々に雲行きが変わり始めます。

 5人同時プレイ、CD-ROM、オーディオ機器への接続など、当時の家庭用ゲーム機では考えられないほどの拡張性を持っていたPCエンジンでしたが、その拡張性が仇になったのか、周辺機器が乱発され始めてしまいます。

 PCエンジンシャトルとか、PCエンジンコアなどの同性能の類似の品はもちろん、ついにはPCエンジンと接続できないPCエンジンスーパーグラフィックスという、名前こそ同じものの、実質的に新しいハードをリリース。そしてCD-ROMの後継としてスーパーCD-ROMの発売。これらを3年くらいの短期で発売してしまいます。

 このくらいから自慢の拡張性がむしろ飽きられ始めます。「また出すの?」感が漂い始めていた時期。

 

 そして、1994年12月、PCエンジンの正式の後継機としてPC-FXを発売。

 

 ただ、この時期、他者からの次世代機が次々と投入される時期と重なってしまった。

 

 まず、1994年の11月22日に、メガドライブの後継機「セガサターン」が発売されます。そして12月3日にソニーからプレイステーションが発売。

 

 この2つの次世代機が世間に与えた影響が非常に大きなものがあった。

 もはや「衝撃」となっていました。

 2機種ともに「3D」が実現していたのです!

 

 それまでドット絵や、2次元イラストが普通だったゲームの世界も、ついに立体的な表現ができるようになった!

 

 明らかに「進化」を感じさせたゲーム機でした。

 

 この2機の衝撃の後の1994年12月23日に発売され、「次世代機競争」のシンガリを務めたのがPC-FX

 

 ただ、先発の2機に比べてあまりにも注目されていませんでした。

 

 先述のように、その前の時期に周辺機器を派手に乱発してしまったせいで、PCエンジンに関して目新しさがなくなっていたことや、何よりも性能が先発2機に比べて見劣りしていた。一応、カタログスペックで言っておくと、2Dアニメーション再現の能力はずば抜けていたらしい。

 しかし、先発2機が実現した「3D」表現が、世間の次世代機の基準になってしまっていたので、2Dから脱却できなかったPC-FXは、進化に失敗したとみなされても仕方なかった。

 

 最近、ユーチューブでPC-FXの開発に関わっていたらしい人の動画を見たのだけど、どうやら開発中の時期からハドソン社内でも疑問の声がでていたらしい。そしてアニメーションを重視した性能も、先発のプレイステーションがサラッと実現してしまっていたのを見て、「あっ、やっちゃってる」感が高まっていたそうです。

 

 しかもPC-FXでやろうとしていたアニメーション表現は、PCエンジンCD-ROMでも実現できちゃった、らしい。

 

 そう、開発中の時期から、ハドソン内でも不安があったらしい。

 PC-FXは、開発中から(うっすらと)運命が見えていた「コンコルドの誤謬」に陥っていたようです。

 

 こういうのって、途中でやめることができないのだろうか。

 

 途中でやめて、3D機能も持たせた機種として、発売できなかったのだろうか。

 

 あの当時、ハード機は、妙に他の次世代機の発表に合わせすぎているような気がしていて。

 他の次世代機の動向がひと段落した時期に発売できなかったのか?と思うことがあるのです。

 

 

 ただ、ここで興味深いお話をすると、実はセガサターンも、3Dに対応していたわけではなかった、らしいですね。

 ここからはネットで知った情報な上、専門用語を詳しく理解できないのを前提に聞いてほしいのだけど。

 

 セガメガドライブの後継機を開発していたのだけど、次の世代では、まだ3Dは主流にならないだろう、という前提で開発していたらしい。しかしライバルと目されたプレイステーションの性能が明らかになるにつれ、急遽、3D対応をせざるを得なくなり、サターンには「なんちゃって3D」が搭載されることになった、とのこと。(間違ってたらすんません)

 

 これは驚きですよ。だって、世界で最初にゲームで3Dの世界を実現したのはセガだったんだもの。

 

 サターンの発売の1年ほど前にセガが発表したアーケードゲーム機「バーチャレーシング」は、世間に大衝撃を与えました。

 ついに完全な3D表現を実現してしまったのです!

 

 それまでスペースハリアーアウトランなどで、2次元を駆使して、果敢に立体表現に挑戦してきたセガでしたが、ついに達成してしまった!

 そう、最初にゲームで2次元の壁を突破したのはセガだったのです。

 しかもバーチャレーシングで3次元に突入して間髪入れずに「バーチャファイター」を発表。「ポリゴンシステム」という、新しい名前の表現を取り入れたこのゲームでは、人間の動きまでリアルに3D再現されている!それまでストリートファイターの独壇場だった格闘技ゲームの世界で、一気にセガがトップに立つことになりました。

 

 とにかく、この「バーチャレーシング」「バーチャファイター」の2作品で、「3Dと言えばセガ」と言われるほど、セガは3D表現を「お手の物」にしていたと世間では思われていました。

 

 その「3Dのセガ」が開発する次世代機となれば、当然、世界で最も早く家庭用ゲーム機で3Dを実現するだろう、と思われるはず。

 

 それが、実は必ずしもそうではなかった、とは。

 

 それでも「なんちゃって」であろうと、なんとか3Dを間に合わせたセガは、次世代機競争で生き残ることができました。

 

 この次世代機競争では「3D」が、世間の実質的なハードルになり、サターンやプレイステーションはハードルを越えて生き残ったものの、PCーFXをはじめ、SNKの次世代機もこのハードルを越えることができずに敗退し、他にも消えていったハードがあったそうです。

 そしてこの時に脱落したメーカーが、その後もハードを開発できなかったことから、この時の「3D」というハードルが、次の時代を生き残るメーカーの選抜基準になったようです。

 

 とにかく、1994年の年末に起こった「次世代機戦争」で、ハドソンは敗れました。

 

 これまでファミコンソフト開発の先陣を走り、常にだれも見ることのできなかった数歩先の未来を見て、それを実現してきたハドソンでしたが、このPC-FXで次世代機競争に生き残れなかったことで、それまでの「ゲーム界のトップランナー」的な雰囲気が消えてしまったように思います。

 

 そしてハード開発から撤退し、ソフト供給へと注力していきます。

 

 

 ・・・・・・そう、ハードからは撤退したものの、それでハドソンが終わったわけではありませんでした。

 なんとなく「PC-FX」の失敗を持って、ハドソン自体も終焉を迎えたように思われがちですが、それまでのゲーム界でのメインでこそなくなったものの、まだ面白いゲームを発売するソフトメーカーとして、残り続けていきます。

 

 

 続く