1988年12月4日、ハドソンとNECは、PCエンジンの周辺機器である「CDーROM2」(通称:ロムロム)を発売。
このCD-ROMですが、家庭用ゲーム機向けのものとしては世界初でした。
当時のファミコンソフトでは「大容量ブーム」のようなことが起きていて、1メガだ!、いやいや2メガだ!!という、メガの競争が起こっていました。
1メガと1メガ以下のビットでは、クオリティがはっきり異なっていました。
ファミコンマガジン(ファミマガ」などのファミコン雑誌でも、新作ソフト紹介の際に「〇メガ」という表記がされるのが普通になっていました。
しかしCDーROM2の登場で情勢が大きく変わってしまった。
なんせPCエンジンのCD-ROMは、540メガを誇る大容量!!
1メガだ!2メガだ!と争っていた時に、いきなり540メガですからね。
これによってメガ数を競う「大容量競争」は唐突に終了してしまった。
ファミコンに、圧倒的な差をつけてしまいました。
そして「世界初」と書いたように、今でこそゲーム機の常識となったCD-ROMですが、それを最初に家庭に取り込んだのが、ハドソンが開発したPCエンジン版だったのです。
当時、中本伸一氏は、PCエンジンが発売される前の、ファミコンソフト開発開始の早い段階から、将来、CD-ROMがゲームの主力になる、と予想していたそうです。
この当時でもまだ、パソコンは一般家庭には全く普及しておらず、それゆえにCDーROMの存在自体、世間ではほとんど知られてはいませんでした。大学などの研究施設や一部の企業で使用されていただけで、それをいきなり家庭用ゲーム機に応用したわけです。
この時点で、オタク集団はすでに何歩も先の未来を見ていたことがわかります。そしてその未来図を自分たちの手で実現しようとしていた。
しかも世界で初めて!
またPCエンジン自体も非常に拡張性の広いハードで、コントローラーを5つまで付属できたり、初めてビデオ端子を導入したため、音楽をスピーカーで流すことができたり、様々な周辺機器との接続が実現しました。
当時、札幌のオタク集団を起源とするハドソンが世に出したPCエンジンは、その圧倒的な性能によって、世間に衝撃を与えました。
今でも日本のゲーム機は世界で大きなシェアと誇っていますが、当時のゲーム機業界はそれ以上。
家庭用ゲーム機の部門では、日本のゲーム会社はハードでもソフトでも世界を圧倒し、むしろ日本国内で技術や性能を競い合っていた時代。
このCDーROM2の登場により、任天堂も後継機の投入を余儀なくされ、メガドライブもCDーROMを発売することになります。
そして今や、世界のゲーム機はCDーROMが常識となっています。
そう、ハドソンが、今のゲーム機の「原型」を決めてしまった、と言っても決して過言ではありません。
21世紀のゲーム機の「ルール」を定めてしまったPCエンジン。
次は、そのPCエンジンのゲームについて、個別にご紹介します。
続く!