意識低い系、日本代表宣言!!

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ゲームのお話しの余談

~~~箸休めのつもりで書き始めたところ、管理人の個人記憶の一人語りになってしまいました。そんな気持ち悪い文章にお付き合いいただける方だけ読んでね~~~

 

 

 

 

ハドソンについてお話ししている最中ですが、ここで脱線してみます。

 

 記事を書いていて、当時、確かハドソン以外にも札幌にゲームソフトメーカーがあったよなあ、と思い調べてみたところ、「dbソフト(デービーソフト)」というメーカーがヒットしました。

 

 デービーソフトについては、知っている人は知っている、というレベルかもしれない。

 

 「フラッピー」「うっでぃぽこ」などのファミコンゲームがあります。

 

 ここからは個人の記憶でかたるのだけど、「フラッピー」は確か300面くらいあるのですが、50面クリアごとにその証拠(パスワードだか達成画面の写真だか)を送ると記念カードがもらえる、みたいな規格があったような気が。

 

 その記念カードが欲しくて頑張ったのだけど、ダメでした。

 

 ちなみにクリアしたら記念カードをもらえる、というのを最初にやったのもハドソンで、「チャンピオンシップロードランナー」という、ロードランナーの激ムズ版を発売した時に、全ての面のパスワードを記録してハドソンに送ると、チャンピオンカードという証明書がもらえる、という企画。

 

 このチャンピオンカードですが、証明書とはいえプラスチック製のなかなか立派なつくりで、クレジットカードのような感じでした。

 このチャンピオンカードの「特別感」は半端なかった。個人名が記録されていたからね。

 

 このチャンピオンカードの企画のために、当時、ゲームの証明書を発行するのが少しだけブームになったような。

 

 デービーソフトフラッピーの後、「ヴォルガード2」と「頭脳戦艦ガル」という、知る人ぞ知るゲームを発表します。

 

 

 [FC] 高機動戦闘メカ ヴォルガードII - VOLGUARD II - (LEVEL4 2周クリア) ※60fpsで見てください - YouTube

 

 ヴォルガード2は、横スクロールシューティングなんだけど、難しい!1面の最後の要塞攻略で、かなり疲弊します。つーか、敵のミサイルが小さいし速いし、大量だし、ということで、ほとんど回避不可能。

 しかもそうやって死線を突破し続けてもエンディングがない、ってね。モチベーションが上がりません。

 ユーチューブなどのレトロゲームプレイで見ると、よくやるわ、としか出てこない。

 

 ほんとにお疲れ様です。

 

 まあ、クソゲーの部類だろうね。

 

 

 

 【ファミコン rePlay #91】頭脳戦艦ガル TAS動画です - YouTube

 

 そして頭脳戦艦ガルですよ。

 

 縦スクロールのシューティング。「頭脳戦艦ガル」なんて名前だけど、頭脳戦艦ガル自体は一切出てこない!頭脳戦艦ガルから発艦した戦闘機「ジスタス21」が主人公。もうタイトル詐欺だけど、別に大きな問題にもならなかった。

 このゲームはですね、地下、敵基地内、宇宙基地と3パターンのステージを行き来し、一応、宇宙ステージの最後に「ボス」がいる。

 しかしこのボスが最終目標ではなくて、各ステージに一つだけ存在するエネルギーパックだかを100個集めることで、「大ボス」と対決できるようになる。

 

 地獄ですよ。

 100個集めるためには、単純に言えば100面をクリアしなければならない。しかもミスすると、回収したエネルギーパックも減ったような気が。

 小学生が100面もできると思う?

 でも、当時のファミコンって、こういう感じの無理難題を、平気で小学生に吹っ掛けてました。

 で、デービーソフトはこの作品で、「証明書ビジネス」をやりました。20万点を達成すると「ジスタスバッジ」が、100万点達成すると「ガル勲章」が、それぞれもらえるという企画を実行!

 

 ・・・・しかし、なんと後に「無敵モード」の裏ワザが発見されてしまい、続々と達成者が現れる事態に!

 ・・・・すんません、管理人もジスタスバッジとガル勲章をもらいました!(爆笑)

 

 どっちもプラスチック製のバッジ。チャンピオンカードと比べると「子供のおもちゃ」感は否めなかったため、そんなに特別な思い入れも持てなかったっと思う。

 

 

 管理人は、一応、証明写真を送ったけど、半年後くらいの忘れたくらいに自宅に届いて驚いたのを覚えてます。確かお手紙が同封されていて「応募殺到により、発送が遅れたことをお詫びする」みたいな感じ。

 たぶん、無敵モード発覚以来、殺到したんだと思う。

 

 この記事を書いていて、弱小ながら経営者になった今、当時のデービーソフトの社内ではどうなっていたのか、想像してしまった。

 次々と送られてくる「証拠画像」。今更、やめるわけにはいかないし、人員を割いて発送作業に割り振らないといけない。しかも想定以上の予算もかかる。

 あのときのデービーソフトの方、「大人の事情」も知らずに無敵モードでバッジをもらってしまって、申し訳ありません!

 

 つーか、無敵発覚時に企画を打ち切ってもよかったはずなのに、律儀に送るところに感心してしまった。

 

 ・・・・・と、ここまではデービーソフトの大人の対応に感心してしまったのだけど、今回、記事を書くのにWikipediaを調べてみて、初めて知ったことがありまして。

 

 デービーソフトは、「マカダミアソフト」という名前で、パソコン向けのアダルトゲームも制作していた、とのこと。

 

 まあ、これだけなら、昔はあるっちゃある話だった。

 

 ハドソンだって、最初の記事で「日本を代表するソフトメーカーになっていた」などと書きましたが、その大きな部分を占めるのはアダルトソフトだったと思われます。

 

 それを言えば、今や「知性・教養メーカー」の代表格となっているコーエーだって、光栄でパソコンゲームを発表しているときにアダルトゲームを発売しているし、任天堂だって・・・・・。まあ、それらは「黒歴史」として「なかったこと」にされていますが。

 

 話をデービーソフトに戻すと、そのアダルトゲームの中に「177」というタイトルがあったので、少し驚いた。

 

 先の記事でも書きましたが、当時、パソコンはかなり高価なモノだったので、購入できる人もかなり限られていまして。

 しかもパソコンに興味を持つのは若い世代だったため、必然的にパソコンを購入するのも独身男性がメインになっていきました。そう、ディスコでフィーバーすつ人たちがいる一方、今でいう「陰キャ」は陰キャで、お金をそっちに使ってた。

 

 パソコンユーザーのメインが独身男性となると、当然のようにゲームも「とってもマニアック」な方向に進んでいくことになるわけで。

 断言できるのは、決してアダルト作品だけに特化していったわけではないです。

 

 裏設定ありまくりなものとか、なんだかよくわからん専門用語が出てきたり。

 

 とくに工業学部などの理系の(モテない)独身男性がヘビーユーザーだったので、どんどん深化していった。

 

 エヴァンゲリオンで「よくわからない」「不親切だ!」という若い人が多いけど、当時のアニメ、パソコンゲームというのは、もっと不親切でマニアックだったわけで。庵野秀明みたいな人がたくさんいた、と言っても過言ではないと思う。

 

 管理人は80年代に、ある工業大学の学生さんと交流があったのだけど、あの当時、工学部に女子なんてほとんどおらず、ましてや田舎の北見では他に大学もなく、人口も少ないから法律の問題で風俗店も営業ができなかった。これは大人になってから知ったのだけど、「人口〇万人以上じゃないと、風俗店を営業できない」って決まりがあるらしいですね。

 女性も高校卒業と同時に北見を離れる人が多く、出会いもほぼ期待できない。

 

 そう、大学生にとって当時の北見は「マニアックになるしかない!」という環境だったのです!

 あのとき、学生さんからいろんな話を聞いた。ほとんどわかんなかったけどね。

 管理人の所有するゾイドを見て、「なんたら工学」について長々と語りだした時もあった。そんなの小学生にわかるわけないじゃん、ってね。

 

 ちょっと長話になってしまいましたが、パソコンはそういう混とんの世界だったので、今と違って家庭用ゲームとパソコンゲームとの間には、非常に大きな距離があったのです。

 

 で、「177」というゲーム。

 

 管理人は当時、中学生くらいだからアダルトゲームに近寄ることもできなかった。いや、ほんと!当時のパソコンゲームは1万円前後もしたから、お金も親に管理されている状況では入手できるわけない。

 

 じゃあ、なんで知っているのかというと、当時発売されていた「テクノポリス」というパソコン情報誌に掲載されていたため。

 

 この「177」が、そのあまりの過激な内容のために、国会で審議されて発売中止になった、と。

 今回、改めて調べたけど、確かに過激な内容だった。それは必ずしも真面目とは言えないこのブログでも、書くのをためらうレベル。

 

 でも、アダルトに限らず当時はそういうのが多かったような気がする。

  

 今思うと、あの頃の「アンダーグラウンド」って、本当に独特の発展をしていたと思う。それは世間では「陰」とか「暗い」とされる部分に特化して。

 

 その「アンダー」な存在が、国会などという「表側」で語らたことで、衝撃が走ったのです!「え?この分野を見る人がいるの?」と。

 

 その時のアンダーグラウンドのメインストリームだったアニメやゲームが、今では「クールジャパン」の代表として、明るく紹介されている。

 

 「アンダーグラウンド」も「サブカルチャー」などというオシャレチックな言葉に変換されてしまった。

 

 でも、当時の管理人の見た「マニアック」もしくは「オタク」と、現代の「オタク」は、なんか違うような気が。

 

 当時の「マニア」は、「明るい」なんてことはなく、「職人気質」でもなく、「意識高い系」とかクリエイティブぶっていることもなく。それでいて何か一つに突出してしまっていた。狙ってそうなったのではなく、好きでやっていたらいつの間にかそうなっちゃった、というか。

 

 今でも時々、あの時の学生さんたちのことを思い出すと「うらやましいなあ」と思うことがある。上下関係もゆるそうで、ズボンやシャツには穴が開いている(洗濯はしているから臭いということはない)。学生だからお金もない。でも田舎で女っ気もない北見ならオシャレなんて気にすることなく、存分に好きなことをやってた。

 今は知らんよ。80年代の話ね。

 

 ハドソンの当時のことを聞いているうちに、あの時の雰囲気に近いものを感じてしまって。

 

 新しいものってのは、ああいう混とんとしかところから生まれるのではないか、と思った次第。

 そんな中には「177」などという「あだ花」もたくさん生み出されていた、と。

 

 大学生が本当にやることって、どこかのアメフト部のように「体育会系だけ!」でも「コミュニケーション能力を高める」でもなく、将来、必要になるかどうか、換金性があるのかどうか、なんて関係なく、一つのことで誰もついていけないほど深入りすることなのではないか、と思った今日この頃。もちろん管理人の学生時代は真逆ですよ。

 

 

 ・・・・・「全共闘時代」の学生、特に「文系」について語られることは多いけど、理系については語られる機会が少ないと思って書いてみただけ。

 

 

 次から本筋に戻ります。