意識低い系、日本代表宣言!!

意識の低い人間が、意識の低い情報を、意識を低くしてあなたにお届け!!

かつてハドソンと言う会社があった。その8

 PC-FXの失敗によって、一つの時代が終わった感のあるハドソン。

 

 そしてこのくらいから、「桃太郎電鉄」と「ボンバーマン」の続編を乱発するようになっていったらしい。

 

 実際、この2つのシリーズの人気は高く、ボンバーマンはシリーズ累計1000万本を突破!

 

 「自前ハード」の縛りがなくなったハドソンは、このほかにも天外魔境シリーズを様々な機種に移植したり、新作を発表。

 ついにはPCエンジン時代の天敵であったセガと、当時、隆盛著しかったエイベックスと組んで、サターン向けソフトを発表するに至ります。

 また任天堂ハード向けのソフトも発売し、なんと皮肉なことにPC-FX後に、ソフトメーカーの雄としての地位を確立するに至ります。

 

 PC-FXの失敗を経験した後の90年代の後半に、再度の隆盛を遂げていたハドソンですが、ここで最大の試練が訪れます。

 

 1997年11月、北海道最大の銀行であった北海道拓殖銀行が破綻。

 

 当時、リアルタイムにニュースを見ていた者としては、拓銀が波瀾に至るまでにいくつかの段階があったように思えます。

 

 まず拓銀破綻が現実視され始めたのが、1997年3月に放送された民放の報道番組。ここで「事実上、破綻している」とされたことから、道内での大騒ぎが始まりました。

 ただ、当時、世間にはいまだに「銀行はつぶれない」という認識があり、さらに道民においては、役所よりも信用のある拓銀がなくなるわけない、という今となっては「根拠のない自信」がありました。

 実際、当時、拓銀に次ぐ第二位の銀行だった北海道銀行(道銀)との合併話が、すぐに動き出しました。

 この時点で、「まあ、なんとかなんじゃないの」的な空気が北海道を包みました。

 

 ・・・・・まさか半年後に合併話が決裂するとは。

 

 破綻直前の拓銀上層部の雰囲気については、いつ読んでも胸糞悪いですね。

 

 破綻しそうになってしまって、(道銀に)助けてもらう側なのに、この期に及んで高圧的な条件を出したり、「交渉してやっている」という態度をとったり。

 

 拓銀ってのは、北海道では絶対的な存在だったので、役員も想像を絶するレベルで高いプライドを持っていたようですね。

 

 

 この拓銀と道銀が破談となったことで、もはや拓銀の救済が絶望となりました。

 

 が、ここに至っても道内では、なんか落ち着いていたような気が。

 

 「ダメになっちゃったね」って。

 

 実際、破談後、道内のメディアでは一時期、拓銀に関する報道がなくなります。

 

 この空白の時に、管理人の周りでは「なんか上手くいくんじゃね?」的な空気が流れていました。

 

 タイタニックも氷山との衝突後直後はまだ平常通りで、船客が衝突した部分を見ようと集まったらしいし。

 

 しかしこれはタイタニック沈没までの「束の間の安息」に過ぎませんでした。

 

 1997年11月4日、「絶対に潰れない」とされていた証券会社の一つ、三洋証券が破綻。これにより日本の金融市場は大混乱に陥り、一夜にして山一證券地方銀行が破綻の危機に陥ることとなり、当然のように拓銀も瀬戸際に。

 

 報道されない水面下で拓銀の情勢は日々、大きく変化していき、11月15日、臨時取締役会で「営業継続断念」が全会一致で可決されます。この時点で、2日後の17日には資金がショートすることが現実的だったそうです。

 

 そこから大蔵省、日銀、道内主要銀行の交渉が行われ、道内第3位の北洋銀行が受け入れることで決着。

 資金ショートによる北海道経済の大混乱は間一髪で避けられました。

 

 つーか、拓銀首脳はこの期に及んでもなお、当時、道内の主要銀行で拓銀受け入れに積極的だった札幌銀行との合併を拒否しています。しかも当時の札幌銀行の頭取を快く思わなかった、という私怨から。

 

 若者は北海道で起こった「エリートの失敗」を見ておいてほしい。

 拓銀の役員ともなると、当時の北海道でのエリート中のエリートだったのだけど、彼らはエリート意識が優先して現実問題を直視せず、最後の最後まで「自分には選ぶ権利がある」と勘違いしたままだった。

 

 

 

 そして拓銀破綻後の北海道ですが・・・。

 

 北海道では拓銀は「絶対に潰れない」とされていたので、拓銀だけと取引していた企業が無数にありました。

 

 ハドソンもそのうちの一つでした。

 

 

 なんと、関係の無いことで長くなってしまったので、続く!

 

 

 

 

 

余談

 

 脱線ついでに話すと、この拓銀破綻で道内の多くの企業が連鎖倒産したのですが、一方で破綻を生き残り、むしろこの危機をバネにして大きく飛躍した企業もあります。

 

 それが「北海道現象」と呼ばれることもある、ニトリホーマック、ツルハ、サツドラなどの企業です。

 

 これらの企業は今では業界のトップの地位にまで至っている場合も多い。

 

 躍進の原動力に、拓銀破綻後に混乱した北海道の経済事情、特に労働市場があります。

 

 拓銀破綻によって多くの道内企業が倒産し、道内では失業者が急増します。

 もともとバブル崩壊後の不況で「氷河期」と呼ばれるほど求人が減っていたうえに、拓銀の破綻による失業者の増加が起こったため、北海道の求人状況は全国よりも悪化。そのため、賃金も全国よりも下げ幅がとても大きく、それでもわずかな求人に応募が殺到する状況となってしまいました。

 

 そう、この時に北海道の平均賃金は、日本国内でも格差が付くレベルで下がってしまった。

 

 で、北海道現象とされる企業は小売りが多い。

 

 これら小売業は、この時に賃金の安い従業員を多く確保することができ、小売業の性質のために低迷する北海道でも堅調に売り上げを維持。

 

 このため利益も確保して、全国へ進出します。

 

 上記のような状況の北海道を基盤としているため、全国の他の企業との競争でも人件費の点で有利に働き、全国で大きなシェアを確保するに至ります。

 

 これは2000年代の韓国を例にできるかもしれない。

 

 2000年代、韓国の現代、サムソンなどが世界企業として台頭しますが、それは韓国内での安い人件費を足場に、国際市場での価格競争で優位を保てたため、と言われています。

 

 拓銀の破綻直後、極度に悪化した当時の北海道の経済状況によって、日本国内に2つの経済圏ができていたと言えるかもしれません。

 

 北海道現象とは、拓銀破綻によって生み出された副産物、とも言えます。

 

 。。