管理人は昨年、実現できなかったことがあります。
それはラルフ・ブライアントを直接見る、ということ。
ブライアントと言えば、黄金時代の西武ファンなら忘れられない名前。
80年代から90年代にかけて西武ライオンズは黄金時代を築いていました。
1985~88年、1990~1994年にそれぞれリーグ4連覇、5連覇を達成!
そう、十年近くもパリーグは「西武の時代」だったわけです。
え?なんか途中で途切れているぞ!って?
・・・・・・そう、1989年だけ、優勝が果たせなかったのです。
しかし、弱かったのではない!最後まで優勝争いを繰り広げた末に、敗れ去ったのです!!
忘れもしない1989年10月12日。
この年、パリーグは西武、近鉄に加えて、今でも管理人の中では史上最強打線である「ブルーサンダー打線」を擁したオリックスが、三つ巴の争いを繰り広げていました。
この3チームの戦いはすさまじかった。終盤は正に消耗戦の様相を呈していて、まず投手力の弱いオリックスが脱落。西武と近鉄のデッドヒートとなったものの、経験豊富な西武が優勢になって日程を消化し、ついに迎えた近鉄とのダブルヘッダーに、西武は有利な条件で突入。7~8割の確率で西武が優勝するだろう、と思われていました。
北海道だけに西武戦の中継など行われないため、道内の北海道ファンはラジオなどの合間に流れる途中経過に注目。「その瞬間」を待ち望んだものです。
確か夕方になってどこかが中継をはじめたような。自分はそれを見ていた記憶があります。BSかなあ。
そのダブルヘッダーで映し出されたのは、一人の外国人選手の雄たけび。
それこそラルフ・ブライアントでした。
彼は当時の西武が誇る自慢の看板投手であった渡辺久信、郭泰源から、西武ファンの夢を打ち砕くホームランを連発!
ダブルヘッダーで西武が優勝し、パリーグの趨勢が決まるだろう、と予想していた大多数の声を黙らせる、力のあるホームランでした。
ブライアントの爆発で勢いづいた近鉄は、ダブルヘッダーで西武に連勝し、悲願のパリーグ優勝へと爆走していきました。
もし、このダブルヘッダーが無ければ、もし、このダブルヘッダーでブライアントがいなければ、西武は5連覇を達成し、90年からの5連覇を合わせると10連覇の偉業を成し遂げていたことになります。
常勝時代の西武の歴史の真ん中で、優勝歴を分断させたのは、まぎれもなくブライアントの仕業。
ブライアントがパリーグの歴史を変えた、とも言えます。
そんな西武ファンにとって不倶戴天の敵であるブライアントが、なんと北海道にやってきたのです!
2022年、北海道独立リーグの士別サムライブレイズの監督に、ブライアントが就任する、という記事を見て、自分は大興奮してしまった!!
当時は北海道から見て「プロ野球」は遠い世界の出来事。テレビのブラウン管の中で起こっていることでした。
だからこそ、あの時代の英雄たち、秋山、清原、渡辺久信、郭泰源、工藤、石毛などの西武の選手の他、阿波野、吉井、野茂英雄、石嶺、ブーマー、先日亡くなった門田、そしてブライアントなどの存在に、憧れに近い思いを持ち続けていました。
その中のブライアントが、北海道にやってくる!
興奮してしまったね!年甲斐もなく。
ただ、私的な事情でなかなか試合を観戦する時間が取れず。
ようやく行けたとしても、急な日程変更で士別の試合ではなくなってしまうなど、不運も重なってしまった。
自分はどうしても、年内に見ておきたかった。というのも、恐らくブライアントは一年で帰国してしまうだろう、と思っていたので。
士別はね、すっごく田舎なんです。自分も士別と同等の田舎にいたからわかるんです。しかも士別の最寄りの大都市である旭川までも1~2時間もかかる。
ブライアントにとっての「日本」って、関西のことではないかと思うのです。関西でも田舎はあると思うけど、結局は市街地に近いでしょ?
北海道の田舎はレベルが違う。本当に周囲数十キロに市街地がないのです。
士別の町も、おそらく夜には繁華街でも人通りがないと思われます。いやそもそも繁華街があるのかどうかもわからない。
そんな日本でもトップクラスの田舎に、ブライアントが複数年もいるのはかなり難しい、と。
実際、シーズン終盤に出演したトクサンTVで、退団をほのめかす発言があったのを聞き、しばらくたって退任を知りました。ブライアントは北海道を去って行った。
管理人は会えなかった。たぶん、もう会えないでしょう。
士別の少年少女たちは、自分たちの住んでいる町に、「凄い選手」がいたことを理解していたのだろうか。士別市民は、それがどれだけ価値があるなことなのか、わかっていたのだろうか。
士別の野球少年よ、スゲー選手がいたんだぞ!
・・・・・そして表題に挙げた幕別、鶴居、浦河、月形の地名ですが。
これらの町にはかつて、日本ハムの「応援大使」として、大谷翔平が訪れています。
たった一日の訪問ではあっても、「あの大谷」が、訪れたのです。
どの町も、やっぱり「田舎」です。
おそらくこの先、野球に限らず大谷を超えるスターが訪れる可能性は、非常に低い。
いや、そもそも大谷が訪れた「田舎」自体が少ないし、これからも増えないでしょう。
月形を訪れたときのニュースを覚えているんですけどね。大谷にボールを渡した女の子はとても興奮していまして。今はどうなっているんでしょうかね。大谷と目と目があった数少ない一般人の一人ですよ、君は!
これらの町の人たちは、「うちには大谷がきたんだぞ!」と自慢していい!!
このWBCの間、大いに日本中に自慢してください
追記
以下に応援大使の様子の映像があります。
この時の大谷の発言に注目!!
ビジネス系ユーチューバーも黙らせる、金言を、刮目して聞け!