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栗山監督とダルビッシュ 12年目の結実

 いよいよWBCの開幕が迫ってきましたね。

 

 2年前からサッカーワールドカップや夏季・冬季オリンピックとビッグイベントが続いてきましたが、これまでの戦いはどちらかと言うと「日本が世界レベルに挑む」という感じだったのに対し、WBCでは日本は「優勝候補」として臨むことになります。

 

 意外と見方が異なるもんですね。言い方が悪いですが、サッカーとは正反対に欧州の「野球後進国」相手に負けるわけにはいかない、となる。

 

 これはこれで選手としては難しい戦いになるかもしれませんね。

 

 

 さて、今回のサムライJAPANですが、日本ハムファンとしてはある夢がかなうことになります。そう、ダルビッシュと大谷が同じチームでプレーするということ。

 

 大谷の日本ハム入団以来、ファンから何度「ここにダルビッシュがいたらなあ」というセリフを耳にしたか。

 

 数十年に一度の傑出したレベルの選手の活躍を、もしかしたら自分の応援するチームで見ることができたのかもしれない。もはや日本ハムファンの間では妄想の域を超える共通の話題です(本当かよ!)。

 

 それがWBCで、日本代表チームで実現する。いまや日本ハムだけではなく、日本を代表する選手になった2人がチームメートになるには、これ以上にふさわしいチームは無いですね。

 

 

 そんな中、密かに長年の夢を実現させた(と思われる)人物がいます。

 

 日本代表の指揮を執る栗山監督です。

 

 今回の代表チームを実現させた第一の功労者。栗山監督じゃなければ、ダルビッシュと大谷の両人を招集できたかどうか。

 

 栗山監督と大谷との関係は皆さんもご存知の通り。

 「栗山監督じゃなければ大谷の二刀流は実現できなかった」ということは、今やメジャーでも知られる言葉となりました。

 

 

 しかしダルビッシュと栗山監督は?

 

 ダルビッシュがメジャー移籍を表明したのが2011年のシーズンオフ。栗山監督が日本ハムの指揮を執り始めたのが2012年から。

 

 ギリギリですが、二人には共通の「経歴」が見られません。

 

 しかし、彼らには確かにつながりがありました。それも想像以上に昔から。

 

 2012年に就任一年目にして栗山監督はパリーグ優勝を果たしますが、その2012年オフに「覚悟」という著作を発表しています。

 

 その中で栗山監督は、自分の指揮下にはいなかったダルビッシュについて、多くの紙面を割いて熱く語っていました。

 

 今回、その「覚悟」のダルビッシュについての記述について、紹介してみようと思います。

 

 

 その前に、メジャー移籍直前のダルビッシュについて、お話ししておかないといけません。

 

 2011年オフにメジャーに移籍するまでの数年間、パリーグは完全に「ダルビッシュの時代」となっていました。

 メジャー移籍まで5年連続で二けた勝利もさることながら、4年連続で防御率1点台というのが何よりもすさまじい!!

 小学校低学年のころからプロ野球を観戦してきましたが、抑えではなく先発で防御率1点台の投手って、まったく記憶にないのです。広島の大野豊投手くらいかな?あの巨人の斎藤投手でも1回だけしか達成していませんし。

 その1点台を5年連続で達成する。

 ダルビッシュが、日本プロ野球史上でもずば抜けた存在であったことを実感させます。

 例え西武の山賊打線でも、あのころのダルビッシュなら完璧に抑えてしまっていたでしょう。

 

 管理人は2011年に2度、札幌ドームでダルビッシュの登板を見る機会がありました。あの時は観客もダルビッシュを見るために球場に来ているような状況で、通常なら自チームの守備時は席を離れ、トイレに行ったりビールなどを求めに席を離れる人が多いはずなのですが、ダルビッシュ登板時は真逆になっていた!攻撃時に、例え打席が稲葉であろうとトイレに行く人が続出!当時の稲葉もすごい人気でしたからね。北海道知事選に出馬したら、出馬会見終了直後に「当選確実」となるような感じ。その稲葉の人気すら超えていましたからね。

 で、当然のように2試合連続で完封していました。

 

 しかも9回表で100球近くになっても150キロ以上を連発してたからね。

 

 ダルビッシュは、もはや当時のパリーグでは異次元の存在になっていた。

 

 中継見ていても解説の方に「ダルビッシュはわざと力を抜いて投げているように見える」と言わしめていましたからね。

 

 そんなチームの大黒柱だったダルビッシュが、よりによって栗山監督の就任発表の直後にメジャーに移籍してしまった。

 このプロ野球史上、屈指の投手がいなくなるんだから、栗山監督の心中察するにあまりある。「もう一年だけいてよ!」と、駄々をこねても許されるレベル。


 「覚悟」の中でもダルビッシュ移籍に対しての喪失感を隠そうとしていませんが、一方で純粋にプロ野球選手としてのダルビッシュに対する尊敬についても、多くのページが割かれています。

 

 


 「現役生活はたった7年間であったが、取材者として過ごした日々は気付けば20年を超えていた。その間にインタビューさせてもらった超一流の選手たちのなかでも、特に印象深い一人にダルビッシュ有がいる。」

 「彼にはじめて腰を据えてインタビューをさせてもらったのは2007年10月、パリーグの全日程を終了した2日後のことだった。」

 

 

 と、解説者だった当時から、ダルビッシュとは面識があったとのこと。

 

 

 ここで2007年のダルビッシュの成績について触れると、15勝5敗、防御率1.82、奪三振210で奪三振王、という数字だけでも素晴らしいうえに、ベストナインゴールデングラブ、そしてパリーグMVPを獲得。

 名実ともに球界ナンバーワン投手として強く認識された年となりました。
(2023年2月19日訂正 当初、2007年に沢村賞も受賞した、と記述していましたが、沢村賞は受賞していませんでした。訂正してお詫びいたします)

 栗山監督はダルビッシュに対し、独自の視点で質問をしています。


 
 「この時のインタビューのなかで、彼のピッチングフォームについて質問した。あの年(2007年シーズン)、ダルビッシュのフォームはいい意味でコンパクトになった、と感じていたからだ。テイクバックから腕の引き上げ、振りに至る、いわゆる「後ろ」の動作が小さくなり、それでいてストレートの球威はむしろ増している。」

 「するとダルビッシュは、「後ろ」で大きくなると肩に負担がかかるので、なるべく小さくというイメージで投げていて、1年を通してみると、去年より随分「後ろ」が小さくなったと思う、と答えてくれた」


 
 プロ野球解説者なら当然かもしれませんが、そんな細かいところまでよく見ているなあ、と2007年当時の栗山氏の観察眼に感心しました。案外、「現場」以外でのジャーナリストとしての活動の時期に「観察眼」が磨かれたのかもしれませんね。

 そして栗山監督は、ダルビッシュからの返答に対し、



 「言葉にするのは簡単だが、そうやってフォームを修正するには相当な苦労があったのではないか。しかし、ダルビッシュは「まったく苦労はない」とあっさり言ってのけた。聞くと、彼には普段から4,5種類くらいのフォームがあって、調子が悪い日にはそれを順番に当てはめていくと、どれかひとつは当たる。登板の度に見極めて、その日の感覚に合ったフォームで投げる感じなので、今年は1年間を通じて絶不調の波があまりなかった、という。」


 
 おいおいおい、これって野球の投手では普通のことなんですか?投手は常に4,5種類のフォームを身に着けているものなのでしょうか?よく「投球フォームのバランスが崩れて不調になった」という記事を目にしますが。
 2007年当時のダルビッシュは「今年は1年間、絶不調の波がなかった」と語っていますが、彼はまさにこの年から数年連続して防御率1点台を記録しています。つまり1年どころかその後メジャー移籍まで、ずっと絶不調の波なんてなかった、と言えます。

 そしてメジャー移籍一年目も、当初は慣れるのに苦労しますが、後半は持ち前の研究心で克服し、16勝を挙げています。

 その修正能力がメジャーで急に手に入れたわけではなく、すでに日本ハム在籍時に身についていたことがわかります。




 「感心した。とてもプロ3年目の21歳とは思えない、熟練の風格さえ感じさせる。そこでインタビューの最後に、「今度、4つ5つの投げ方を探してきますね」と軽い感じで言ったら、「わからないと思いますよ、テレビじゃ」と笑われた。時間にして30分弱のインタビュー。46歳のインタビュアーは21歳の若きエースに翻弄される格好で、はじめてのやり取りを終えた。」

 「彼と向き合うまで、取材は人間関係だと思っていた。よい取材をするためには、何よりも人間関係が重要であり、人間的に信用してもらえれば、本音を引き出すことはできる、と。ところがダルビッシュがインタビュアーに求めてきたのは、プロとプロのぶつかり合いだった。駆け引きと言い換えてもいい。まるでマウンド上のピッチャーが、18.44メートル先のバッターに勝負を挑むように、彼は向き合ってきた。ある意味、そこに人間関係は要求されておらず、プロとして本当に自分に迫れるのかどうかという一点で、ひと回り以上も年上のインタビュアーを試していたような気がする。」

 「こちらの問いかけに彼が乗ってくるかどうか、いつも不安だった。ダルビッシュが僕のことを少し認め始めてくれてからも、つまらない質問をすると、彼は知らん顔をしている。収録している間、もちろん興味深い話は聞けているんだけど、本当に良いインタビューだったのかどうかは終わってみなければわからない。いつもそれくらいの全力勝負だった。」

 

 

 どうですか。栗山監督のダルビッシュに対する、年齢の上下を超えた「尊敬心」が文章に溢れています。
 
 100%、素人の偏見なんですが、プロ野球OBがインタビューするときって、少しは「先輩風」を吹かしているものだと思っていました。マスコミなら拒否されても、元プロ選手なら「お付き合い」で断りにくいのかな、と。ダルビッシュは違ったようですね。

 

 だからこそ、今回のWBCでも、メジャークラスの選手を招集できたのかもしれません。


 
 ここまでのくだりの栗山監督は、「元プロ野球選手」というよりは「ジャーナリスト」としての経験を感じさせます。目線が完全にジャーナリストですもんね。

 ジャーナリストとして事前の準備はもちろん、インタビューの仕方や結果まで気にしています。もはや元プロ野球選手ではなく、完全にジャーナリストです。

 だからこそ、ダルビッシュとも真剣な「問答」を行うことができたのかもしれません。


 

 ここまでは、栗山監督とダルビッシュの関係は、「取材者」と「現役選手」というものでした。

 

 数年後、状況が変わります。


 

 

 2011年のシーズン終了後、日本ハムは栗山氏の監督就任を発表します。

 

 この時、ダルビッシュはまだメジャー移籍を発表する前で、日本ハム所属の選手でした。

 

 そう、この時、栗山監督とダルビッシュは、同じチームに在籍していたのです!

 

 

 栗山氏が監督就任後に日本ハムの選手たちと初めて接したのは、2011年11月11日のことでした。
 翌日から秋季キャンプが始まるものの、どうしてもベテランや主力選手とも話したかったため、この日にチーム全員に集まってもらった、とのこと。

 ここでなんと、栗山監督は選手一人ひとりと直接話したそうです。一人づつの時間はわずかなものになる予定だったそうですが、実際に会ってみると色々と話したくなり、ついつい時間をオーバーしてしまった、とのこと。

 

 

 「そしてようやくあと一人となり、次の選手の名前を聞いて少し驚いた。最後まで待ってくれていたのは、なんとダルビッシュだった」


 
 

 ここまで話してきたように、当時のダルビッシュはスター中のスターとなっており、他チームファンの中にもダルビッシュファンが存在するほど。もちろん、チーム内では主力中の主力、もはや絶対的な立場となっていました。
 しかも取材でマスメディアを困らせることでも有名な、「難しい」選手のはず。

 本来なら彼が最初に面談を受けてもおかしくありません。それがよりによって、最後とは。遅れたとか、「面倒くさいから最後でいい」とか、個人的な事情があったのかもしれませんが、この時の栗山監督は、最後まで待ってくれたことに純粋に感動した様子。




 「ポスティングシステムを利用してのメジャー移籍が噂されるダルビッシュは、ファイターズを離れる可能性がきわめて高いと報じられていた。この時、すでに決意を固めていたかどうかは定かではないが、それでも彼は全員の面談が終わるまで待って、新監督のために時間を割いてくれた。少なくとも自分はもうチームを離れるからどうでもいいや、という雰囲気はみじんも感じられなかった。」



 
 なんとなく自ら孤立を求めるようにも感じられるダルビッシュですが、もはや移籍秒読みと思われていた時期に至っても、チームを重んじていたようです。

 
 これまで何度か、対する機会のあった栗山氏とダルビッシュですが、ついに「監督」と「選手」という立場で相対する時が訪れました。


 
 「ダルビッシュは7年間プレーしたファイターズというチームのことを、いろいろと聞かせてくれた。まだ右も左もわからない新米監督にとっては貴重な話ばかりだったし、何よりも誠意を尽くして、一生懸命伝えようとしてくれたその姿勢がうれしかった。」


 これは最後のダルビッシュの置き土産だったのでしょうか。
 彼がどのようなことを話したのかはわかりませんが、ユーチューブで彼が野球について話すときの雰囲気を見ると、その場の空気はなんとなく想像されます。(まあ、妄想だけど)

 この言葉で、彼がチームを第一に考えていたことがわかります。

 確かに発言のきわどさや、マスメディアへの対応などで物議を醸すことがあるダルビッシュですが、メジャー移籍時には札幌ドームでファン向けに会見を開いてくれたり、移籍後も北海道を気にかけたり、日本ハムの引退選手への心遣いがあったり、メジャーでもレンジャースを去ってドジャースに移籍する際には、テキサスのファンに対して新聞広告で感謝を表すなど、チームやファン、ホームタウンへのリスペクトを欠かさないことでも知られています。(なんとその時にはレンジャースファンが日本の新聞で、ダルビッシュへの感謝を掲載した!!)
 2018年の北海道胆振東部地震の際も、いち早く被災地を心配していました。

 
 
ここが、ファンからは絶大な支持を集める理由ですね。



  こうして、最初で最後の栗山「監督」とダルビッシュの対談が終わりました

 

 時間にすればわずかなものだったはず。

 
 取材ではなく、同じ日本ハムのチームの一員となった二人の間では、どのような会話があったのか。 取材の時のような「問答」ではなく、純粋に「チームをどうしたらいいか」を語る時、ダルビッシュは栗山監督に何を話したのか。

 

 

 この「監督」と「選手」としての会談から12年後の2023年。

 

 

 ついに栗山監督とダルビッシュが、同じチームのメンバーに!

 

 栗山監督の願いが、12年の時を超えて、ついに結実しました!

 

 

 一方はメジャーでも傑出した成績を残してサイヤング賞候補になるほどにまで名前を挙げ、一方は大全盛期だったソフトバンクを破ってチームを日本一に導き、大谷の二刀流を実現させてメジャーでも知られる存在になった。

 

 12年の時を経てどちらも「超一流」となっていた。

 

 どんな試合を見せてくれるのか、非常に楽しみですね!!