当ブログの管理人が別に運営している「日本ハム遅報」を更新しようとしたら、なんとサイトが見れない状態!
サボっていたから罰が下ったか?
復旧まで手間がかかりそうなので、とりあえずこちらにて、日本ハムに関することを書こうと思います。
何を書くか、って、そりゃあ斎藤佑樹投手ですよ。それしかない。引退しちゃったんだなあ。
北海道民にとって、斎藤との思い出は日本ハム入団前から始まっていると思います。
いわずもがな、2006年の夏の甲子園決勝から。
3連覇を狙う駒大苫小牧の前に立ちはだかったのが、ハンカチ王子の斎藤佑樹でした。
絶対的な存在となっていた田中将大と、互角の投球を披露。
二人の投げ合いは平成史上最高、いや、夏大会史上最高の投手戦となりました。
あの時の中継を、今でもよく覚えています。もう、延長戦からは見ていられなかった。
その年の夏の甲子園で最も存在感の大きかった田中投手は圧巻の投球を見せ、力でねじ伏せていましたが、斎藤投手の投球は力でぶつかるのではなく、粛々と投げているように思われました。
力で圧倒しているように見える田中投手を擁しているほうが有利なはずなのに、なぜか斎藤投手からはチャンスを作る気配を感じられない。そう、「なんだか知らないけど完璧に抑えられている」という状況だったのです。
田中投手の熱投、両チームのベンチの緊張感、甲子園の観客の熱狂、テレビの前の道民の緊迫感等々。あの試合に注目していた誰もが平静を装うことなどできなかった最中に、斎藤投手だけがただ一人、冷静であるかのよう。
正直、一試合目は延長の途中から、「これは点が取れないのではないか」という空気が、テレビを通しても感じられました。
やっている側も見ている側も、みんな緊張のあまりヘトヘトになって1試合目が終了。しかし斎藤投手だけは最後まで、様子が変わらなかったように思えました。
2試合目に向けて、いやな予感がしました。
そして2試合目。やはり彼一人が前日と同じく、平然と淡々としていた。
あの甲子園の熱狂を、彼一人で抑え込んでしまったかのよう。
彼は確かに人々を引き付ける何かを持っていました。もって生まれたスター性というやつでしょうか。
この試合で、道民には「斎藤佑樹」という名前が胸に深く刻まれました。
だからこそ、4年後にドラフトで日本ハムが斎藤投手を指名したとき、運命を感じざるを得なかった!
あの「憎っくき」投手がやってくる!これは非常に頼もしい!!
あれから10年が経ったんですね。
確かに、必ずしも入団前に予想された成績を残すことはできなかったかもしれない。
でも、実力本位のプロの世界では認められないことなのかもしれませんが、北海道のチームにいてくれるだけでもよかった、と今は思います。まあ、鎌ケ谷の方が長かったけど。
この10年間ですが、年に1度か2度は、2006年の「あの決勝戦」の動画を見てしまいます。たまに斎藤投手の登板を見ると、「あの夏」を思い出します。
そのたびに、あの強烈にしびれた投手戦のときの感覚がよみがえります。
プロ野球の試合でもめったにない、極度の緊張感や高揚感。
あそこまで行ったらもはや「楽しい」なんて感覚ではない。見ていられない。
結果が出るのが怖い。次の1球で運命がどう変わってしまうのか、全くわからない。
これまで多くの試合を観戦してきたけど、あそこまで記憶に残る試合は数試合しかありません。近鉄が優勝を逃したダブルヘッダーの試合とか。
もう、緊張のあまりに娯楽を通りこして、一種の苦行にもなってしまう。でも、そのときにこそ、チームとの距離を最も近く感じることができます。
あの感覚を味わってしまうと、「次もそういう感じを体験できるのではないか」と、ついつい観戦してしまうのです。
斎藤投手は、数年に一度しかない「凄い試合」の主役。それは誰でもなれるわけではありません。
あの夏の1試合だけでも、彼は十分、語り継がれる価値のある選手です。
彼の引退と共に、「あの夏」も本当に終わってしまうように思えてしまいます。もちろん、田中投手はこれからも現役生活を続くのですが。
北海道と縁を持ち続けてくれて、ありがとう。本当にお疲れさまでした。