今はいっちょ前になった、世間のお父さんたち。
しかし彼らも、かつて同じ悩みを抱えていた!!
それは、「思春期の男子の心情を考慮しない母ちゃん」!
確かにかつて、男子は母親を頼り、甘えていました。
男の子が「ママー!!」と言い、ママが「なーに?たーくん」と答えるやり取りもごくごく普通。
傍から見ていると、そのやり取りを微笑ましく見たり、聞いたりしていますが、ふと、考えることがあります。
それは、「この子もいつか、お母さんのことを「ママ」と呼ばなくなる日が来るんだなあ」ということ。
そう、いつの間にやら「ママ」と口にするのが恥ずかしいこと、と幼心にも認識されるようになり、どこかでやめようと思う日が、男子ならだれでもあったのではないか?
友達のいる前で自分の親と遭遇し、「ママ、スーパー寄っていくから」なんて言われた日には、その後何日間かからかわれても可笑しくはありません。
今やすっかり中年の域に入りつつある、管理人と同世代のオヤジ達も、どこかで悩んだことがあるのではないだろうか?
自分のことを「たーくん」や、「すーちゃん」「いちくん」「しゅうちゃん」などと愛称で呼ばれるのを嫌がった日々。
大体、小学校3,4年生くらいから意識し始め、中学生ともなれば、母親に「ようくん」なんて呼ばれたら「やめろよ!」と真剣に怒ってしまうと思われる。
小学校高学年や中学生くらいになると、自分の事を愛称で呼ぶことを止めさせようと親に抵抗し始めると思われる。
そして、カッコイイ、それでいて少し「悪い感じ」のする呼び方をし始める。「おふくろ」とか「かーちゃん」など。中には「ババア!」なんて粋がった男子もいるのではないだろうか。学校ではおとなしいくせにね。
30代の男性の方、最初に「ママ」以外で呼んだ時のことを覚えている方もいるのでは?
ある意味で、「大人の階段」の一つ。
でも、なぜか家族はなかなかそこから逃がしてはくれない。特に母親は「何言ってんのよ、まーくん」などと息子の必死の要請を聞き流し、それまでの愛称を続けることが多い。「そんなこといいから、たー坊、お風呂入んなさい」など、全く聞く耳なしの場合もあるし、むしろ息子が「やめろよ!」と叫べば叫ぶほど、面白がって「はいはい、すうちん」など、繰り返す、本人にとっては「タチの悪い」ケースなども見受けられる。
また、たとえ家族の説得に成功しても、じいちゃん、ばあちゃん、という難敵が控える。こちらを変えさせることは本当に難しい。面白がることすらせず、そのまま愛称で呼びつづけてしまうのだ。結婚式で愛称で呼ばれた、という被害者も。
さらに親戚や故郷の近所のおばさん、など、難しい相手が多数あり、結局、大学や就職で故郷を離れて始めて「悪しき慣行」から逃れる場合がほとんど。それでも帰郷時に連呼され、20代半ばを過ぎたころから、完全にあきらめる。
今のオヤジ達も、昔、彼女を親に紹介した時に、つい「しゅうちゃん」などと言われ、涙をのんだ記憶がある方もおられるのではなかろうか?
また、奥さまでも、ご主人のご実家に伺った際、普段はクールにふるまっているご主人が、なんとも愛らしいニックネームで呼ばれていて、しばし将来を考えた、という方もいるのでは?
そう考えると、なんとも重い「原罪」を背負わされたか。
でも、そうやって、散々嫌がっても愛称で呼び続け、子ども扱いし続けられた母親も、30代を過ぎてから一緒に歩くと、いつの間にやら自分よりも随分と身長が低くなっていることに気が付く。
「ママ!ママ!」と見上げていると、上から「なあに?たっちん」と返ってきた声も、今では下から返ってくる。
そうなった時、愛称で呼ばれることに、なんとも言えない感慨を感じる。
愛称で呼ばれていた場所から遠くに住み、すっかり昔の自分の面影と違う自分で生活している方でも、故郷に帰ると、あれだけ嫌がったはずなのに、愛称で呼ばれると安心してしまうことって、あるよね。
単なる愛称ではあるけども、一時期は忌み嫌った名前ではあるけども、それは誰の幼少の心にも、当時の風景の記憶とともに残る、かけがえのない名前であったことに気が付く。
世のお母さん、いや、奥様でもいい。
たまに旦那を幼少の頃の愛称で呼んであげて。
それだけで解消されるものがあるかもしれない。
それはどんなに意識が高いストレス解消法よりも、効果があるかもしれない。