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CHAGE AND ASKA について

 記念すべき最初の記事を何にしようか、迷っていたら、「ASKA、CHAGE AND ASKAから脱退を表明」というニュースが流れてきました。

 

 40代の自分にとって、チャゲアスはまさに青春のど真ん中の時期に活躍していたアーティスト。

 当時、高校生だった自分は、チャゲアスにどっぷりとハマってしまいました。曲を聴いては浸りきり、思いっきり自分の世界に入りこんでいました。

 今となってはイタ恥ずかしい思い出でもありますが。

 

 とにかく、チャゲアスは自分にとって、大きな存在でした。

 社会現象にまでなるほどの人気を獲得し、名実ともに日本の音楽シーンの頂点に君臨した二人でしたが、大ブームの後、チャゲアスの代名詞ともいえるラブソングに対する反動のようにスピード感や激しさのあふれる曲が求められ、B`zを代表とするビーイング系が流行し、小室系の時代となり、ビジュアル系バンドが接見し、そして今ではラブソングでもビジュアル系でもない、ヒップホップやアイドルの曲の全盛期となっています。

 

 でも、チャゲアスが頂点だったころの、アーティストや曲が社会までをも動かしたようなエナジーを、今の流行曲からは感じられず。

 もう、オッサンになってしまったために、懐古主義になってしまったのかもしれないけども、今のアイドルたちの曲の「ミリオンセラー達成」は、一部のコアなファンたちによる買い占めが大きな要因となっているのも事実。

 

 チャゲアスは、「商法」を使わずにミリオン、ダブルミリオンを達成し続けました。

 

 90年代、人々は流行曲を聴くためにCDを買い、また流行り以外の自分だけの掘り出し物を探すためにも、音楽にお金を出しました。

 

 あの時代の勢いを、今の音楽チャートからは感じられず。

 

 あの90年代の音楽に対する人々の熱狂の扉を開いたのは、チャゲアスの名曲「SEY YES」だった、と、自分は思います。

 

 当ブログの最初に、チャゲアスのことを取り上げようと思います。もちろんこれは、「知らなくても損にはならない知識」です。

 

 

 さて、最初にチャゲアスの事実上の終焉のニュースを聞いたときの感想ですが、悲しいとも「もう一度見たい!」とも思わず。

 

 チャゲもアスカも、もう還暦ですもんね。その年齢の二人が決めたことだし、40年も続いたデュオだし。(今、デュオって言い方あるのかな?)

 

 お疲れ様、としか思いつきませんでした。

 

 今回の件は、アスカからの唐突で、やや一方的な内容の「脱退宣言」によって世間の注目を集めました。その「宣言」の内容が、あまりにも赤裸々であったため、「そこまで話していいのか?」と世間は驚きました。

 

 が、アスカはもともと多弁な方であったと思われます。

 自分は高校時代からチャゲアスのエッセイなども見てきたのですが、アスカは結構、話すほうではないか、という印象を持ちました。著作の中では、ですが。

 特に「インタビュー」というエッセイでは、堂々とメディア批判を展開しています。

 

 確かにチャゲアスはアスカの存在感が大きかったのも事実ですが、やはり二人とも飛びぬけて歌が上手い!

 

 アスカはご存知のように素晴らしい歌色ですし、高い音域まで出てしまう。彼が歌っているのをみると、むしろ有り余る声量を抑えるのがやっと、と思えます。

 カラオケでチャゲアスとBzを選曲すると、必ずサビで声が裏返る事態となります。

 今のカラオケって、すごいね!高音域の曲でも、素人が難なく歌えるように調整してくれる!!

 
 そんな常人離れしたアスカの歌声ですが、それ以上の高音域を歌ってしまえるのがチャゲです。

 

 二人とも声色や声量ではずば抜けている、ということに異論はないと思います。

 

 そんなプロフェッショナルな二人が作り出す曲が、これまたずば抜けて名曲ばかり。誰かに作ってもらっているのではなく、二人で作っているのが凄い!

 一編の詩集のように思えるほど表現が豊かな歌詞と、爽快感というよりも琴線に触れるメロディ。
 一発屋と呼ばれる存在も多い中、彼らは「一発」を何度も打ちあげました。

 

 何かとアスカのサポート役とみられがちのチャゲですが、彼単独でも素晴らしい曲を発表しています。

 自分はマルチマックスという、チャゲが中心となったバンドのCDも持っていたのですが、けっこういい曲が多かったんですけどね。

 どうしてもチャゲアスの印象が強すぎてイマイチ目立つことはできませんでしたが、タイミングさえあれば十分、ヒットする曲があったと思います。

 

 「Winding Road」や「SOMEDAY」なんかは、今聞いても素晴らしいと感じます。

  

 彼らは「SAY YES」で日本の音楽界の頂点に上り詰め、同時に大衆がCDを購入して日常的に音楽を聴く、という時代の扉を開きました。

 「SAY YES」は当時のセールス記録を塗り替える快挙となりましたが、これが呼び水となったかのように、この後、「新記録」が続出します。でも、どれも「SAY YES」ほどのインパクトを残したとは言えず。

  そしてこれ以降、CDの売り上げ枚数が話題となり、ヒットの程度も「何万枚売り上げ!」という表現で認識されます。カウントダウンTVが始まったのもこのころから。

 今の若者には信じられないかもしれないけども、当時はミリオンセラーが年に10曲以上もあったし、80万枚、70万枚もたくさんあった。30万枚セールスなんて珍しくもなかった。

 
 今も、90年代の曲のリバイバルが発表されているのを見ると、あの80年代後半から90年代にかけては、日本の音楽の最も豊かな時代だったといえます。「一発屋」とか、「売れ線の曲」もたくさんあったけど、みんなが音楽にお金を出して、それに呼応して多くの曲が発表されたからこそ、今でも歌い継がれる名曲もたくさん生まれたのでした。

 

 さて、その後ですが、1990年代後半に入り、ブームにも陰りが出てきます。

 「SAY YES」で始まったCD枚数による集計ですが、皮肉なことに「売り上げ枚数の低下」という結果によって、チャゲアスのブームが過ぎ去ったことを実感させました。それでも50万枚とか売り上げていたのですが、「チャゲアスといえばミリオンセラー」というのが固定してしまったため、50万枚では少なく思えたのでした。

 

 ただ、自分はブーム後に発表された曲の方が、なかなかいいような気がします。

 

 そうしてようやく「マイナー」になったと思ってライブのチケットを購入しようとすると、すぐに「Sold out」となる。それこそ2010年代に入っても、ですよ。

 

 さて、チャゲアスを語る時、アスカの薬物事件を避けて通ることはできません。

 

 やっぱりショックでした。

 

 当時、自分にとってもう一人のヒーローだった清原も同じく薬物で逮捕。

 

 今の若者にとって、チャゲアスといえば、あの薬物事件とその後の騒動の印象があると思いますが、チャゲ&飛鳥は、やっぱり巨匠だと思います。

 サザンオールスターズとか、ユーミンとか、ドリカムとかBzという、そうそうたる巨人の中に並んでもおかしくない、不世出の才能だと思います。

 

 活動に終止符が打たれたのは、しかもあのような形で打たれたのは残念ではありますが、でもやはり、お疲れ様、と言いたいと思います。

 

 たくさんの名曲を世に送りだしてくれたチャゲと飛鳥に、心から感謝!!