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吉宗、真の功績とは?その1

 先日、「八台将軍 吉宗」のDVDが発売されたことをお話ししました。

 

 徳川吉宗と言えば、「米将軍」として有名ですね。

 

 彼の行った「享保の改革」によって、幕府財政は安定したため、「中興の祖」とも呼ばれています。

 

 ・・・・・しかし、江戸幕府が(少しだけ)好転したのは、江戸幕府の統治哲学である「農本主義」の復活に成功したため、ではないのです。

 彼の代名詞となっている「米将軍」「新田開発」に象徴される言葉によって、農業を基軸とした体制の存続が成功したかのように思われていますが、決してそうではありません。

 

 今回は、そのお話をしてみます。

 

 

 

 お話は吉宗の登場前。

 

 圧倒的な武力と存在感をもって強力な権力実行機関となった徳川幕府ですが、三代目の家光の代くらいまでは、経済も好調でした。

 その経済の源泉ですが、まず開祖・徳川家康が築いた莫大な遺産によるもの。次に鎖国前まで活発だった海外貿易。そして何よりも戦国時代から続いていた、「シルバーラッシュ」と呼ばれる程の日本列島各地の鉱山からの金銀銅の産出。

 

 戦国時代、ポルトガルが日本でも活動しますが、このポルトガルの経済活動も日本と中国王朝・朝鮮半島などとの中継貿易で得られる銀が目的。 

 日本の銀の多くが、欧州へもたらされました。

 

 ただ、徳川綱吉の前代くらいに鉱山が枯渇してしまい、国内に流通する貨幣も枯渇。

 

 一方で徳川幕府は「米」を基調とした体制。幕府も含めて各藩は「収入増」を目指して新田開発に勤しんだ結果、コメの取れ高は幕府創始の時よりも上昇していました。

 

 流通する通貨の量が減るのに対し、コメの量が増える。

 

 当然ながら、コメの値段が下がり、通貨の価値が上昇します。

 

 そのため幕府収入も大きく低下。

 

 5台将軍、徳川綱吉は、財政問題を解決すべく萩原重秀を勘定奉行に抜擢します。

 

 ここで萩原重秀がとった経済政策が「貨幣改鋳」。

 

 貨幣に使用する銀の量を少なくして、貨幣の流通量を増やそう、という政策です。

 

 つまり、それまで10の量の銀を使って一枚の「銀貨」を作っていたとします。

 

 その量を7に下げて代わりに他の物を混ぜて一枚の「銀貨」とする。

 

 30の量の銀があったとしたら、「10で一枚」作っていたとしたら3枚の銀貨ができます。

 しかし「7で一枚」作ると、4枚の銀貨ができて、同じ30の量でも、一枚銀貨を多く作ることができるのです。

 

 たとえ「7」でも同じ「銀貨」なので、幕府が手にできる銀貨の枚数も増える、と。

 

 これ、現代ではわかりにくいかもしれない。

 

 現代では、使用されている金属量に関係なく、10円玉は10円、100円玉は100円で流通していますからね。

 

 これは近世以前の、まだ材質の量と経済活動が密接に関連していた時代のことで、現代の世界の経済には当てはまりません。

 

 要は「お金」が必要とされているので、材質が悪かろうと、経済活動の欲求が強ければ「銀貨」で通ってしまうのです。

 

 戦国時代は、江戸時代以上に通貨がもてはやされた時代ですが、肝心の通貨は中国の宋王朝時代の銅銭が主流でした。しかし他国の通貨、しかもすでに滅亡した王朝の時代に流通していた通貨だけあって、絶対量に限りがある一方で、経済活動は沸騰している。ついには「米」が、通貨として使用される事態に至ります(この辺はいろんな説があるから調べてね)。

 

 徳川家康は、この時の行き過ぎた通貨経済を見て、コメを基調とした農本主義を統治哲学としとうとしたのかもしれません。

 

 通貨が重用される、ということは、それを扱う商人が力を持つ、ということ。

 

 信長も、堺の商人や比叡山延暦寺という、巨大な経済収入のある団体と激しく対立しました。

 

 家康は、コメを基調とする体制とすることで、大名以外が力を持つことを防ごうとしていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 とにかく、例え材質の悪い悪貨であったとしても、それ以上に通貨を求める欲求があれば、構わず流通してしまう。

 

 これが「経済」です。

 

 萩原重秀のとった政策は、金儲け主義として否定的にみられるのですが、現代から見ればまっとうな経済政策であったといえます。

 

 古代ローマ帝国でも、最後の五賢帝となったマルクス・アウレリウスは、頻発するようになった蛮族の侵入に対する国防費を捻出するために、デナリウス銀貨の価値を95%に下げて銀貨の流通量を増やしますが、当時の帝国経済には何も影響は出ませんでした。

 

 なので、この通貨切り下げという経済政策は、決して悪いものとは言えませんでした。

 

 

 なお、逆に言えば経済が悪化すれば、「銀貨」としての価値も下がります。

 

 そして「銀貨」としてではなく、含有している「銀」の量が重要視されてくる。

 

 ここでかつての「悪貨」が忌避されるわけです。

 

 では、「銀貨」が通貨ではなくなる状態とは?

 

 それは経済活動が弱まること。経済活動で必要とされ無くなれば、通貨はただの金属の塊に過ぎません。

 

 一円玉は一グラムのアルミニウムでできているのは有名な話。

 

 しかし、一円玉を作るコストは、一円以上かかってしまう。

 

 よく考えたらすごいことですよね。一円玉を一万枚集めて中国で売ったら、一万円以上になるかもしれないし(法律的に問題だと思う)。

 

 それでも、一円玉が「一円」として使用されているのは、日本の国内での経済活動が活発なためです。

 

 

 「一円玉」が、「一グラムのアルミの塊」になった日。それは日本が経済的に他国の支配下になる日、です。

 長くなったので続く