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ドラマ「ザ・クラウン」を日本の視点で見てみると その3

 

 ネットフリックスの人気シリーズ「ザ・クラウン」を日本の視点で見てみると、どうなるのか?

 

 何も考えずに始めてしまったのですが、予想以上に長くなってしまった。と同時に、時間がなくて更新できませんでした。スンマセン。

 

 前回は「王朝の交代の可能性」について、話しました。

 

 今回のテーマは「王と政治」について、です。

 

 

 立憲君主制と言えば、近代に欧州で誕生した、と、日本人の誰もが思うはず。

 

 それが日本にも導入された、と。

 

 現在に日本国憲法では、天皇は「象徴」とされ、政治的な行動はできません。

 

 天皇の行動、発言すべてが、権力の実行機関たる政府が用意したもの。(のはず)

 

 管理人が中学生のころのお話し。

 

 その頃、韓国の盧泰愚大統領が来日することになりました。

 

 この韓国大統領の来日に合わせ、日本のマスコミは沸騰します。

 

 ニュースステーションが大人気となっていた時期で、テレビをはじめとしたマスコミ言論が世相や政治に大きな影響を与えていた時代です。

 

 日本のマスコミは、大統領の来日に際し、平成天皇(現・上皇陛下)から、戦争に対する謝罪が行われるのではないか、どのように謝罪されるのか、と大々的に報道していました。当時は左派メディアが活発な時代でもありました。

 

 そんな盧泰愚大統領来日を目前に控えた時期に、中学の社会の授業で、当時の社会科の先生がこの件について話し始めました。

 先生曰く、「天皇は象徴だから、勝手に政治的な発言をすることはできないんだ。全て作られたセリフ通りに読まなければならないんだ」と。

 

 とにかく、象徴としての「天皇」ができること、を強く語っていました。

 

 さらに曰く「天皇個人がどう考えていようと、自分の意志で行動してはならないんだ」「勝手にドゲザすることはゆるされないんだ」とのこと。

 

 結局、韓国大統領に対し、平成天皇は「痛惜の念」という言葉を使用して、「お気持ち」(?)を表明。

 

 この件は一応、終了しました。

 

 妙にこの社会の授業の事を覚えていまして。

 この時に、象徴としての「天皇」と、憲法の関係を知ることができました。

 

 ・・・・と同時に、世界の「立憲君主国家」なるものは、どこもこのくらい「王室」をガッチガチにコントロールしているのだろう、と思い、それは成人になっても固定観念として残っていました。

 

 

 しかし、どうやら欧州では「立憲君主国家」と言っても、日本とは違うらしい。

 

 ドラマ「ザ・クラウン」では、エリザベス女王が、政治家と面談する様子が頻繁に描写されます。

 まあ、フィクションなんで、実際にはイギリス王と政治がどのくらい近いのかはわかりませんが。

 

 英国首相との面談で、女王は色々と政治問題について、やり取りもします。

 

 ちょっと驚いたのは、首相たちが正式に辞任を発表する前に、女王に謁見して辞意を伝えていること。女王はそれを引き留めたりもする。

 え?引き留めることなんてできるの?

 

 日本では、国会で首相が選出され、人事も決まった段階で、天皇は「任命する」儀式を行うだけ。

 

 デンマークのドラマ「コペンハーゲン 首相の決断」という、女性初の首相を主人公としたドラマでも、似たような場面があった。

 

 主人公の女性・ビアギッテ・ニュボーは、連立政権から女性初の首相「候補」として組閣人事を始めるものの、各党の思惑が入り乱れて頓挫。首相の座をあきらめるか否か、という事態にまで追い詰められます。

 その時に、ニュボーのパートナーである男性が、「組閣をあきらめ、人事権を女王に返還すると、女王に報告するべきだ」とアドバイスをしていまして。(「女王」はデンマーク王室の女王陛下のことですよ)

 

 ちょっと驚いた。

 

 前述のように日本では、全てが決まってから天皇はそれを承認するだけ。

 

 しかし、このドラマによるとデンマークでは、正式に首相に任命される前に、「権威」である女王から「組閣人事権」のようなものを渡されるらしい。

 

 つまり、デンマーク王の方が、日本の天皇よりも、少し政治と距離が近い。

 

 いや、天皇が完全に政治と引き離されている、と言えます。

 

 もちろん、デンマークでは王が実権を握っていることはなく、民主主義の国。

 

 ドラマ「ザ・クラウン」でも、政治からの意見は忠実に聞かなければならない、とされていました。

 

 ただ、立憲君主国家とはいえ、「王室」もしくは「皇室」と、「議会」もしくは「政府」との距離は、微妙に異なるらしい。

 

 案外、日本は最も政治から離されて、最もコントロールされている「権威」なのかもしれません。

 

 これは立憲君主国家の成り立ちの過程も大きく影響しているのでしょうね。

 

 日本では開国直後から明治政府の誕生まで、混乱期があったものの、割と短期間で「大日本帝国憲法」が成立し、立憲君主制が始まった印象がありますが、「近代化」の震源である欧州では異なります。

 現在の共和制や「議会制民主主義」の成立までに、「王党派」などの王権側の巻き返しがあったりして、時には内戦まで勃発。なんだかんだ言って、「近代化」に100年近くの年月を必要としました。

 

 フランス革命の象徴である「バスティーユ監獄襲撃」ですが、あれは始まりに過ぎないのです。

 

 王権と議会のせめぎあいの過程で、それぞれの国で「線引き」が成されていったため、一口に「立憲君主制」と言っても、その範囲は国ごとに異なるようです。

 

 明治維新についてはまだ語りたいことがあるものの、ここでは話を勧めます。

 

 

 そのようなわけで、基本的には政治の実権を持たない「権威」の側を描いた「ザ・クラウン」ですが、ちゃっかり「政治」の側が王室を利用していたりもする。

 

 

 

 ・・・・・すんません、忙しくて、一旦ここで。

 

 この後、「王室」と「政府」の2つの手段を駆使する英国外交の様子、そして王室とナチス党との関係について、触れていきます。

 

 

 続く