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「男系男子」を守らなければならない理由 その2

 管理人は、社会に出始めたころから、北海道新聞と読売新聞の2つを買って読んでいます。ここ数年は日曜版しか買ってないけど。日曜は本の書評が載っているので。

 

 なぜ、二紙を読んでいたかですが、北海道新聞は、「北海道」と名前が付くだけに北海道の話題が多く載っています。稚内にビルができた!なんてニュースが全国紙に載りますか?

 北海道という限られた地域ではありますが、北海道新幹線、鉄路の存廃問題、札幌五輪、核ゴミの受け入れ問題、ラピタス建設、最近では釧路湿原太陽光発電など、結構、大事な話題が続いてます。

 あと、夏の高校野球名寄地区予選も詳しく載ってますしね。

 全国的には北海道新聞は「全部赤い新聞」と、右か左か、で判断されることが多いのですが、地方ニュースなどでは、道外の人なら意外に感じるほど思想は反映されていません。

 かつては「再生可能エネルギーは絶対正義」としていた社説が、最近ではその弊害も報じ始めた一方で、まだ二酸化炭素の量にこだわるなど、なんか揺れているように見えますけど。

 

 一方の読売新聞ですが、こちらは言わずと知れた全国紙。

 視点が全く異なり、話題もやはり国政や中央の政界や経済界に関することが多い。地方に言及されることの方が少ないですね。

 

 そして新聞の性格を分ける「思想」の部分でも、上記のように北海道新聞は、全国の新聞の中でも「最も左」、「何なら朝日新聞よりも左」という評価が下される一方、読売新聞は「右」もしくは「穏健な右」とされる。

 

 つまり「地方、左」「中央もしくは全国、右」という、あらゆる点で対比的な新聞を見ることになります。

 

 なかなか面白いですよ。北海道新聞で大問題として扱われていることでも、読売新聞では全く扱われていないことの方が大半で、「まあ地方なんて見られてないやね」と、つくづく思います。

 

 

ただ、今朝の読売新聞を読んで、上記の視点での「読売新聞は右」という見方を訂正しなくてはいけない、と思いまして。

 

 今朝の読売新聞の社説にて、女系天皇を容認すべき、という論説が掲載されておりました。

 

 社会問題が多様になった現代において、「右」もしくは「保守」、「左」もしくは「革新」なんて単純に2つに分類できるわけないし、どちらかに所属することにこだわる意味もないとは思うものの、「右」に関して言えば「男系男子」という点は絶対に守らなければならない点だと思っています。

 正直言って、LGBTが進んで男子トイレの横で女性が用を足すのが認められようが、消費税がゼロになろうが100%になろうが、それは最終的にはその時々の社会風潮に合わせるしかない、と思っています。

 

 しかし、男系男子だけは守らなければならない、と思います。

 

 なぜなら、日本がこれまで滅ぶことなく、2000年もの間、持続しているのは、男系男子を守り続けてきた、からです。

 

 女性が王を引き継ぐことを認められた国では、その領土をめぐっての激しい政略結婚が繰り返された挙句、領土紛争の名分にも使われていました。

 

 日本も、多くの紛争が起こりましたが、それでも皇室だけは残り続けました。

 

 ざっくりいうと、平安時代までは天皇や皇室内部の闘争が多かった。

 天皇が隠居して「治天の君」となって、次の天皇の任命権(適切な表現ではありませんが、ここでは便宜上、「任命権」とします)を握ることで、権力に混乱と闘争を引き起こしました。

 

 現在の上皇陛下が「生前の譲位」を希望されたときに反対意見が出されたのも、かつての日本史において、治天の君天皇の二重権威によって、多くの混乱を引き起こした歴史があるためです。決して、上皇の意向に無視した、のではありません。天皇の代替わりは、2000年の歴史の中で多くの混乱と、時には血が流れる紛争が起こった末に、二度と混乱することが無いようにと定められた「ルール」なのです。

 

 天皇が今のように「象徴」となったのも、平安時代までは天皇が権力を持ち、それがために藤原氏を巻き込んだ政争に発展し、ついには武士という武力衝突を必要とした結果。

 もし、源頼朝の死後に鎌倉幕府が滅亡し、天皇に権力が戻っていたら、天皇は再び政争に巻き込まれ、いずれは天皇自体の滅亡につながったかもしれない。

 天皇やご皇室は、権力を手放したからこそ、ここまで存続できたと言える。

 

 しかし、幕府が権力を握った後も、鎌倉幕府大覚寺統持明院統の争いに翻弄されたし、その後の足利尊氏によって、天皇権威は分裂の憂き目にあいます。

 そして日本列島に二人の天皇が現れることになり、全国で血縁も超えた凄惨な争いが起こることになります。

 戦国時代は、天皇は一人であったため、最終的には天皇のもとに混乱がおさまりましたが、室町時代は不穏な情勢が続くことになります。

 

 そう、現在、天皇は象徴となっていますが、かつては紛争の中心の存在でもあったのです。

 皇族同士の皇位継承の争いも起こった。その都度、日本国内は混乱を疲弊を繰り返します。

 

 以下、不敬な物言いになってしまいますが。

 

 

 混乱を防ぐためにも、皇族数は多すぎてもいけないのです。適切な形でコントロールされなければならないのです。

 

 「男系男子」は、皇室という権威を安定して維持するための「ルール」なのです。

 

 権威を混乱や紛争から守り、さらには、権威の混乱から発生する日本国内の内紛や国家分裂を防止するための、大事なルールなのです。

 

 「皇位継承者」が分裂したことで、南朝北朝という分裂を招いてしまった。

 

 権威と権力の関係については、これまでもお話ししてきました。

 

 権威と権力が一体だった中国王朝は、王朝の滅亡が権力の滅亡を意味し、関係のない他の民族、氏族の新しい王朝となった。

 キリスト教では、キリスト教と各地の王という関係が成立し、キリスト教も権力に頻繁に介入した。

 イスラム教においても、スンニ派シーア派の分裂の元をたどってみてください。なぜ、分かれたのか。

 そして、なぜ、日本はいまだに存続できているのか。

 

皇室典範とは、天皇権威が暴走しないための大切なルールです。

これまでの日本史で繰り返された闘争の中から生まれた、争いを起こさないために必要なルールです。

 2000年の歴史にない「女系天皇」を創設することは、天皇や御皇室に分裂を引き起こす可能性を、新たに作ってしまうことになる。

 

 2000年の歴史を知っていれば、皇室典範は「古いしきたり」などではなく、それまでの歴史から生まれた、平和を持続するための「伝統」であり「ルール」であるとわかるはず。

 

 それでも「女系を認めないのは現代的ではない」という人もいるかもしれないし、読売新聞の社説ではいうかもしれない。

 

 その方にお聞きしますが、今、あなたが「現代的」と思っていることは、100年先の日本人と共有できることですか?

 1000年先の日本人も、あなたと同じ常識、感覚を持っているといえますか?

 

 現代人の「正しい」ということが、この先、2000年以上続くと思いますか?

 

 そんなわけないじゃん。

 

 現実には、自分の息子、娘とも共有できないでしょ。

 

 管理人の思春期の頃、「男女平等」が叫ばれ、それまで男女一緒だったことが分離されるようになりました。体育の着替えも男女一緒の教室で行うことも珍しくなかったし、公共のトイレも、男女共用が多かった。 

 それが男女別が浸透し始め、「レディースデー」なども始まりました。今では公共の施設では、女性専用トイレの方が多いくらいです。

 

 しかし、近年、LGBTの掛け声の下、分離したトイレを一つにする機運が出始めています。

 管理人には「1周回った」という感があります。

 

 「自然保護」も同様。

 30年前には「木を一本も切ってはいけない」と叫んでいた「革新系」の新聞が、木をなで斬りにしたり、湿原を埋め立てて造る「自然エネルギー装置」にはこぞって賛成している。

 

 考えが変わったんですね。

 

 

 たった30年でも、こんなに変わる。

 

 100年先の日本人が何を考えているかなんて、わかるわけない。

 

 皇室の伝統は、2000年の歴史の中から生まれたものであり、それは皇室自体を適切にコントロールするためのルールでもあるのです。

 

 現代的な感覚だけで判断してはいけない。

 

 

 今、愛子様の即位を熱心に薦める方がおられます。

 

 正直、なぜそこまでこだわるのか、わからない。天皇とはあくまでも象徴なのだから、愛子様であろうと秋篠宮様であろうと、現代では変わらない。

 

 愛子様が即位されたら、日本に劇的な変革が起こると思いますか?

 

 むしろ愛子様の即位によって、あらたな「皇統の対立」が起こりかねない。愛子様ご自身は、そんなことをのぞんでおられるのでしょうかね?

 

 日本は紆余曲折を経て「権威」と「権力」の両立させ、国体を維持してきました。

 

 100年先、1000年先の日本人にも残すためには、2000年の歴史から生まれた皇室の伝統を、「現在的感覚」だけで変えてはいけない。

 

 

 政治は現代的な感覚で変えるべき。かつては常識だったセクハラ、パワハラなどは、それによって非常識とされるようになりました。良いことですね。管理人の小学校のころは、スポーツの練習中に水を飲むのは厳禁でしたっけ。今では真逆。

 

 しかし、変えてはいけないものもある。

 

 10年、20年などの単位で見る視点と、2000年のスケールで見る視点と、両方を持つべきなのではないでしょうか?

 

 北海道新聞と読売新聞の二つを見るように。