ここからドラマの内容を語っていくのですが、シーズン開始早々の第二話にて、いきなり日本の皇室との違いが出てきます。
父王ジョージ6世が56歳の若さで突然、崩御。
そのあとを継いで王位を継承したのは、まだ26歳のエリザベス2世でした。
エリザベス女王は父王の崩御直後から女王となっていましたが、正式な戴冠式が迫ったある日のこと。
夫であるフィリップ(ここでは敬称略とさせてください。すみません)との会話で、今日の日本でも議論されている問題が語られています。
エリザベス女王はフィリップに、彼女が女王となっても、王朝はエリザベス女王の血統である「ウィンザー家」とする、と発言。
フィリップは反発します。
というのも、フィリップはエリザベス女王の即位と同時に、王室の血統をフィリップの家系である「マウントバッテン家」になることを望んでいたからです。
フィリップと敬称略で書いてしまいましたが、後にエディンバラ公となります。さすがに呼び捨ては失礼なので、ここからはエディンバラ公とさせていただきますが、このエディンバラ公の出身家も、なかなか高貴なものとなっています。
エディンバラ公の高祖父がロシア皇帝、高祖母がイギリス女王、曽祖父がデンマーク国王、祖父がギリシャ王。彼自身もギリシャ王子の息子として生まれました。
ここからして、日本の歴史だけの視点で見るとこんがらがってきますね。なんで彼のご先祖様はこんなに多くの王室と関係があるのか?
ここでは話を続けると、エディンバラ公が1歳のころにギリシャ王室が倒れ、共和制が樹立。エディンバラ公は、縁のあるイギリスへと移ります。(この辺、かなり省略しています。あまり指摘しないで、自分でお調べ遊ばせ)
エリザベス女王が王位についた1952年当時、ギリシャ王室の血統を受け継いでいるのはエディンバラ公ただ一人。
ドラマの中で、エリザベス女王が「王室はウィンザー家を続ける」と語った際に、彼は反発します。
彼はエリザベス女王の即位と同時に、代々の英国王室を継いできたウィンザー家ではなく、彼の出身であるマウントバッテン家となることを望んでいました。
これはドラマだけではなく、史実のようです。
これは歴史的にも重要な場面。
サラッと語られていますが、この時に王朝の交代が起こっていたのかもしれないのです。
もしかすると、本当に王室の姓がマウントバッテン家に変わっていたかもしれない。
これに対し、エリザベス女王だけではなく、当時のチャーチル首相もウィンザー家の存続を支持した、とのこと。
ここが日本とイギリス王室の大きな違い。
そう、欧州では女性も王位の継承が認められてきた。
しかしそれは「男女平等」の思想に基づくものではありません。
ローマ帝国の末期、コンスタンティヌス大帝がキリスト教に改宗したことでローマ帝国はキリスト教国となります。そしてもはや帝国内への侵入を止められなくなった蛮族に対し、皇帝は彼らをキリスト教に改宗させることで「味方」としていきます。もちろんただの宗教上の「味方」なので、事実上、ローマ帝国は虫食い状態のように蛮族が割拠するようになります。もはや帝国の中心であった元老院は有名無実化して消滅。帝国が雲散霧消する代わりにキリスト教が残ります。
キリスト教は王位の任命権を握ることで、各蛮族をコントロールしていきます。
やがて各蛮族は欧州の王朝へと変わっていきますが、ローマ教皇が王位を左右する図式は変わりありません。
そう、ローマ教皇が各王を任命するため、各王は敬虔なキリスト教徒であることが求められます。
「ザ・クラウン」の中でも、エリザベス女王ご自身が聖書の教えを重視している様子が描かれていますし、なによりもマーガレット王女が、相手の男に離婚歴があるというだけで結婚を許されなかったという事件が取り上げられています。キリスト教では離婚は認められていません。それでも俗世の人間なら離婚は支障ありませんが、王権の根拠がキリスト教徒である以上、王室の人間はキリスト教の教えの忠実でなければなりません。
任命権を握ったキリスト教ですが、もう一つ重要な点が、キリスト教の教えの中に一夫一妻がある、ということ。
日本を含む東洋の王朝では、側室や第二夫人と言った存在が当たり前に存在していました。そのため王朝の後継者も多く、東洋の王朝は100年単位の長期にわたることが珍しくありません。王朝の長期化は時に社会の安定をもたらしもしました。
しかし一夫一妻のキリスト教の教えを守ることが前提で王位に任命される西洋では、多くの王室が短命に終わり、王室が現れては消える、を繰り返します。
そのために、男系男子だけではなく女性の王位継承も認められました。
この女王の存在が認められた弊害が、領土支配を狙った政略結婚と、王位継承権を主張しての戦争の勃発です。
エディンバラ公にしても、ご先祖にロシア皇帝やデンマーク王がいる状況。もしかしたらロシア皇帝、デンマーク王の後継者を名乗ることもできたかもしれない。もちろん無理筋だけど、その無理筋を武力を持って行おうとしたのが中世では見られました。
要は領土拡大の大義名分にされた、と。
この政略結婚を使って、ほぼ欧州を支配したのがハプスブルク家。
神聖ローマ帝国皇帝をはじめ、スペイン王、ポルトガル王などを一族のモノで占め、欧州の広い範囲を支配します。そう、国境はあれど、一つの家の領土となっていたのです。
この一夫一妻の教えですが、結果として、ローマ帝国後の欧州に統一王朝が誕生しなかった理由にもなると思います。
また、キリスト教やローマ教皇が権力を維持するうえでも、強力な王朝の誕生は望まれなかった。
ここで重要なのは、「女王」は認められても、その「王位」を任命するキリスト教では、女性の「司祭」は認められていません。
話を「ザ・クラウン」に戻すと、結局、エディンバラ公はマウントバッテン家の再興をあきらめざるを得ませんでした。
そして「フィリップ王配」の「王配」ですが、Wikiによるとこれは「女王を配偶者に持つものに対して与えられる称号」とのこと。
「Wikiによると」などと書きましたが、日本では男を配偶者にもつ天皇が存在したことがなかったため、それに該当する言葉がなかった。本当に「王配」という日本語が存在するのかどうかも怪しいのです。
日本でも、女性の天皇は存在します。しかし女性が天皇であっても、配偶者を持つことはありませんでした。
そう、日本では男系男子が通されてきたので、王配が存在しなかったのです。
近年、天皇の女系継承が議論されることが多くなりました。
議論の内容も多彩ですが、単純に「欧州は王室も男女平等だから」というのでは、意味をはき違えていると言える。また、欧州と日本、双方の歴史と伝統を軽視していると言わざるを得ません。
そして女王の存在が認められていたからこそ、戦争をする理由にも使われた、という事実を見過ごすことはできない。
なによりも「キリスト教の要職には女性はついていない」という点。
キリスト教は王を「任命する」側。日本の皇室も「任命する」側。
任命する側は、伝統を固く守っている。
女性の社会進出はとても大事な点です。欧米が日本よりも進んでいる、というのもわかります。
しかし女性の王位継承が、「男女平等」の思想に成り立つもの、と考えるのは違う言わざるを得ない。
実際には「ザ・クラウン」で描かれているように、女王即位を利用した王朝の乗っ取りの可能性が常に存在していました。
このような重要な場面が、「サラッと」描かれるあたり、欧米では王朝の交代が、こういう形で行われることが珍しくなかった、ということでしょうか?
長くなってしまったので続きます。
追記
中世の欧州において、カトリックの総本山であるローマ教皇に任命される神聖ローマ皇帝のおひざ元であるドイツで、プロテスタントが勃興したことを、ずっと不思議に思っていました。しかも神聖ローマ皇帝が裏で支援していたフシもうかがえる。自らの権力の基盤であるカトリックを弱めてどうする?と。
でも、ローマ教皇が任命権を盾に神聖ローマ帝国皇帝を操ろうとするさまを見て、思ったんですよ。むしろローマ教皇に圧力をかける意味で、プロテスタントの運動を激化させたのではないか?と。
誰か詳しい人、教えて。