1,グラディエーター
時は古代ローマ帝国の時代。
五賢帝の最後の一人、マルクス・アウレリウスは、自身の最期が近づいていることを予期していた。
ローマ帝国の永続のために彼が後継の皇帝に指名したのは、ゲルマニアで指揮を執るマキシマス将軍であった。
しかし、自分が後継になると確信していたマルクス・アウレリウスの息子コモドゥスは激しく反発し、父を殺害してしまう。
そして、忠誠を拒否したマキシマス将軍を罷免し、反逆者として追跡を開始。
はるばる自領に戻ったマキシマスを待っていたのは、コモドゥスの手下により殺害された、妻と息子の死体であった。
全てを失ったマキシマスは奴隷としてさらわれる。
そして、帝国の辺境の街の小さな闘技場で、グラディエーターとして立ち上がった!
胸に復讐を誓いながら・・・。
古代ローマ帝国の「五賢帝時代」は、「人類史上、最も幸福だった時代」と称されるほどの帝国の最隆盛期。しかし、最後の五賢帝であるマルクス・アウレリウスの時代になると、蛮族の勢いが強まり、ついには蛮族がドナウ川を越えて帝国内に侵入する事態まで発生!
この時は強力なローマ軍により撃退されたものの、帝政以降、200年近くも帝国内への蛮族の侵入を許さなかった「パクス・ロマーナ」が崩れたこと自体に、帝国中に衝撃が走ったのでした。
「哲人皇帝」と言われる程、哲学に傾倒していたマルクス・アウレリウスは、「自省録」と呼ばれる著作も執筆し、2000年経った現代でも「名著」とされています。
そう、マルクス・アウレリウスこそ、古代ローマを代表する「意識高い系」だったのです!
しかし、上記のように、国境で事態が変化しつつあったためにマルクス・アウレリウスは、哲学を追求することもできず、戦線で日々を過ごすことになります。
苦手な戦を経験するうちに、彼は立派な指揮官となり、ついには逆に国境線を超えて蛮族領内へ侵攻するまでに、情勢を覆します。
で、ここで寿命を迎えたのでしたが、映画では叩き上げの将軍を後継に指名していますが、このマキシマスという人物は創作だったらしい。一部で「この人ではないか?」というモデルもいるみたいだけど。
「マキシマス・デシムス・メリディアス」という名前も、主演のラッセル・クロウが考えた、とインタビュー番組で本人が語っているのを見たことがあります。
史実では、マルクス・アウレリウスは、息子のコモドゥスを後継に指名し、コモドゥスが皇帝の座につきました。
で、このコモドゥスは、カリギュラ、ネロとならんで評判が悪い。創作では悪役として描かれることの方が多いですね。
実際、彼は周囲を遠ざける行動を取っていたようです。
この時のローマ帝国は、自国内への蛮族の侵入こそ許したものの、強力なローマ軍は健在で、これまでのように皇帝、元老院、軍が円滑に動けば、まだまだ蛮族を跳ね返すこともできました。
ただ、コモドゥスの後、ローマ帝国は皇帝を巡る争いが頻発するようになり、国内の不安定によって国外への防衛力も弱まっていき、それに反して蛮族の数も勢いも増していきます。
ユーラシアの反対にあるモンゴル付近にいた「匈奴」の勢いが増して、中央アジアの草原地帯を支配したため、そこにいた騎馬民族が追い出されるように西へ西へと移動を始めた、そうです。ゲルマン人の侵入も、玉突き状に押し出された結果の産物。
そして古代ローマは、ゆっくりと崩壊へと向かっていきます。
なお、映画の中でマキシマスは、ついに復讐を果たしますが、この過程が実に古代ローマ帝国らしい。
皇帝と聞くと日本人は、東洋、特に中国王朝の「皇帝」をイメージしてしまうと思います。
中国の皇帝は正に絶対権力者で、剣闘士のようなパンピーが、直接、皇帝に目通りできるなんてことはあり得ません。
しかし、古代ローマ帝国の「皇帝」は、一応、元老院によって任命され、また選挙によってえらばれる「執政官」でもあるため、民主的な性格を残しているのです。
そのため、皇帝と言えど、民衆の声を無視することはできませんでした。
この映画では、それが極端な形で描かれているものの、古代ローマ帝国の「皇帝」というものを、よく示しています。
結構な無理筋はあるものの、映画のようなストーリーは、不可能ではなかった、と言えるかもしれません。
なんかダラダラ長く語ってしまったけど、人望も実績も十分で、次期皇帝と目されて将軍が、一気に古代社会の最下層に落とされて、そこから這い上がって、ついには皇帝と対決する、という、「復讐のレベル」で言えば、かなり高い映画。
正に、「意識低い系」という社会の最下層に落とされた諸君にうってつけの作品である。
続く