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イギリスの歴史の「お」勉強

 完全に趣味で進めている歴史の「お」勉強。

 

 どうにかおフランスを終え、イギリスの歴史に入りました。

 

イギリス史を知る中で、中世の歴史における「カトリック」「プロテスタント」の変転が興味深いですね。

 

 つまり国の信仰が「カトリック」だと、カトリックの総本山であるローマ教皇の意向を無視できなくなる。

 封建時代の名残が強い中世では、国王が全国を掌握することはできず、修道院が地域の教育や司法、行政の一部を担っていたようです。また、修道院の持つ土地や収入もバカにできず。

 つまり信仰と政治方針が混在している。

 ここで「カトリック」を国教とすると、修道院は国王と法皇の二つの意向を無視できない。国王としても法皇が干渉する口実を残すことになる。

 

 一方のプロテスタントではそれがない。

 

 なので、国内統治を徹底したい場合はカトリックを辞めてプロテスタントにする、など、国内の政治方針によっても信仰を選択しているのが、なかなか面白いですね。

 

 とはいえ、カトリックの国であるフランスは、ローマ教皇と対立ばっかりしていますが。

 

 なお、日本でも室町時代足利将軍家が、京都五山の先任権を元に各寺から「収入」を得ていたようです。

 数年前に読んだ論旨にて地方のある寺のことについて、研究されていたのですが、その寺は京都にある大きなお寺の「系列」もしくは「支店」のようなもので、「本寺」が京都五山に選ばれるために将軍家への多額の献金が必要になったとき、本寺から「支店」であるその寺にもお金を送金するように命令がされていました。

 

 室町幕府は決して全国政権ではなく、連合政権を実態としていましたが、京都五山の任命権を元に全国の寺に影響力を確保していた模様。

 

 まあ、カトリックプロテスタントの違いについては、まだまだ学ぶことが多そう。