一年って、早いですね。え?まだ3月だ!って?
昨年までの自分なら、そう言っていたかもしれない。
でも、ブログ開始により「意識高い系」になってしまい、「今年の目標」を持ってしまった自分にとって、あまりにもあっという間だった!だって、もうすぐ一年の4分の1が過ぎようとしているんですよ!!
この2か月半、ひたすら「お」勉強をしていました。
速いわあ。一年。
で、昨日、スペイン・ポルトガルの歴史を終えました。
これまでカトリックながらもローマ教皇と対立もしたフランス、国内情勢が変わるたびに宗派も揺れて、最終的に完全な独立を得るためにプロテスタント・国教会を選んだイギリス、とみてきましたが、スペインは中世までカトリック一色。あくまでも概説書を読んだ結果だからかもしれませんが、プロテスタントの影も見えませんでした。
これはスペイン・ポルトガルのあるイベリア半島が一時期、イスラム勢力の下にあったことに理由があります。
つまり「レコンキスタ」という名の十字軍活動を行うには、ローマ教皇の権威を必要としたのでした。
ただ、イベリア半島からイスラム勢力が姿を消した後も、カトリックの勢力は揺るぎませんでした。
このレコンキスタの際に、イベリア半島には複数のキリスト教国が誕生したのですが、イスラムというキリスト教の共通の敵がいなくなった後、イベリア半島ではキリスト教諸国同士の主導権争いが始まりました。
この際に、イベリア半島内での有利な立場を取るためにローマ教皇から直接、イベリア半島での支配者に任じてもらう、という競争が起きます。つまりイベリア半島内での主導権争いのためにもローマ教皇の権威を必要としていたのでした。
ポルトガルも、イベリア半島内で独立するために、イベリア半島内での「宗主国」に当たったカスティーリャではなく、ローマ教皇と直接交渉することで、ローマ教皇自らの「ポルトガルの独立」の承認を得たのでした。
つまりスペイン・ポルトガルでは自国の地位を安泰にするためにも、外部の権威に頼らざる得なかった、という面もあるのかなあ、と、漠然と思っています。
次はカトリックの総本山、イタリアの歴史を「お」勉強しようと思います