意識低い系、日本代表宣言!!

意識の低い人間が、意識の低い情報を、意識を低くしてあなたにお届け!!

ほんとにすみません

 

 「古代ローマヴェネチア」などという、壮大なテーマを掲げたくせに更新ができておらず、申し訳ありません。

 わずかではありますが、ご覧いただいている方がいるため、最近のことなどを。

 

 ひょんなことから数年に一度の大処分みたいなことが始まりまして。

 

 もうしばらくかかる模様。

 

 ローマとヴェネチアですが、どちらも塩野七生氏の著作をもとにお話ししようと思いました。

 

 欧州はおろか、アフリカ、中東までをも支配した世界国家のローマ帝国と、領土を持たず、国家を上げて経済にまい進した都市国家ヴェネチア

 

 

 塩野氏は、両極端の国家を取り上げていました。

 

 塩野氏は、二つの国家に共通する点に興味を抱いた、とのこと。

 

 それはどちらも1000年もの長期にわたって存続しただけではなく、世界や欧州の中心となり続けたこと。

 

 古代から興亡を繰り返してきた欧州で、なぜこの2つの国は生き残ることができたのか?

 

 なぜ、日本が存続できているのか?という疑問へのヒントが明示されています。

 

 夏休みが近づいてきました。

 

 この夏、ぜひ、この2つの作品を読むことをお勧めします!まあ、ローマ人は長いけどね。

 

 

 

 

古代ローマとヴェネチア その1

 先日、都知事選挙に立候補した、安芸高田市長の石丸氏ですが、余計な一言を言ってしまって、早速、都民から総スカンを食らっています。

 

 そりゃそうだよね。都知事なんだから都民を優先することを言えよ、とは思う。

 

 函館に新幹線を実現する、と言ってしまうくらいのことを言うべき。

 

 函館の新幹線の公約は、まだいいですよ。その後、実行しているから。

 

 地方の選挙の公約なんてのは、大抵は実行されません。

 

 管理人が覚えている中で最大の「大ボラ」が、札幌市営地下鉄のJR線への乗り入れ、です。

 これは無理ですね。ご存知の方も多いかもしれないけど、札幌市営地下鉄の車輪はゴムタイヤなんですよね。レールも、鉄道のように細いのではなく、幅がかなり広いです。

 あれ、どうなったんかね。少しは前向きに動いたのだろうか。

 おそらく、すぐに誰も口にしなくなったんだと思う。

 

 そんな石丸氏に、一発逆転の作戦をご提案します。

 

 その名も「8つのゼロ公約」!

 

 小池氏が「7つのゼロ」なら、こっちは一個増やしちゃうぞ、と。

 

 そして8つ目の公約に「公約達成ゼロ」を掲げれば、「何もしてないじゃん!」

という批判をかわすことができます。だって公約に書いてあるんだもん!

 

 さて、石丸氏の過激発言ですが、選挙を別にすれば、地方民にとっては、一理あると思った方も多いのでは?

 

 1998年に大店法が成立して以来、地方の都市は大きく変わってしまった。

 

 イオンに代表される大型ショッピングモールが進出し、駅前に集中していた商店街や「地方デパート」を圧迫。今では駅前が一番寂れている、という都市が多いと思う。

 

 そして駅前ではなく、広大な駐車場を完備した大型の家電品店や家具店、ドラッグストアなどが、郊外の国道沿いに集積し、そこが都市で一番にぎわう場所となった。

 

 また、結構、耳にするのが「談合がなくなった」という話。昔は地方の公共施設の工事は、地方の会社が持ち回りで応札して、それぞれの会社が利益を上げる仕組みになっていた。それが厳しく規制されるようになってから、東京本社の会社が参入するようになった。建設関係の方からは「談合はいいシステムだったんですよ」とよく聞いた。

 まあ、弊害もあったんだけどね。

 

 それら大型店舗の本社は首都圏に集中しているため、法人税などは首都圏に集中することに。

 そして地場産業が弱ったところで東京資本に買収され、ということが繰り返されてきたのが、「失われた30年」の地方。

 

 上に挙げたことは、良い面も悪い面もあった。

 

 良い面は、地方にお金が落ちたということ。

 悪い面は、地方の閉鎖性を強めた、ということ。

 

 地方に住んでいたら、なんとなくわかるでしょ。地方の閉鎖的なところ。東京などの経済評論家やコメンテーターは、地方の名士と交流するからそういう面での情報しか入らないだろうけど。地方都市で人口が減っているのは、その空気を嫌がって、という面もあるんだけどね。新規はかなり厳しかった、と言える。

 安芸高田市がどうだ、とは言えないけど、地方都市の閉塞感の原因なんて、想像できそうなもの。

 カエサルは執政官に就任した際に、元老院での議事内容を全て公開して市民を味方につけることで、議会での劣勢をはねのけようとした。

 

 石丸氏もそれを利用して、強行突破しようとしていたのなら、地方では有効かもしれない。

 

 問題は、あそこまで公開し、あそこまで議員を敵に仕立てででもやりたかったことが何か、がわからない、ということ。石丸氏のヒーロー像だけが有名になった。

 

 って、仕事だから続く!

最後の復活「TPぼん」

 今や国際文化となった日本の「マンガ」。

 

 キャプテン翼の最終回では、海外の大物選手がコメントを寄せ、鳥山明氏の訃報では、世界各国から多くの哀悼の意が表明されました。日本から遠い南米のアルゼンチンでは、追悼のため自発的に多くの人が集まり、2万人にも達した、とのこと。

 

 ジャンプリアル世代の管理人にとって、不謹慎ながら、まさかここまで認知度が上がっていたとは思わなかった。

 

 「失って初めて気づく」という言葉が、一層、沁みてしまった。

 

 マンガは、今ではディズニーを超えるコンテンツになっています。

 

 数年前に、シティーハンターが、なんとフランスで実写化されたのには驚いた!

 

 そして日本でも実写化されて、人気となっています。

 

 80年代以降のマンガ、アニメ文化が注目を集めていますが、今、あの巨匠の作品もリバイバルされています。

 

 昨年、今年は言わずと知れた国民的漫画家・藤子不二雄の藤本氏の生誕90年の記念すべき年。

 

 それに合わせて、藤本氏の作品である「TPぼん」が、ネットフリックスでリメイクされたのです。

 

 「TPぼん」は、平凡な男子中学生が、ある日突然、未来の組織である「タイムパトロール」の隊員になってしまったことから始まります。

 そして、西洋東洋を問わず、歴史の舞台を巡る冒険へとつながっていきます。

 

 管理人は、この作品が好きでして。原作は1978年から1986年まで連載されたのですが、90年代に発売された「豪華版」を購入し、何度も読みました。

 

 ネットフリックスのアニメ版を見ました。面白かった。そして、この作品をリメイクするには、今が最後の機会だった、と思いました。

 

 この作品では、魔女狩りマラトンの逸話、ピラミッド、三蔵法師の過酷な旅など、様々な歴史の場面が登場するのですが、当然、日本史もあります。

 その中には、戦前、戦後の話もあります。

 

 正直言うと、現代から見れば、太平洋戦争は歴史になりつつある。(もちろん戦争の記憶は消えていません)

 しかし原作が発表されたのが70年代から80年代にかけて、ということで、戦争を体験された方が日本人の多くを構成しており、戦争の記憶も、まだ生々しく、現在よりも日常生活と深く関係していました。

 そのため、作中の戦争のお話も、主人公の日常と強く関係して描かれていました。

 古代ギリシャのお話などは、絶対的に遠い過去なので、主人公も傍観者という立場でしたが、戦争の話は遠い過去ではなかったので、傍観者ではいられなかった。

 

 アニメ版第8話「戦場の美少女」というエピソード。

 

 このお話を、ネットフリックス版をベースにお話しします。

 

 ある時、主人公は、近所の人にインタビューをする、という課題をこなすために、90歳のおばあさんを訪ねます。おばあさんは元教師ということもあり、90歳にも関わらず矍鑠としており、主人公に宿題をさせようとして主人公は慌ててしまう。このお婆さんは悲恋の人で、10代の学生のころに婚約者が召集されてしまい、その婚約者は後に特攻隊員となって亡くなってしまう。以来、お婆さんは結婚せず、独身をとおしている、とのこと。ここで時が止まり、主人公は1945年の沖縄戦で、たった一人の日本兵を助ける、という任務を受けます。

 そして1945年の沖縄へ。

 到着早々、主人公は激戦の海上戦の真っただ中へ進んでいきます。

 

 戦争を知らない現代っ子だった主人公は、自分の周囲すべてで爆発が起こり、特攻隊機が撃墜される様を見て絶望し、全員を助けるべき!と絶叫しますが、たった一人しか救うことはできない。科学が進化してタイムトラベルも可能になったのに、一人しか救うことができないことに、無力さを痛感させられます。

 

 その中から目的の人物の乗った特攻機を見つけ出した主人公は、墜落する機体を陸地に誘導し、ケガの無い形で脱出させます。

 

 生き残った特攻隊員は、そのまま逃げるかと思いきや、生き残ってしまったことを恥じて拳銃で自決しようとしますが、主人公が妨害して自決できません。

 

 それじゃあ、と、戦場で拾った日本刀を手にして米軍へ一人、突撃をしようと試みたため、主人公が思いとどまるように説得します。「日本は負けたんだ」「その後、発展したんだ」と。しかし「日本は負けた」という言葉に特攻隊員は激怒し、主人公たちをスパイと決めつけて攻撃し始める始末。

 

 なんとか逃げ切ったものの、どう思いとどまらせればいいのか、方法が思い浮かばない。

 特攻隊員は、米軍陣地へ特攻するため、夜を待ちます。

 夜が更けて満月を見た時、召集前に分かれてきた女性を思いだしていました。

 

 その女性こそ、実は冒頭で登場した90歳のお婆さんだったのです。

 

 主人公たちは、特攻前の隊員の意識と、現代(2020年代)のお婆さんの意識を結んで、お婆さんに説得をゆだねます。

 

 説得の仕方で原作とネットフリックス版で違いはあるのですが、お婆さんが隊員と人生を歩みたかった、と伝えたのは変わらない。

 

 夢の中で、許嫁からの説得を受けた隊員は、白いマフラーを白旗として掲げ、米軍へ投降していったのでした。

 

 現代に戻った主人公に対し、お婆さんは「主人と孫が来るから今日はおしまい」と伝えました。

 

 そう、歴史が変わって、特攻隊員は故郷へ帰り、許嫁と結婚して家庭を持っていたのでした。

 

 最後の場面で、主人公は、ご主人と思しきご高齢の男性と、その傍らで一緒に歩く、孫と思しき若い女性とすれ違います。おそらく、お婆さんのご主人とお孫さんなんでしょうね。

 

 80年代に描かれた原作では、この場面は「主人と子供が帰ってくるから」となっている。

 

 そう、80年代まではまだご夫婦は若く、「子供」までを持っていた。

 

 しかし2020年代ではさすがに子供ではなく、孫に変わっていた。

 

 原作の80年代で夫婦の設定は40代~50代くらいか?

 それがネットフリックス版の2020年代では、夫婦の年齢は90代。

 

 もし、あと10年経っていたら、この原作話は映像化できたのか?

 

 100歳の時代とは言え、完全な形で再現するには、さすがに無理があったと思われます。

 

 つまりこのエピソードを再現するには、今が最後の機会だったのではないか、と。

 

 そういう意味では、よく映像化してくれたなあ、と思います。

 

 このエピソードは、原作のころから心に残るものがありました。

 

 藤子不二雄は戦争に関するマンガを多数、発表しています。しかし、戦争を肯定的に考えていたのか、否定的にとらえていたのか、作品だけでは判別しがたい。

 いや、戦争をリアルに体験した世代にとって、肯定的も否定的も関係ないのかもしれない。

 

 そして、この「特攻隊員が帰還する」あるいは「戦死した英霊が日本に帰還する」というお話は、これまで多く目にしてきました。

 

 数年前にご紹介した「旭川に帰還した部隊」のお話もありますし、倉本聰氏の「き国」(漢字変換できませんでした)などもあります。

 

 戦後の世代の方は、戦争の賛否は別に、創作であれ、戦争で亡くなった方々に、日本に帰国してもらいたかったのでしょうか。

 戦後、発展した日本を見てもらいたかったのか。戦後に発展したことに罪悪心を持ったのか。真意は作者の方それぞれにあると思いますが。

 

 少なくとも藤本先生は、「帰国」した特攻隊員に、ハッピーエンドを用意していました。

 せめて作中だけでも、幸せになって欲しかったのかもしれません。

 

 

 管理人は、子供のころから日本史が好きだったのですが、歴史好きにありがちな「戦国時代と幕末だけ詳しい」といった具合で、日本史を通して知ろうとしたことはありませんでした。

 

 30代になって、「ローマ人の物語」に影響を受けてしまったときに、「じゃあ日本史を見てみよう」と思い立って、日本史のお勉強を始めます。それまでは別に「歴史に関する考え」なんてものはなく、「ローマ人~」のように、面白いことがあればなあ、としか思ってなかった。

 

 しかし歴史を学んだことで、結局、自分は、2000年を経た先にいるだけに過ぎない、と思い知った。

 今、平和で、比較的安定した社会があるのも、これまでの2000年の間に、様々な権力争いや、政争、戦争を経た結果なんだ、と。

 天皇権威を巡る争いや、権威と権力の分離を巡る争い、南北朝の動乱や戦国時代、関が原、江戸時代までの封建時代を経て近代化に至り、太平洋戦争を迎える。

 

 その結果、管理人の世代で、過去の歴史を裁判官のように裁くことの無意味さを感じました。だって、その結果が積みあがって、今があるのだもの。

 

 そして、それぞれの時代を生きていた人は、その時代にあった常識の中で生きてきた。その常識を裁くことができるほど、現代は完全無欠なのか?

 

 そして戦争で亡くなった方々。

 

 戦争の結果を知り、その後の繁栄を享受している現代人にとって、負けがわかっている戦争を裁くのは簡単だし、特攻隊員を「負け戦に命を落とすのはおろかだ」というのは簡単。

 

 しかし、戦争で亡くなった方々や、特攻の方々は当然ながら歴史の結果など知らず、それぞれが国や故郷、家族の未来を信じて命を捧げた。未来につながると信じて。

 

 「お前に何がわかるのか?」と言われたら、言い返せません。

 

 

 

 戦争で亡くなった方々の捧げた命に意味があったのか?

 

 これを現代人が裁くことなんてできますか?

 

 せめて今はそんなことは考えず、安らかに眠っていていただきたい。

 

 日本史を学んでから、機会があれば靖国神社に参拝にいきました。

 

 以前なら「右翼だ」とか「戦争礼賛だ」と言われるのではないか、と思っていたし、以前は自分も、靖国神社に参拝に行く人は右翼だ、くらいに思っていた。

 

 しかし日本史を学んだ後、そう思われることが怖くなくなった。

 

 あそこに眠っているのは、日本のために命を捧げた方々。

 

 戦争の善悪なんて関係ないです。

 

 ただただ、安らかに眠っていてほしい、という思いだけ。

 

 そうしないと、本当に「無駄死に」になってしまう気がして。

 

 少なくとも、今も日本は続いている。

 

 他の国のような宗教的な紛争もなく、大きな混乱もなく。

 

 それが答えなのでは?

 

 靖国神社の参拝は、「戦争礼賛」とか、善悪や正否を超えたところにある。

 

 そろそろ、偏見無く、靖国神社を参拝してもよいころだと思う。

 

 

なぜ、知床岬に太陽光パネルを設置することに反対するのか

 

*今回、知床に関する記事を始める前に、管理人は以下のことを大前提としております。

 ①人命が第一であるということ。

  2年前に痛ましい事故が発生してしまいました。今後、同じ事態を引き起こさないために安全策が講じられるべき、と考えております。

 

 ②太陽光発電なら何でも反対、ではないということ。

  太陽光発電のみならず、再生可能エネルギーの推進に、すべて反対する、ということではありません。

  しかし、近年、問題になっているのは、国立公園内の自然を破壊してまで太陽光発電を設置する、ということ。ルールなき再エネ推進には、断固反対します。

 

 

 

 

 

 

 

 知床岬に太陽光発電を設置する計画がある、と、1か月前に報道がされてから、徐々に注目を集め始めました。

 

 案の定、というか、全国から反対の声が上がっています。

 

 

 

 なぜ、知床岬に太陽光発電を設置することに反対するのか、ですが、世界自然遺産だから、です。

 

 もともと知床が世界遺産に登録された際にも、域内の人口物などへの対処について、条件が付けられていました。

 なので、本来は、新たな人工物を設置しないのが原則のはず。

 実際、オマーン・ドイツ・イギリスなどの世界遺産は、それぞれ開発が進んだために登録が抹消されてしまいました。

 

 知床岬は、まさに世界遺産の最深部に当たる場所。

 そこにある木々を伐採して264枚もの太陽光発電を設置する、というのは、世界遺産の主旨に反しています。

 

 また、そもそも、知床は昭和の時代から、国内の自然保護運動(政治に利用された面も含める)の中心的な存在として、数年あるいは数十年の単位で話題になってきました。

 知床には、国内のナショナルトラスト運動の先駆けとなった「知床100平方メートル運動」の土地もあり、「自然保護」の象徴として認知されてきました。

 

 世界遺産登録は、その保護運動の帰結として、認識されたはず。

 

 つーかね、40年前にも知床伐採問題というのが勃発して、国会で取り上げられるまでの社会問題になったんだけどね。斜里町長選挙が全国の注目を集めちゃったんだよ?

 あの時の伐採計画は、当時は合法だった国立公園内の木を伐採して、その跡地に植林をする、という、フツーの営林活動だった。それがおかしな方向へと向かってしまったわけです。

 

 植林すると、といっても「ダメだ!」となったのに、太陽光パネルなんて設置したら、木も生えてきません。

 

 つーか、知床のどこにパネルを設置しようとしてるかわかる?

 避難港の文吉港の周辺。オホーツク海側。

 で、知床岬の写真を見てください。山でしょ?

 オホーツク海側なんだから、北側の斜面です。南向いてないじゃん!

 また、知床なんて一年の大半は雪に覆われています。

 知床横断道路もGWに合わせて、無理やり除雪して開通させています。雪の壁の中を車が通ります。

 シーズンなんて、五か月もないのではないか?

 雪に覆われるのだから、当然、発電なんてできません。また、雪の重みでパネルが破損する事例も報告されています。

 ソーラーパネルには、有害物質も使用されています。

 もし、パネルが破損してそれらの有害物質が地面に浸透してしまったら、植生に大きな影響を与えてしまいます。

 2月からの1か月間は、流氷に覆われるので、上陸できません。

 

*余談だけど、北海道新幹線の建設の際に「有害物質の含まれた汚染土をどうするか」というのが北海道新聞などでも問題になっていたけど、太陽光発電パネルなんていう、有害物質を含んだ人工物の設置は無条件なんですね。アスベストのある建物は「有害だ!」と壊すのに、カドミウムはOKなのはなぜ?イタイイタイ病の原因になったけど。

 

 また、今年、仙台などで太陽光発電の火災が発生しましたが、その際、有害物質が飛散する恐れがあったため、消火活動ができなかったそうです。

 

 知床岬で起こったらどうすんの?

 

 ここまでわかって、反対している。

 

 脊髄反社で逆張りするほうこそ、知能が低いのでは?

 

 

 で、他の地域の事例を調べてみたんですよね。

 

 富士山は、ライブ配信が行われていますね。

 これは、7月から9月までの期間限定で、臨時の携帯基地局が設置されるそうです。

 電源は山小屋の発電機。

 

 これでいいじゃん。

 

 知床も、観光期間はそんなに長くないのだから、観光シーズンに限定して文吉港に基地局を設置する。その間だけ文吉港に人を常駐させて、発電機を設置する。

 どうしても灯台基地局を設置したい、というのであれば、シーズンだけの撤去可能な電線を設置する。

 

 

 つーか、むしろ富士山の山頂にソーラーパネルを敷き詰めたらどう?

 

 そもそも2年前の事故は、船が外洋向けではなかったり、内部に欠陥があったり、通信手段がおろそかだった、などという人災の面が大きかった。

 

 衛星電話などを使用すればいいのでは?

 

 

 つーか、全国の皆さんは、知床に何を求めているのか?

 

 手つかずの自然を求めているのでは?

 

 太陽光発電に反対してるのではない。

 「世界遺産に設置する」ことに反対している。

 

 

追記

 

 書いていて思ったのだけど、漁業関係者も希望している、と会ったけど、結局は冬はパネルが雪に覆われて発電できないんだから、意味ないじゃん。

 

 ますます、何で太陽光発電じゃなければだめなんだ?という思いを強くした。

国立公園「日高山脈襟裳十勝」爆誕!!

 

 もう20年も前のお話をします。

 

 平成の大合併が叫ばれ、全国の自治体で広域合併が行われました。

 正直、かなり強引な合併も行われ、釧路などは「飛び地」ができる結果に。

 

 また、全国で合併後の新しい市の名前が話題になりました。平仮名の市の名前も増えました。中にはトラブルとなった自治体もあります。

 愛知県では中部国際空港の開港を控え、空港のある自治体が「南セントレア市」にするとなり、全国ニュースとなりました。セントレアというのは中部国際空港の別名ですね。

 この名前に対し、地元で反対の声が噴出。取り下げることとなりました。

 

 他に、長野県では「南アルプス市」が誕生。日本なのに「アルプス」を名乗ってよいのか?という疑問がありつつも、現在に至ります。

 その際、全国的に少しだけ話題になったのが「南アルプス中学校」の略称はどうなってしまうのか?というもの。

 皆さんも「市立南中学校」なら「ナンチュウ」とか、地元の略称があると思うのですが、南アルプス中学校の場合「アルチュウ」になってしまうのではないか?と地元の中学生から不安の声が上がった、とのこと。

 まあ、ネタなんだけどね。

 南アルプス市の中学生諸君!

 北海道には「喜茂別高校(きもべつこうこう)」「蘭越高校(らんこしこうこう)」があるぞ!

 

 で、ですね、そんな感じで新自治体名で論争が起きることも珍しくなかったのですが、道東でも騒動が起こりまして。

 

 標津と中標津羅臼(違うかもしれない)が合併して、「東オホーツク市」にする、という構想が浮上したのです!

 

 これ、衝撃的なニュースとなりまして。

 標津と中標津羅臼は「根室支庁(今は根室振興局)」に属していまして。

 堂々と「オホーツク支庁」と名乗っていたオホーツク地方の自治体から、不満の声が出たのです。

 

 つーか、地元が最も驚いたのは、北海道と国後島の間の海峡も、「オホーツク海」だったのかよ!ってこと。

 この海峡は「根室海峡」とか「野付水道」などと呼ばれるのがフツーになっており、それが独立名称となっていると思い込んでいた。

 そう考えると、二つの海が接する場合、どこが境界線になるんでしょうかね?

 地図マニアよ、面白いネタができたぞ!

 

 つーか、すでにロシアの極東に「オホーツク市」があるのに、なんで日本にロシアの名前の自治体ができるんだ?と。

 ちなみにオホーツク市は、オホーツク海を挟んで北海道の対岸にあります。かなり北方。もはや北極圏なのではないか?

 人口は3330人だそうです。

 誰か、行って見てくんない?

 

 で、その東オホーツク市構想ですが、地元の人の投票によって、合併自体が消えました。中標津も標津も羅臼も、儲かっている自治体のうちに入るのでは?

 人口は少ないけど、中標津はなかなかすごいよ。

 

 

 ああ、前置きが長くなってしまった。

 

 この秋くらいに、新しい国立公園が、北海道に誕生します。

 

 日高山脈襟裳十勝国立公園です!

 

 ・・・・・・また、長ったらしい名前ができてしまった。

 それも「新函館北斗駅」を超えるレベル。

 十勝地方の希望で、最後に十勝が加わることになった、とのこと。

 

 これ、全国の皆さんはどう思います?いろんな思惑が見えてしまう名前だけに、かえってイメージが悪化してしまうのでは?

 

 この新国立公園は、日高山脈を中心とした範囲で、ここは確かに名峰が並び、独特の生態系があり、公園区域の南部にあるアポイ岳は、世界でも珍しい、マグマが固まった「かんらん石」を見ることができます。アポイ岳世界ジオパークにも選ばれているので、国立公園になるのは問題ないと思われます、が。

 

 名前がね。

 

 十勝の人の気持ちもわかる。十勝からはほぼどこからでも日高山脈を見ることができます。

 正に札幌との「壁」という感じ。

 「日高山脈」という名前だけど、日高地方よりも十勝から見たほうが、視覚的にインパクトが大きいのは事実。

 

 でも、公園とは、あくまでも地理の名称から取られるべきと思うんですよね。

 

 皆さんはどう思います?

 

 

 こんな感じで今日は終わり。

 

 

「男系男子」を守らなければならない理由 その2

 管理人は、社会に出始めたころから、北海道新聞と読売新聞の2つを買って読んでいます。ここ数年は日曜版しか買ってないけど。日曜は本の書評が載っているので。

 

 なぜ、二紙を読んでいたかですが、北海道新聞は、「北海道」と名前が付くだけに北海道の話題が多く載っています。稚内にビルができた!なんてニュースが全国紙に載りますか?

 北海道という限られた地域ではありますが、北海道新幹線、鉄路の存廃問題、札幌五輪、核ゴミの受け入れ問題、ラピタス建設、最近では釧路湿原太陽光発電など、結構、大事な話題が続いてます。

 あと、夏の高校野球名寄地区予選も詳しく載ってますしね。

 全国的には北海道新聞は「全部赤い新聞」と、右か左か、で判断されることが多いのですが、地方ニュースなどでは、道外の人なら意外に感じるほど思想は反映されていません。

 かつては「再生可能エネルギーは絶対正義」としていた社説が、最近ではその弊害も報じ始めた一方で、まだ二酸化炭素の量にこだわるなど、なんか揺れているように見えますけど。

 

 一方の読売新聞ですが、こちらは言わずと知れた全国紙。

 視点が全く異なり、話題もやはり国政や中央の政界や経済界に関することが多い。地方に言及されることの方が少ないですね。

 

 そして新聞の性格を分ける「思想」の部分でも、上記のように北海道新聞は、全国の新聞の中でも「最も左」、「何なら朝日新聞よりも左」という評価が下される一方、読売新聞は「右」もしくは「穏健な右」とされる。

 

 つまり「地方、左」「中央もしくは全国、右」という、あらゆる点で対比的な新聞を見ることになります。

 

 なかなか面白いですよ。北海道新聞で大問題として扱われていることでも、読売新聞では全く扱われていないことの方が大半で、「まあ地方なんて見られてないやね」と、つくづく思います。

 

 

ただ、今朝の読売新聞を読んで、上記の視点での「読売新聞は右」という見方を訂正しなくてはいけない、と思いまして。

 

 今朝の読売新聞の社説にて、女系天皇を容認すべき、という論説が掲載されておりました。

 

 社会問題が多様になった現代において、「右」もしくは「保守」、「左」もしくは「革新」なんて単純に2つに分類できるわけないし、どちらかに所属することにこだわる意味もないとは思うものの、「右」に関して言えば「男系男子」という点は絶対に守らなければならない点だと思っています。

 正直言って、LGBTが進んで男子トイレの横で女性が用を足すのが認められようが、消費税がゼロになろうが100%になろうが、それは最終的にはその時々の社会風潮に合わせるしかない、と思っています。

 

 しかし、男系男子だけは守らなければならない、と思います。

 

 なぜなら、日本がこれまで滅ぶことなく、2000年もの間、持続しているのは、男系男子を守り続けてきた、からです。

 

 女性が王を引き継ぐことを認められた国では、その領土をめぐっての激しい政略結婚が繰り返された挙句、領土紛争の名分にも使われていました。

 

 日本も、多くの紛争が起こりましたが、それでも皇室だけは残り続けました。

 

 ざっくりいうと、平安時代までは天皇や皇室内部の闘争が多かった。

 天皇が隠居して「治天の君」となって、次の天皇の任命権(適切な表現ではありませんが、ここでは便宜上、「任命権」とします)を握ることで、権力に混乱と闘争を引き起こしました。

 

 現在の上皇陛下が「生前の譲位」を希望されたときに反対意見が出されたのも、かつての日本史において、治天の君天皇の二重権威によって、多くの混乱を引き起こした歴史があるためです。決して、上皇の意向に無視した、のではありません。天皇の代替わりは、2000年の歴史の中で多くの混乱と、時には血が流れる紛争が起こった末に、二度と混乱することが無いようにと定められた「ルール」なのです。

 

 天皇が今のように「象徴」となったのも、平安時代までは天皇が権力を持ち、それがために藤原氏を巻き込んだ政争に発展し、ついには武士という武力衝突を必要とした結果。

 もし、源頼朝の死後に鎌倉幕府が滅亡し、天皇に権力が戻っていたら、天皇は再び政争に巻き込まれ、いずれは天皇自体の滅亡につながったかもしれない。

 天皇やご皇室は、権力を手放したからこそ、ここまで存続できたと言える。

 

 しかし、幕府が権力を握った後も、鎌倉幕府大覚寺統持明院統の争いに翻弄されたし、その後の足利尊氏によって、天皇権威は分裂の憂き目にあいます。

 そして日本列島に二人の天皇が現れることになり、全国で血縁も超えた凄惨な争いが起こることになります。

 戦国時代は、天皇は一人であったため、最終的には天皇のもとに混乱がおさまりましたが、室町時代は不穏な情勢が続くことになります。

 

 そう、現在、天皇は象徴となっていますが、かつては紛争の中心の存在でもあったのです。

 皇族同士の皇位継承の争いも起こった。その都度、日本国内は混乱を疲弊を繰り返します。

 

 以下、不敬な物言いになってしまいますが。

 

 

 混乱を防ぐためにも、皇族数は多すぎてもいけないのです。適切な形でコントロールされなければならないのです。

 

 「男系男子」は、皇室という権威を安定して維持するための「ルール」なのです。

 

 権威を混乱や紛争から守り、さらには、権威の混乱から発生する日本国内の内紛や国家分裂を防止するための、大事なルールなのです。

 

 「皇位継承者」が分裂したことで、南朝北朝という分裂を招いてしまった。

 

 権威と権力の関係については、これまでもお話ししてきました。

 

 権威と権力が一体だった中国王朝は、王朝の滅亡が権力の滅亡を意味し、関係のない他の民族、氏族の新しい王朝となった。

 キリスト教では、キリスト教と各地の王という関係が成立し、キリスト教も権力に頻繁に介入した。

 イスラム教においても、スンニ派シーア派の分裂の元をたどってみてください。なぜ、分かれたのか。

 そして、なぜ、日本はいまだに存続できているのか。

 

皇室典範とは、天皇権威が暴走しないための大切なルールです。

これまでの日本史で繰り返された闘争の中から生まれた、争いを起こさないために必要なルールです。

 2000年の歴史にない「女系天皇」を創設することは、天皇や御皇室に分裂を引き起こす可能性を、新たに作ってしまうことになる。

 

 2000年の歴史を知っていれば、皇室典範は「古いしきたり」などではなく、それまでの歴史から生まれた、平和を持続するための「伝統」であり「ルール」であるとわかるはず。

 

 それでも「女系を認めないのは現代的ではない」という人もいるかもしれないし、読売新聞の社説ではいうかもしれない。

 

 その方にお聞きしますが、今、あなたが「現代的」と思っていることは、100年先の日本人と共有できることですか?

 1000年先の日本人も、あなたと同じ常識、感覚を持っているといえますか?

 

 現代人の「正しい」ということが、この先、2000年以上続くと思いますか?

 

 そんなわけないじゃん。

 

 現実には、自分の息子、娘とも共有できないでしょ。

 

 管理人の思春期の頃、「男女平等」が叫ばれ、それまで男女一緒だったことが分離されるようになりました。体育の着替えも男女一緒の教室で行うことも珍しくなかったし、公共のトイレも、男女共用が多かった。 

 それが男女別が浸透し始め、「レディースデー」なども始まりました。今では公共の施設では、女性専用トイレの方が多いくらいです。

 

 しかし、近年、LGBTの掛け声の下、分離したトイレを一つにする機運が出始めています。

 管理人には「1周回った」という感があります。

 

 「自然保護」も同様。

 30年前には「木を一本も切ってはいけない」と叫んでいた「革新系」の新聞が、木をなで斬りにしたり、湿原を埋め立てて造る「自然エネルギー装置」にはこぞって賛成している。

 

 考えが変わったんですね。

 

 

 たった30年でも、こんなに変わる。

 

 100年先の日本人が何を考えているかなんて、わかるわけない。

 

 皇室の伝統は、2000年の歴史の中から生まれたものであり、それは皇室自体を適切にコントロールするためのルールでもあるのです。

 

 現代的な感覚だけで判断してはいけない。

 

 

 今、愛子様の即位を熱心に薦める方がおられます。

 

 正直、なぜそこまでこだわるのか、わからない。天皇とはあくまでも象徴なのだから、愛子様であろうと秋篠宮様であろうと、現代では変わらない。

 

 愛子様が即位されたら、日本に劇的な変革が起こると思いますか?

 

 むしろ愛子様の即位によって、あらたな「皇統の対立」が起こりかねない。愛子様ご自身は、そんなことをのぞんでおられるのでしょうかね?

 

 日本は紆余曲折を経て「権威」と「権力」の両立させ、国体を維持してきました。

 

 100年先、1000年先の日本人にも残すためには、2000年の歴史から生まれた皇室の伝統を、「現在的感覚」だけで変えてはいけない。

 

 

 政治は現代的な感覚で変えるべき。かつては常識だったセクハラ、パワハラなどは、それによって非常識とされるようになりました。良いことですね。管理人の小学校のころは、スポーツの練習中に水を飲むのは厳禁でしたっけ。今では真逆。

 

 しかし、変えてはいけないものもある。

 

 10年、20年などの単位で見る視点と、2000年のスケールで見る視点と、両方を持つべきなのではないでしょうか?

 

 北海道新聞と読売新聞の二つを見るように。

 

 

誰かこの小室ソングをカバーしてくれ! 3選

 ようやく体調が戻りつつある今日この頃。

 

 しかし、業界的には6月に山場を迎えるため、それに向けて事務作業があったり、業者さんと話し合いをしないといけないなど、なかなか「予定が空っぽの一日」がありません。

 

 で、GW中に風邪で寝込んでいたと書きましたが、その間に見たのがディズニープラスの「SHOGUN」。いやあ面白かった!

 

 その他ですね、ネットフリックスのシティーハンターの実写映画もみました。

 

 面白かったです。主役の役者さんも、漫画の冴羽寮の雰囲気出てた!

 

 ・・・・・ただ、いかんせん、漫画のシティーハンターに出てくる登場人物は、キャプテン翼並みに「投身サイズ」を無視しているので、完璧は難しい。

 

 でも面白かったですわ。

 

 正直言うと、漫画の実写版って、あんまり期待できない。

 B級映画ファンならば、やはり実写版「デビルマン」の悪夢がよぎると思われます。

 

 「凄いぞ!」という前評判を聞きつつ、「俺はパンピーと違う視点で鑑賞して、世間が気づかない良い点を見つけてやるぜ!」という、意識高い系思考で見てみたら。

 

 ・・・・・凄かった。もう見てほしい、としか言えない。自己責任でね。

 

 しかし、シティーハンターは面白かったので、見て見てね。

 

 で、その実写版のエンディングは、やはりTMネットワークの「Get Wild」でした。

 

 もうジャンプ世代にとっては、80年代後半を代表する曲になっているのでは?

 ここまで作風と曲が合っている作品は、今に至るまでないと思うのだけど。

 

 一説には、日本のシティーポップが流行ったのも、80年代後半から90年代前半の日本アニメの主題歌やエンディング曲を聞いて人気が出た、とも言われているらしい。

 

 そう考えると、Get Wildは代表格ともいえる。

 

 この時代も国も超えた名曲を送り出した小室哲哉は、ソロでも多くの曲を紹介していますね。

 TMネットワークからその解散後にかけての、「コムロ系」が爆発する前までにも、なかなか良い曲を発表しています。

 

 ただ、問題は小室氏自身のボーカルに難がある、というか。ファンの方、ごめんなさい。

 

 今回は、大変失礼ながら、「もし小室の隠れた名曲を、歌唱力のある歌手が歌ったらどうなるのか?」をテーマにしてみます。

 

 

1,Magic

 

 1992年にリリースされた、小室哲哉氏のソロ曲。

 いかにも「小室らしい」、オシャレで格好のよい曲調となっていますね。

 この曲を、高校時代にテレビの生放送で見たんだけどね。

 途中から何を歌っているのか、わからなくなってしまった。いや失礼な言い方で申し訳ない。

 

 自信のあるボーカリストよ、歌ってくれ!

 

 

 小室哲哉 / Magic (youtube.com)

 

 

 

2,RUNNING TO  HORIZON

 

 GetWildと共に大ヒットしたアニメ「シティーハンター」は「2」へと続き、それも何度も延長が繰り返された挙句に終了。

 そしてすぐさま続編の「3」が放送を開始した。

 その主題歌が、TMネットワークではなく小室のソロ曲「Running to horaizon」。

 

 「シティーハンター+小室」というとGetWildばかりが話題になるが、この曲もGetWildに引けを取らないレベルでカッコいい!

 どの曲も期待を裏切らない、安定の「コムロ品質」ではあるのだが、どうしても他のボーカリストの声で聴きたい衝動が・・・・。

 

 

 running to horizon 小室哲哉 (youtube.com)

 

 

 

3、天と地と

 

 SHOGUNのところで、バブル真っ最中の1990年に公開された「天と地と」について触れた。50億円もの巨費を投じて制作されたこの作品では、時代劇にも関わらず、当時、JPOPの中心人物だった小室を音楽に抜擢した!

 JPOPの中心人物、なんて書いたけど、この表現は間違っている。「JPOPの創始者」と言える。

 なんかさあ、最近、海外で「J-POPはK-popの名前をパクった」と言ってるガイジンが増えているらしいけど、違うから。J-POPの方が早いから。

 

 ま、とにかく、この日本の映画史に(お金の面で)名を残す大作に、若手の小室が起用されたのだ!

 

 そして、この大作の主題歌を担当したのも、当然、小室哲哉氏。

 

 かくして、50億円作品の主題歌「天と地と」が発表された!

 

 ・・・・・あまり覚えている人は少ないかもね。なんせ映画の方も、決して大ブームを起こしたとは言えなかった。

 

 で、これまで繰り返してきたように、小室ボイスの主題歌であったため、何とも言えない感想に。

 

 でも、この曲のメロディだけは、今でも覚えている。なかなか情感あふれる素晴らしい曲調。日本の歴史をテーマにしているはずなのに、どこか中国の雰囲気も感じさせる。

 

 つくづく、力のあるボーカルの人に歌ってもらいたい!と思った。

 

 なんか、歌謡曲の女性の声で聴いてみたいような。

 

 

 

 天と地と HEAVEN AND EARTH Tetsuya Komuro - YouTube

 

 

 

 以上。

 

 小室曲にはお宝がワンサカあるので、「歌ってみた」の人は「発掘」してくれ!