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最後の復活「TPぼん」

 今や国際文化となった日本の「マンガ」。

 

 キャプテン翼の最終回では、海外の大物選手がコメントを寄せ、鳥山明氏の訃報では、世界各国から多くの哀悼の意が表明されました。日本から遠い南米のアルゼンチンでは、追悼のため自発的に多くの人が集まり、2万人にも達した、とのこと。

 

 ジャンプリアル世代の管理人にとって、不謹慎ながら、まさかここまで認知度が上がっていたとは思わなかった。

 

 「失って初めて気づく」という言葉が、一層、沁みてしまった。

 

 マンガは、今ではディズニーを超えるコンテンツになっています。

 

 数年前に、シティーハンターが、なんとフランスで実写化されたのには驚いた!

 

 そして日本でも実写化されて、人気となっています。

 

 80年代以降のマンガ、アニメ文化が注目を集めていますが、今、あの巨匠の作品もリバイバルされています。

 

 昨年、今年は言わずと知れた国民的漫画家・藤子不二雄の藤本氏の生誕90年の記念すべき年。

 

 それに合わせて、藤本氏の作品である「TPぼん」が、ネットフリックスでリメイクされたのです。

 

 「TPぼん」は、平凡な男子中学生が、ある日突然、未来の組織である「タイムパトロール」の隊員になってしまったことから始まります。

 そして、西洋東洋を問わず、歴史の舞台を巡る冒険へとつながっていきます。

 

 管理人は、この作品が好きでして。原作は1978年から1986年まで連載されたのですが、90年代に発売された「豪華版」を購入し、何度も読みました。

 

 ネットフリックスのアニメ版を見ました。面白かった。そして、この作品をリメイクするには、今が最後の機会だった、と思いました。

 

 この作品では、魔女狩りマラトンの逸話、ピラミッド、三蔵法師の過酷な旅など、様々な歴史の場面が登場するのですが、当然、日本史もあります。

 その中には、戦前、戦後の話もあります。

 

 正直言うと、現代から見れば、太平洋戦争は歴史になりつつある。(もちろん戦争の記憶は消えていません)

 しかし原作が発表されたのが70年代から80年代にかけて、ということで、戦争を体験された方が日本人の多くを構成しており、戦争の記憶も、まだ生々しく、現在よりも日常生活と深く関係していました。

 そのため、作中の戦争のお話も、主人公の日常と強く関係して描かれていました。

 古代ギリシャのお話などは、絶対的に遠い過去なので、主人公も傍観者という立場でしたが、戦争の話は遠い過去ではなかったので、傍観者ではいられなかった。

 

 アニメ版第8話「戦場の美少女」というエピソード。

 

 このお話を、ネットフリックス版をベースにお話しします。

 

 ある時、主人公は、近所の人にインタビューをする、という課題をこなすために、90歳のおばあさんを訪ねます。おばあさんは元教師ということもあり、90歳にも関わらず矍鑠としており、主人公に宿題をさせようとして主人公は慌ててしまう。このお婆さんは悲恋の人で、10代の学生のころに婚約者が召集されてしまい、その婚約者は後に特攻隊員となって亡くなってしまう。以来、お婆さんは結婚せず、独身をとおしている、とのこと。ここで時が止まり、主人公は1945年の沖縄戦で、たった一人の日本兵を助ける、という任務を受けます。

 そして1945年の沖縄へ。

 到着早々、主人公は激戦の海上戦の真っただ中へ進んでいきます。

 

 戦争を知らない現代っ子だった主人公は、自分の周囲すべてで爆発が起こり、特攻隊機が撃墜される様を見て絶望し、全員を助けるべき!と絶叫しますが、たった一人しか救うことはできない。科学が進化してタイムトラベルも可能になったのに、一人しか救うことができないことに、無力さを痛感させられます。

 

 その中から目的の人物の乗った特攻機を見つけ出した主人公は、墜落する機体を陸地に誘導し、ケガの無い形で脱出させます。

 

 生き残った特攻隊員は、そのまま逃げるかと思いきや、生き残ってしまったことを恥じて拳銃で自決しようとしますが、主人公が妨害して自決できません。

 

 それじゃあ、と、戦場で拾った日本刀を手にして米軍へ一人、突撃をしようと試みたため、主人公が思いとどまるように説得します。「日本は負けたんだ」「その後、発展したんだ」と。しかし「日本は負けた」という言葉に特攻隊員は激怒し、主人公たちをスパイと決めつけて攻撃し始める始末。

 

 なんとか逃げ切ったものの、どう思いとどまらせればいいのか、方法が思い浮かばない。

 特攻隊員は、米軍陣地へ特攻するため、夜を待ちます。

 夜が更けて満月を見た時、召集前に分かれてきた女性を思いだしていました。

 

 その女性こそ、実は冒頭で登場した90歳のお婆さんだったのです。

 

 主人公たちは、特攻前の隊員の意識と、現代(2020年代)のお婆さんの意識を結んで、お婆さんに説得をゆだねます。

 

 説得の仕方で原作とネットフリックス版で違いはあるのですが、お婆さんが隊員と人生を歩みたかった、と伝えたのは変わらない。

 

 夢の中で、許嫁からの説得を受けた隊員は、白いマフラーを白旗として掲げ、米軍へ投降していったのでした。

 

 現代に戻った主人公に対し、お婆さんは「主人と孫が来るから今日はおしまい」と伝えました。

 

 そう、歴史が変わって、特攻隊員は故郷へ帰り、許嫁と結婚して家庭を持っていたのでした。

 

 最後の場面で、主人公は、ご主人と思しきご高齢の男性と、その傍らで一緒に歩く、孫と思しき若い女性とすれ違います。おそらく、お婆さんのご主人とお孫さんなんでしょうね。

 

 80年代に描かれた原作では、この場面は「主人と子供が帰ってくるから」となっている。

 

 そう、80年代まではまだご夫婦は若く、「子供」までを持っていた。

 

 しかし2020年代ではさすがに子供ではなく、孫に変わっていた。

 

 原作の80年代で夫婦の設定は40代~50代くらいか?

 それがネットフリックス版の2020年代では、夫婦の年齢は90代。

 

 もし、あと10年経っていたら、この原作話は映像化できたのか?

 

 100歳の時代とは言え、完全な形で再現するには、さすがに無理があったと思われます。

 

 つまりこのエピソードを再現するには、今が最後の機会だったのではないか、と。

 

 そういう意味では、よく映像化してくれたなあ、と思います。

 

 このエピソードは、原作のころから心に残るものがありました。

 

 藤子不二雄は戦争に関するマンガを多数、発表しています。しかし、戦争を肯定的に考えていたのか、否定的にとらえていたのか、作品だけでは判別しがたい。

 いや、戦争をリアルに体験した世代にとって、肯定的も否定的も関係ないのかもしれない。

 

 そして、この「特攻隊員が帰還する」あるいは「戦死した英霊が日本に帰還する」というお話は、これまで多く目にしてきました。

 

 数年前にご紹介した「旭川に帰還した部隊」のお話もありますし、倉本聰氏の「き国」(漢字変換できませんでした)などもあります。

 

 戦後の世代の方は、戦争の賛否は別に、創作であれ、戦争で亡くなった方々に、日本に帰国してもらいたかったのでしょうか。

 戦後、発展した日本を見てもらいたかったのか。戦後に発展したことに罪悪心を持ったのか。真意は作者の方それぞれにあると思いますが。

 

 少なくとも藤本先生は、「帰国」した特攻隊員に、ハッピーエンドを用意していました。

 せめて作中だけでも、幸せになって欲しかったのかもしれません。

 

 

 管理人は、子供のころから日本史が好きだったのですが、歴史好きにありがちな「戦国時代と幕末だけ詳しい」といった具合で、日本史を通して知ろうとしたことはありませんでした。

 

 30代になって、「ローマ人の物語」に影響を受けてしまったときに、「じゃあ日本史を見てみよう」と思い立って、日本史のお勉強を始めます。それまでは別に「歴史に関する考え」なんてものはなく、「ローマ人~」のように、面白いことがあればなあ、としか思ってなかった。

 

 しかし歴史を学んだことで、結局、自分は、2000年を経た先にいるだけに過ぎない、と思い知った。

 今、平和で、比較的安定した社会があるのも、これまでの2000年の間に、様々な権力争いや、政争、戦争を経た結果なんだ、と。

 天皇権威を巡る争いや、権威と権力の分離を巡る争い、南北朝の動乱や戦国時代、関が原、江戸時代までの封建時代を経て近代化に至り、太平洋戦争を迎える。

 

 その結果、管理人の世代で、過去の歴史を裁判官のように裁くことの無意味さを感じました。だって、その結果が積みあがって、今があるのだもの。

 

 そして、それぞれの時代を生きていた人は、その時代にあった常識の中で生きてきた。その常識を裁くことができるほど、現代は完全無欠なのか?

 

 そして戦争で亡くなった方々。

 

 戦争の結果を知り、その後の繁栄を享受している現代人にとって、負けがわかっている戦争を裁くのは簡単だし、特攻隊員を「負け戦に命を落とすのはおろかだ」というのは簡単。

 

 しかし、戦争で亡くなった方々や、特攻の方々は当然ながら歴史の結果など知らず、それぞれが国や故郷、家族の未来を信じて命を捧げた。未来につながると信じて。

 

 「お前に何がわかるのか?」と言われたら、言い返せません。

 

 

 

 戦争で亡くなった方々の捧げた命に意味があったのか?

 

 これを現代人が裁くことなんてできますか?

 

 せめて今はそんなことは考えず、安らかに眠っていていただきたい。

 

 日本史を学んでから、機会があれば靖国神社に参拝にいきました。

 

 以前なら「右翼だ」とか「戦争礼賛だ」と言われるのではないか、と思っていたし、以前は自分も、靖国神社に参拝に行く人は右翼だ、くらいに思っていた。

 

 しかし日本史を学んだ後、そう思われることが怖くなくなった。

 

 あそこに眠っているのは、日本のために命を捧げた方々。

 

 戦争の善悪なんて関係ないです。

 

 ただただ、安らかに眠っていてほしい、という思いだけ。

 

 そうしないと、本当に「無駄死に」になってしまう気がして。

 

 少なくとも、今も日本は続いている。

 

 他の国のような宗教的な紛争もなく、大きな混乱もなく。

 

 それが答えなのでは?

 

 靖国神社の参拝は、「戦争礼賛」とか、善悪や正否を超えたところにある。

 

 そろそろ、偏見無く、靖国神社を参拝してもよいころだと思う。