さて、当ブログでは、これまでところどころで歴史とか地理とか、掲載してきました。
話が長くなる癖のある管理人の自我を抑え、なんとか短くしたつもりなのだけど、「無駄に長い」と評判を呼んでいます。
今回は、ダラダラと続けてきたそれらのお話を、一旦、まとめてみようと思います。
管理人は、「国」が独立を維持するためには、以下の「3つの独立」が必要、と考えています。
1,軍事的独立
2,経済的独立
3,権威の独立
1,軍事的独立
これは言うに及ばず。他国の軍による自国への侵攻を阻み、防衛することを自力で行うこと。特定の国とは限りませんが。
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シンガポールの例にしろ、他の国にしろ、自国の人口や国力が小さいがために、自力だけで防衛できない国もある。
ユーロ圏の話をした際に、スロベニアなどの例をだしました。
スロベニアやスロバキア、バルト三国はどこも人口が300万人に行かないていど。
自国だけで「隣国の脅威」に対抗できるはずがない。いや、はっきり言うと「ロシアの脅威」ですね。
それらの小国が多国間の防衛機構に加入するのは、国防の上で必定と言える。
また、世界の大半の国は「国境」をもって他国と接しています。つまり陸地でつながっている。
軍事大国のイメージのあったロシアですが、世界地図でロシアを中心に見てみてください。ロシアは、日本、北朝鮮、中国、モンゴル、中央アジア諸国、ジョージア、アゼルバイジャン、フィンランド、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナと国境を接している。つまりそれだけ他国が陸から侵攻してくる可能性がたかい、ということ。
それを避けるために軍事費を増大させなければならないし、国境を保つための外交も行わなければならない。
中国も同様。多くの国と接している。
大国だろうと小国だろうと、それぞれの国は軍事侵攻のリスクを抱えている。
いや、国土の面積が大きい大国ほど、このリスクが高くなるといえる。
完全な独立のためには、軍事の独立が不可欠。
2,経済的独立
1の軍事的独立は、基本的には地図上にひかれている国と国の境目である「国境」の内側の国民の生命と財産を守るために存在している。そうじゃない国もあるけど。
しかし政治の独立とは、必ずしも軍事だけで成り立っているのではない。
政治は経済動向に左右される。いや、政治の根幹は経済政策と言える。
もし、自国の人口が小さく、また自国の生産物を吸収できる巨大都市を持たなかれば、当然自国の生産物の売り先、自国に足りないものの調達先を外国に求めることになる。
ここでもユーロを取り上げるが、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ以外の国は、自国内の人口も少なく、巨大都市を持たない。必然的に、経済の大部分を他国に頼ることになる。
興味深いのは、EU加盟国の中の非ユーロの国の中に、ポーランド、ルーマニアなどがあること。これらの国はEU内で人口5位と6位なんだよね。「中堅国家」と言える。
簡単にいうと、ポーランドは経済の独自性が失われるために国民の反発が根強く、ルーマニアやハンガリーは、ユーロ加入の条件に適合していないから。
また逆にデンマークやノルウェー、スウェーデンなどは正反対の理由で、すでに自国内で高福祉や安定社会を実現しており、ユーロの導入によってそれらが、「下位の国」
の影響で失われてしまうのではないか、と懸念して導入しなかったとのころ。ありていに申せば、「ユーロに加入したほうが損をする」ということ。
スウェーデンやデンマークは人口では「中堅国」ながら、GDPは世界で高位にあります。またスウェーデンは軍事に注力した国のために自国内の製造業が盛んで、デンマークも農業や地の利を生かした海運などで世界的企業が多い。日本でも有名なレゴの本社もデンマークにある。マインクラフトもデンマーク発祥。
ただ、デメリットとして、世界的な経済苦境のときには、決して人口大国と言えず、自国内に巨大な都市を持たない両国は、むしろ影響が大きくなってしまうこと。
また南米などは完全にアメリカ・ドルの経済圏となっており、アメリカの景気や政策に大きく左右される。それゆえに反米政権が誕生することもあるのだけど。
21世紀にあって、他国と完全に関係を断つことなど不可能。しかし過剰に同調したり、他国市場に依存してしまうと、自国の経済の独自性を失ってしまう。
経済政策の独自性を失うことは、政治の独自性を失うこと。
よって、国の独立には「経済の独立」も必要。
3,権威の独立
ここでいう「権威」とは信仰上あるいは宗教上の権威を指す。
世界の多くの国の歴史において、為政者は宗教的権威から「王権」を授与される、あるいは任命されている。
というよりも、現代では「政経分離」が当たり前になっているけども、もともと宗教と政治は不可分のものだった。それが歴史を経ることで分かれていった。
現代では政経分離が当たり前になっている、なんて書いたけど、本当にそうなんだろうか?アメリカ大統領は就任式で、聖書に手を置いて宣誓しているし、イスラム諸国では信仰の権威の方が政治よりも上位にある。
歴史を見て実感したのは、ローマ教皇の他国への政治介入。ある国がカトリックを国教と定めるということは、その国の教会、修道院などがローマ教皇の直轄となってしまう意味していました。
中世では教会や修道院は、地方や農村の収税や教育の中心でもあったので、カトリックを国教とすると、自国の政治の大きな部分でローマ教皇の介入を許すことになってしまう。
また、王位の任命もローマ教皇に握られるため、王朝の存続にも介入を許すことになります。スペインなどは、王位につくためにローマ教皇への政治工作が激化しましたし。また、「神聖ローマ帝国皇帝」を任命する、もしくは再任するためのローマ教皇の意地悪の数々を見ると、キリスト教の「一夫一妻の教え」は、ローマ教皇にとってかなり強力なカードになっているとわかります。
つまり完全な独立には「(宗教)権威の独立」が必要であることがわかります。
では、この3つの独立の観点から、日本を見てみましょう。