先日、「地図帳から世界情勢を見てみよう!」と大きな風呂敷を広げたタイトルの記事を掲載した当ブログ。
その後、忙しくなってしまったのと、詳細に調べたり考察しているうちに、「これは短時間にはまとめられない」という結論にいたりました。で、全体を語ると「その50」くらいにまでなってしまうので、違う形でお話ししようと思います。
そもそもこんなことを始めたのは、社会に出てからのこと。
もともと地図好きだったのでいつか「縛り」がなくなったら深く「お勉強」したいと思っていたのと、株式投資などにも興味を持っていたため(独身って、気楽だよね~)、その元となるデータを作ろうと、思い立ったため。
極東ロシアに異様に感心を持っていたのも、その関連です。
で、ローマや日本史を学ぶと、大帝国の繁栄には大都市の存在が不可欠なのではないか?と考えるにいたりました。
古代ローマ帝国が繫栄したのは、世界中の物資を吸収してしまうほど当時の世界では類を見ない巨大都市になっていたローマと、当時、採掘の最盛期に至っていた属州スペインからの大量の銀の存在が根底にあったのではないか、と仮定していまして。
当時のローマは非常に大規模な都市となっており、元老院議員などの富裕層も住む「巨大市場」。属州スペインでの大量の銀の産出は、ローマでの経済活動を大きく膨張させます。
その結果、シルクロードを駆動するに至った。
ローマは東洋の絹を欲し(それ以外も香辛料などもあるけどね)、大量の銀を用いて、それを生産する中国王朝(当時は漢王朝)から取り寄せようとしました。
とはいえ、中国王朝が直接銀を受け取り、ローマに絹を輸出した、のではありません。
シルクロードの中間にある中央アジアの国々にて中継貿易を行う必要がありました。
当時の中国王朝は中央アジアで生産される馬を欲しており、これらの国々に絹を輸出する一方で、馬を手に入れていました。
中央アジアと中国王朝とでは「馬⇔絹」
という形の交易がおこなわれていました。
この時のローマ帝国から中央アジアに流入した銀の量はすさまじく、まさに「カネに糸目はつけない」勢いだったらしい。
ある中央アジアの国では、あまりにもローマからの銀貨が流入したため、自国通貨を古代ローマのデナリウス銀貨にしてしまうほど。
イラクの通貨は「ディナール」と言いますが、これは「デナリウス」が元となっています。
とにかく、当時の首都ローマの経済力はすさまじく、大陸の東の端からも物資を集めてしまうほど。
中央アジアでもこのレベルなので、ローマ帝国の領内となればなおのこと。帝国の生産物はなおのおと。
こうして、シルクロードの中央アジアの国々は、ローマ帝国の経済圏に緩いながらも組み込まれており、その政治動向に少なからず左右されていました。ローマという巨大市場がなくなっちゃったら、自国の交易ウハウハも終わりますからね。
それが起こったのが、古代ローマ末期。
蛮族の侵入により自慢のローマ街道は寸断され、また辺境の生産地も荒らされて生産できなくなることで、ローマに流入する物資の量も減少。それに合わせて防衛予算の拡大に伴って銀貨が大量に乱発・徴収されたために、銀貨不足、もしくは銀貨の質の低下を招きます。
それに加えて、トドメとばかりにスペインで銀が取れなくなってきた!
お金があっても取引できなければ意味がない。逆に物があっても売り先がなければ意味がない。
ローマ帝国領内の属州で生産されたものが、直接・間接を含めてローマに向かい、それがデナリウス銀貨などの「通貨」の形で属州に返ってくることで、その属州は首都ローマの強い影響下に置かれていたのが、ローマとの取引が少なくなったことでローマとのつながりも薄れ始めます。
以前、「八代将軍 吉宗」の記事でお話ししましたが、もし人々が経済活動を望んでいるのなら、通貨の品質を下げて市場に出回る通貨の量を増やしたところで、その通貨の価値は下がりません。それどころか、世間に出回るお金の量が増えることで、景気を刺激して拡大してしまったのが「元禄バブル」。
そう、通貨の真の価値は、その時々の世相による、と言えます(通貨の価値と素材の 価値が連動していた時代の話、ね。現代は違うよ)。
当時の江戸は世界的にも大都市になっており、日本中の物資を吸収する市場になっていました。
さて、上記の見方を変えてみましょう。見方を変えれば、景気が悪化すれば通貨としての価値がさがり、通貨の下となった素材の価値が上昇する、という事態も起こってしまいます。
古代ローマ帝国でまさにそれが起こり、増大する国防予算をねん出するためにデナリウスの質を下げて出回る量を増やしたものの、それ以上に蛮族によって農作地が荒らされて生産力が下がり、自慢の流通網であったローマ街道も寸断されたために物資が首都ローマに到達できなくなってしまった。つまり通貨の使い道も縮小してしまった。
これは大事な点で、モノとカネは相互に影響する存在で、モノだけあっても価値が出ないし、カネだけあっても買うものがなければ意味がない。
北海道の道の駅で一袋50円(ほんとうに売ってた)で売られているジャガイモがあります。なんでこんなに安いかというと、ジャガイモの生産地だからみんな、持っているからです。
これが東京などに出荷されることで価値が出てくる。もし、東京で需要が少なくなり、北京や上海の方が東京の需要を超えて価値が出てくれば、経済的には円よりも元の
影響を受けるようになります。
経済の影響力は、即ち政治の影響力。
末期のローマ帝国では、度重なる通貨の増量に加えて、市場の規模も縮小したことでデナリウス銀貨の通貨としての価値が下落。その代わりデナリウス銀貨を「通貨」として見るのではなく「銀の塊」(もしくは銀を含むモノ)とみなされるようになり、「資産」としてデナリウス銀貨を私蔵するようになります。そう、通貨が「モノ」になってしまった。
こうして首都ローマの経済力も衰えたためにローマ帝国を統一していた経済も衰退し、それはローマ帝国の政治的統一を失うことを意味したために、帝国は蛮族による侵略と帝国内部の紐帯のゆるみによって一体性を失い、崩壊していきました。
その後、欧州に巨大帝国が現れなかった、もしくは永続しなかったのは、「一夫一妻」の教えによるキリスト教の影響によって王朝が長続きしづらかったのと同時に、欧州全域のモノを吸収する巨大都市を持たなかったから、と管理人は推測しています。
ナポレオンのように一時的には支配できても、永続できなかったのはパリには欧州全域を影響下にできるほどの経済力がなかったためでは?と考えております。
もしパリが巨大な都市で、占領地の物資を吸収し、代わりにパリで使用されていた通貨が流入し、占領地に経済的な恩恵があれば、占領は長続きしたのではないか?と推測しております。
おっと、巨大都市だけではありませんね。通貨の素材となる銀の産出も必要。
当時の欧州ではもはや銀の産出量は減少していたため、諸国は外部に目を向け、アステカ帝国やインカ帝国の栄えていた南米にいたり、銀を採掘していました。
そして日本の石見銀山ですよ。
当時に日本は空前のシルバーラッシュとなっていました。
スペインは中国と日本の中継貿易を行うことで日本銀を手に入れ、それを欧州に持ち帰っていました。当時の欧州は南米産の銀と、日本銀のためにインフレとなっていたらしい。それも景気の良いほうのインフレ、ね。
で、ここまで話して日本史に行くのだけど。
この観点で日本を見てみましょう!
日本は奈良県などに天皇の住まいがあったものの、巨大都市とはなっていませんんでした。
そして誰もが覚えている710年に平城京が建設されます。(藤原京もあるけど、まあ平城京から話し始めます)
それまでの日本史に存在しなかった巨大都市が、突然、出現しました。
5万人が住んでいた、とされますが(実数不明)、これは朝廷の官僚や貴族、寺院の僧侶などが一か所に集められたため。
すると何が起きたか。
モノ不足です。都市に住む人の食料はもちろん、衣類などの生活物資とその元となる素材が必要になった。
当然、平城京だけで用意できず、周辺地域だけでもたりない。
都市に必要な物資をより遠くの地方へ求めるようになっていき、その地方は物資を収めて見返りが与えられることで、平城京の影響下に入っていきました。
こうして日本国内での朝廷の支配地域が広がっていきました。
これは江戸時代にも言えますね。
何もなかった地に、徳川家康が拠点を置いた。
そして天下を手中にしたあと、全国の大名に参勤交代と言って江戸滞在を命じ、正室も人質として居住させた。
大名は、藩主と正室のために屋敷を作り、それを支える部下の武士を住まわせる必要があり、千人単位で江戸に藩士を派遣します。
その結果、江戸の人口は急激に膨れ上がり、当然ながら食料やそのほか物資が必要になった。それに対して通貨が支払われた。
江戸幕府が強固な支配体制を維持できたのも、「江戸」という巨大消費地を持っていたため、と推測しています。
各藩は自治が認められていたとはいえ、自国で収穫したコメなどを売らなければならない。これも、自国で売ろうとしても価値はあまり出ない。(農民の実情は別にして)
巨大消費地である江戸に売ることで、より大きな価値になるわけです。
実際には、全国のコメは一度、大坂に集められ、そこで売買されて江戸に送られたのですが。
そのため大阪のコメの量はすさまじく、当時は職人、工芸の町であった京で造り酒屋が増えた、ということ。
とにかく、江戸という巨大な都市を持っていたために、幕府は全国の大名を経済的に従わせることができた、と。
・・・・・ながなが話したけど、モノとカネには、流れがある、ということ。
この歴史上の事実を踏まえて、現代の地図を見てみよう、と思ったのです。
実際、ユーロ圏でも収穫があった。国を個別に見てみると、例えばオーストリアはすでにドイツに部品を納める下請けが国内の主要産業をなっていたのは驚き。
また、ドイツの時のように「国内主要企業」を調べてみたのですが、なんとユーロ内人口のスペインから下では、自国発祥の企業が極端に少なくなっていた!
というか、国内の主要産業が、外資の企業による、というところがほとんど。
経済開放の進んだ国とされるアイルランドですが、確かにアメリカなどの外国の世界的な企業の拠点が置かれていて、ユーロ内GDPも上なのですが、裏を返せばそれだけ外国の影響を受けやすい、ということ。
実際、アイルランドは2000年初頭のIT危機やリーマンショック時に、経済の影響をモロにくらってしまったらしい。
ユーロ圏内の小国は言うに及ばず。
くしくもこれを調べているときにUSスチールの問題が報道されていました。
決して国粋的に言いたくないし、規制緩和に断固反対!というわけではないけど、外資が主要産業になってしまうと、自国の経済の独立性、ひいては政治の独立性も少なくなってしまうのではないか、と思うようになった。
古代ローマ帝国のように。
では、ユーロ内の最大の都市圏であるパリの影響力は?と、ユーロ内での貿易について調べ始めたところ、もはや短期間では収まらないと気付いた次第です。
何が言いたいか、というと、歴史と地理は不可分で、しかも世界情勢を知るためのベースの知識となる、ということ。