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至高の称号「40-40」

 打者の称号にはたくさんあり、「本塁打王」や「打点王」「首位打者」「盗塁王」などの個別の打撃部門を冠したものもあれば、「3割30盗塁30本塁打」達成時の「トリプルスリー」というものもあります。

 

 トリプルスリーは、本当に価値のある称号。

 

 観戦者の固定観念として、本塁打王を獲得するためには走塁を捨てて、肉体の全てをパワーのために改造しなくてはならない、みたいなものがあります。

 

 ソフトバンクの山川や、西武のおかわりくんが典型ですね。

 

 大き目の体格のために、走力は遅くなってしまうのはしょうがない。

 

 ホームランを打てる上に走れる選手は、非常に少ない、と。

 

 あれ何年前でしたっけ?トリプルスリー達成者が同じ年に3人くらい誕生したことはありませんでしたっけ?

 

 2010年代になってからの、選手たちの進化は、従来の野球ファンの予想を超えてしまう。「荒唐無稽」と言われた野球漫画が「現実」を表している始末です。

 

 そんな中、「40-40」という忘れかけていた数字が、目に飛び込んでまいりまして。

 

 40本のホームランを打ちつつ、40盗塁も達成する。

 

 30本塁打と30盗塁は、打者として素晴らしい成績で「強打者」と言われてもおかしくはない。

 40本塁打、40盗塁は、そのさらに上のハードル。

 

 正に一部の限られた選手のみが達成できる、ある意味で打者の究極の称号とも言えます。

 

 80年代から90年代にかけて、日本のプロ野球メジャーリーグとでは、途方もないほど実力差がありました。

 

 実際、メジャーの選手は違いましたからね。

 

 レジェンド豪速球王・ノーラン・ライアン、精密機械・マダックスをはじめ、ボンズマグワイア等々、ずば抜けた選手がそろっており、滅多にメジャーの情報が流れてこない日本でも有名でした。

 盗塁では、リッキーヘンダーソンなんていう変態もいましたし。

 まさに「宇宙で一番スゲーヤツ!」がそろうメジャーにおいて、カンセコ選手の名前は有名でした。

 

 マグワイアボンズに並ぶ本塁打王として。

 

 ファミスタにも出ていましたよね。

 

 カンセコはメジャーで30本塁打はもちろん、40本塁打も数度、達成していました。

 日本では当時、助っ人外人を覗いて40本を打てる日本人選手は大変珍しく、落合や西武の秋山、広島の山本くらいなもの。

 あ、言っとくけど、当時の感覚では、日本の40本塁打とメジャーの40本塁打は、同等ではありません。日本の40本塁打アメリカでは通用しないと思われ、逆にメジャーでの40本塁打は、日本では50本以上の価値がある、とされていました。

 すんません、少し忖度してしまった。

 本音を言うと、メジャーの40本塁打は、王さんの日本記録を軽く超えるだろう、と思われていた。

 管理人にとっては王氏は尊敬すべき存在ですが、当時のメジャーと単純比較できるのかどうか。アメリカでは日本の野球なんて興味が無かったろうし、むしろ「え?日本にもプロ野球あったの?」くらいな認知度だったのではないか、と思われます。それゆえに、メジャーの本塁打王ハンクアーロン氏が、王氏を日米の分け隔てなく称賛したのは、素晴らしいことだったのです。

 

 脱線しましたが、とにかく、日本でも珍しかった40本塁打を、日本よりも途方もなくレベルの高いメジャーで達成したのみならず、40盗塁まで達成してしまった。

 

 「メジャーリーグにはスゴイやつばっかりいるんだ」という認識を、日本人にさらに深く刻み込む結果となりました。

 

 実際に、当時の日本プロ野球では、落合や山本、門田などの40本を狙えるバッターはいたものの、盗塁王を期待できるわけではなかった。なんせ「ホームラン」と「盗塁」の分業みたいになっていたので。

 

 しかし、このカンセコの「40-40達成」というニュースを聞いて、奮起した日本の選手がいました。

 

 西武に在籍していた秋山です。

 

 3年連続40本塁打を達成したこともあり、足も速いオールマイティープレイヤー。

 

 秋山氏が、カンセコが「40-40」を達成した翌年のシーズン開始前に、「40-40」を目標として掲げたのでした。

 

 たしかに当時の日本プロ野球で、「40-40」を達成できるとすれば、秋山しかいなかった。

 

 

 そして1990年、秋山の挑戦が始まりました。

 

 実際、凄いペースだったんですよ、ホームランも盗塁も。

 

 五月くらいでホームランも、40本を十分狙える本数に達していた。

 

 盗塁は言うに及ばず、という感じで、パリーグの中でも独走状態。

 

 ところが夏場に入って、ホームランがピタッと止まってしまった記憶が。

 

 秋山選手は、ホームランを量産するときはスコーンスコーンと湖池屋ばりに何本も続くのだけど、打てなくなると月に3本で終わることもあった。

 

 シーズン終盤にようやく調子を取り戻したものの、遅れを挽回できず。

 

 結局、35本塁打、51盗塁の結果となりました。

 

 いやあ、惜しかった!あと5本だからね。

 

 そして管理人が知る限り、これが日本人で最も「40-40」に近づいた瞬間でした。

 

 つーか、レジェンドの秋山をもってしても達成できないのであれば、もう無理だろう、と。

 「あの秋山」が挑んでも、達成できなかった「40-40」を達成した選手がいるメジャーって、どんな世界なんだ?と改めてメジャーの凄さを思い知らされました。

 

 メジャーの凄さはその後も加速していき、マグワイアの70本塁打達成、「ロケット」クレメンスの変態成績と続いていくことに。

 

 ほんと、あの頃のメジャーリーグって、戦闘力とかの上限がぶっ壊れて、戦闘力インフレになってましたからね。ジャンプのマンガみたいに。

 

 では戦闘力インフレが起こったジャンプのマンガはどうなったのか?

 

 どれもボロボロになって終焉を迎えました。

 

 そしてメジャーもステロイド疑惑が発覚して、「インフレ」は終了。

 

 「40-40」を達成したカンセコが「ステロイドって、いいよ!」と、むしろ称賛していましたからね。「ホームランどころか、あっちの方もビンビンよ」とかインタビューで答えているのを見て、カンセコに持っていた憧憬が崩れ落ちました。

 

  とにかくですね、管理人にとって「40-40」は、「あの秋山でさえ達成できなかったスゴイ記録」。

 

 トリプルスリーどころではない。もはや打者の超人的な数字。

 

 

 それを、日本人の大谷が、あのメジャーリーグで達成してしまった。

 

 

 もう大谷には驚嘆させられてばかりで、これ以上はないだろう、と思っていたのに、この選手はまだ何かを達成する!

 

 野球で獲得できるすべての「栄光」をつかもうとしている。

 

 野球ファンは、大谷と同時代を生きて、彼の活躍を目撃できたことに、心から感謝しなければならない。

 

 そして、道民よ、この世界でも偉大なプレイヤーが、確かに北海道にいたことを、もう一度、感謝しよう!

 

 

 大谷は、我々のような、古臭い野球ファンに、「野球の見方を変えろ!」と迫ってきています。

 

 オッサン野球ファンよ、もはや若い人とは同じ試合でも見ている景色は違うんだよ。彼らには「野手」と「投手」の境目、「本塁打」と「盗塁」の境目はないのです。

 

 野手も投手も堺が無く、全ては流動的に動く野球の試合とはどのようなものなのか?

 

 大谷は野球の価値観を変えつつありますね。

 

 

 本当に、おめでとう!

 

 

 そして残るタイトルは、いよいよ「ワールドチャンピオン」!

 

 絶対に取ってくれ!