2004年の決勝の日のことは、いまだに覚えています。
朝からそわそわしていて、試合開始前に用事を済ませ、中継開始30分前からテレビの前でスタンバイ。
そして、NHKで決勝の中継が始まりました。
これ、誇張じゃなくて、当時の道民の半数以上は、中継を見ていたのではないか?
半数だって、控えめな数字。7割は見ていたと、割と本気で思う。
実際、札幌はともかく、地方都市では街に人通りがなくなったらしいし。
この「町に人通りがなくなった」というのは、高校野球で地元の高校が出場する際には、地方ではありがちなこと。当時の高校野球は、それだけ注目を集めていた。今はどうなのかな?
地元の高校の名前や町の名前が、全国中継で呼ばれる、というのは大変なことなわけです。
もう、この時の心境は、興奮と不安と心配と、「優勝してしまうのではないか」という期待が入り混じった、言葉で表すことができない、不思議なものでした。
優勝?夏の甲子園で優勝?北海道が?
あり得ないですね。想像できない。そんなことが、あるわけないし、あっていいわけがない!と、地元なのに思っていました。
あ、地元と言っても苫小牧ではないですよ。当時は道東にいたけど、道東であっても道民は北海道代表に注目していました。
試合は序盤からいきなりリードされる展開。
2回までに済美5-苫小牧1と、4点差がつけられてしまった。
この時点で、かつての北海道のチームなら、勝利は不可能だったことでしょう。
2点差でもきつい。3点差は無理。ましてや4点差なんて。
しかし、ここまで数々のミラクルを見せられてきた道民は、このままで終わることはないだろう、と予感していました。(よね?)
実際、中盤に追いつき、逆転までしてしまうも、相手にひっくり返されたものの、さらに6回に再逆転する、という、激しい試合となっていきます。
すごいよ、この展開を中盤でやったのだから。
かつてなら、北海道のチームは序盤で全ての力を使い切ってしまい、中盤以降はダラダラと相手のペースに乗せられるだけ、だったのですが、駒大苫小牧は中盤の攻防を制してしまった!しかも夏の大会の決勝で!
夏の大会決勝と言えば、もはや強豪校も弱小高校も関係なく、出場した選手は皆、緊張していたことでしょう。
かつては試合前からメンタルで負けていた北海道のチームが、決勝の中盤で全国大会優勝校相手に打ち勝っているじゃないか!
もはや管理人の知っている「北海道代表」ではありませんでした。
そしてリードしたまま終盤へ。
最終回の済美の攻撃の中継を、まともに見ることができた道民はいるのかい?
管理人はまともに見ることはできませんでした。
もう、苦しいんだよ。ワクワクとかドキドキなんて通り越している。
一瞬、チャンネルを変えちゃったからね。
「つまらないから」ではないのです。「見ていられない」から変えてしまった。
見ているだけでもそんな心境だったのに、実際にやっている選手はどういう状況だったのか?逃げたくなってもおかしくない。
最後は大会屈指のスラッガー、鵜久森!
ランナーを2人背負った状況で、彼の同点弾が飛び出す可能性は十分にあったわけです。
つくづく、神さまを恨んだよね。もう少しで優勝だ!という場面で、相手の4番バッターを出してくるんだから。
最後まで無理やり「見せ場」と作ろうとする。「んもう、いじわる!!」と身もだえしつつも、テレビにくぎ付け。
バットに当たって高く上がってから補球するまで、長く感じた。
何の変哲もない内野フライなのだけど、落としてしまうのではないか?
しかし、無事に捕球し、アウトが宣告された。
もうテレビの前で大騒ぎをしたよね。
まさか本当に優勝してしまうとは!
道民はそれまでの長い間、北海道から遠く離れた甲子園で行われている決勝を、「遠い場所で、自分たちとは関係のない人たちで行われるイベント」として、遠目で眺めてきたわけです。
それがある夏、突然、その遠い場所の舞台で主人公になってしまった!
おいおい、NHKの中継で、北海道の高校の名前が連呼されているじゃないか!
正直言って、道民にとっては、サッカーワールドカップで日本が優勝してしまった、くらいの特大ミラクルな出来事だったのです!
表彰式の中継を見て、真剣に泣いてしまった。
長く野球の試合を見続けていたら、いつかこんな日が来るんだな、と思いながら。
この優勝は、とてつもない影響を道内に残しました。
駒大苫小牧が、翌年の優勝、翌々年の準優勝(歴史に残る名試合を演じたうえで)、を成し遂げた、というだけではありません。
ここから「北海道の高校野球は弱い」という、道民自身が持っていた思い込みが完全になくなって、北海道代表が甲子園で好成績を残すことも珍しくなくなった。
その後、選抜大会での準優勝、夏の大会での準優勝をはじめ、かつては不可能とされたベスト8、ベスト4も狙えるまでになってしまった。
日本ハムが移転してきて、プロの存在が身近になったのも大きいと思います。
若い人にとっては、プロの試合は身近にあって当たり前になっているのだろうけど、管理人にとっては、「地元にプロのチームがある」ってのは、感慨深いものがある。
で、今年の夏のオリンピックで、北口選手が金メダルを獲った。
冬季競技じゃないからね。夏の種目、しかも陸上で、世界の頂点に立った。
これも駒大苫小牧の優勝以前なら考えられないことだった。
野球だけでなく、北海道は夏の競技の全般で「弱い地域」とされていたので。
あの夏の優勝が、道内にあったある種のコンプレックスというか、思い込みを払拭してしまった、と管理人は思います。
そして思い込みがなくなった時代に生まれた北口選手は、そんな根拠のないコンプレックスとは無縁のまま育ち、世界を意識していた。
日本ハムが北海道に移転し、夏の大会で駒大苫小牧が優勝したとしから、明らかに何かが変わった、と管理人は実感しています。
・・・・あれから20年も経ったのか。
いつしかあの優勝の場面も歴史になり、管理人もかつての記憶を思い出しつつ、この記事を書いています・・・・・・
NO!!!!!!!!
管理人にとっては、あの夏の優勝の場面は、全然、色あせてないの!
夏の大会の決勝を見るたびに、あの瞬間を思い出すのです!
ぜんぜん歴史胃になんてなってません!!!
北海道の高校野球の選手諸君、指導者含め関係者の方々、野球に関係なくスポーツの選手たち、いやこの際、文化部の含めての生徒たち!
あの夏だけで終わりか?!
「かつて、凄い先輩たちがいた」なんて伝説にしておしまいか?!
不可能を可能にした先人がいることを忘れてはならない。
「北海道から」五輪金メダル、世界の最高峰を目指せ!
そして、現在、高校野球で「弱小地域」とされる県の高校野球部員に告ぐ!
駒大苫小牧は、「ようやく優勝した」のではない。ある年、突然、優勝してしまったんだ!
可能性は必ずある!
そして優勝してしまった場合、自分たちが地域に残す影響は計り知れないものになるので、来年の優勝を目指して今から始めてくれ!!
そして何よりも、明日の決勝を戦う選手たちに、心からの幸運を祈ります。
優勝したら、「夏の主人公」になって、モテまくってしまうぞ!
優勝して、あの子に告白しろ!!
・・・・・最後を格好良く締められなかったね
追記
日本ハムにお願い
調べていたら、以下の記事を見つけましてね。
1990年の夏の大会で、ちょっとした奇跡が起こりました。
北北海道代表として出場した中標津高校が、甲子園で良い試合を行ったのです。
弱小地域とされる北北海道地区ですが、その中でも帯広と旭川地区が中心となっており、これ以外の地域から甲子園に出場するのは、今に至るまでほぼ不可能なことなのです。
そんな中、単なる田舎の高校に過ぎなかった中標津高校が、出場を決めてしまった。
しかも甲子園での本番も、決して「記念試合」などにはならず、リードを許しては追いつく、という好ゲームを演じて見せたのでした。
管理人の中では「伝説の試合」となっていました。
その試合に出場した選手たちが、中標津で記念の試合を行った。しかも星林の選手たちも、駆けつけてくれた、ってのが素晴らしいですね。
この記事を見て、思ったのだけど、単にテレビの前で観戦する立場なら「毎年、出場する野球部」に過ぎないのかもしれないけど、やはり実際に出場した選手にとっては「永遠の夏の思い出」になっているんだなあ、って。
こういうかつての北海道代表の甲子園での試合を、エスコンで再現してくれませんかね?
選手たちのお子さんが見たら、お父さんは凄いことをやったんだ、と実感できるはず。つーか、見せてあげれたら。
もし、行う場合、最初の試合はやはり2006年の「駒大苫小牧 VS 早稲田実業」でしょうか?先発はもちろん、あの二人。
その次に、ぜひ「札幌開成 VS 津久見」をやってほしい。先発はもちろん川崎憲二郎。
エスコンができたことで、夢が膨らみますね。
という妄想で終わる。