では続きを。
主人公は中年のオヤジ。
ごく普通の会社に勤める、ごく普通の中年の体格のオッサンである。
住宅販売の会社を始めた向上心の強い妻との間に、高校生もしくは中学生(アメリカの学制はわからん)くらいの難しい年代の娘を持つ。
オッサンは、アメリカにはありがちの住宅街に住み、毎日、惰性で生きている。
開始10分くらいで、オッサンが朝のシャワーで「シコってる」場面が映し出されます。イケメンではないフツーの中年のオナニーは、この世で一番見たくないものです。
オッサンは、「これが一日でもっとも幸せな時間」と言い、一日の残りは下り坂を滑り落ちるようなもの、と述べています。
朝、やり手の妻の運転で出勤し、車の中で眠り、会社では毎日、同じように仕事をこなし、定時に帰宅。「スタイル」にこだわる妻が仕切る夕食の雰囲気は冷ややか。
家族の和やかな食卓、というよりは、妻の好む生活スタイルに、オッサンも娘も無理やりはめ込まれているかのよう。
そう、妻は「意識高い系」なのです。
自己啓発によって自らの意識を高めつつ、住宅を売ろうとする。アメリカでは住宅販売はよくある副業というか、ビジネスみたいですね。サブプライムローンの時は、これが問題になったんでしたっけ。
とにかく、妻は家族よりも、自身が「成功者」になることを優先していることがわかります。
不動産関係者が集まるパーティでは、夫がいる前で「成功者」の男社長とイチャイチャしてしまう。
その光景を、夫は嫌気とともに眺めている。嫉妬しているというよりも、あきれている、という感じ。
そして年頃の娘ですが、そんな空気に嫌気がさしているのがわかります。
父親はもちろん、母親とも口をきかない。
学校では、モデルをやっていると自称する、美形の友人と仲良くしている。というか、明らかにモデルの子の方が立場が上。娘は彼女に対して受け身に徹しています。
この「モデルをやっている女友達」ですが、有名なアメリカの「スクールカースト」ではトップに位置していると思われます。
また、娘は自分の体に着いて悩んでいる。胸が小さいと思い込んで、豊胸手術をネットで調べるほど。
まあ、アメリカに限らず、世界のどこでもありがちと言えばありがちな家庭。
意識高い系の妻と、反抗期の不安定な娘という家族の中で、夫であり父親であるオッサンは、生きる目的を見失い、見失っていると考えることすらできなくなり、妻にも娘にもうっすら軽蔑されながら、ただひたすら退屈な毎日を過ごしている。
そんな日々の中、オッサンは妻に連れられて、嫌々ながらもチアガールの娘の試技を見るために、学校へと向かいます。
試合はハーフタイムとなり、娘の所属するチアガールの試技が始まりした。
ここでオッサンは、衝撃的な光景を目にしてしまうのです。
娘とつるんでいる「モデルの女友達」に、魅了されてしまったのです!
淡々と試技が行われているはずなのに、オッサンの目には、そのモデルの子が腰を振り、オッサンを誘惑しているように見えていました。そして、妄想の中で彼女が上着のチャックを下げ、今にも胸元が見えそう、というところで目が覚めました。
現実ではもちろん、チャックを開けるようなことはなく、健全な学生の演技が行われていたのだけど。
この演技だけで、40を超えていると思われるオッサンは、十代の娘の友人の女の子に恋をしてしまった!しかも「性的に」!!
それ以来、その子のことばかり考え始めたオッサン。
娘とその子のやり取りの中で、「筋肉質の男が好き」と聞くやいなや、筋トレを開始してしまったのです!
オッサンは、変わってしまった。
退屈な仕事を辞め、「最も責任の無い立場」を願ってハンバーガーショップのバイトになった。隣に越してきた娘の男友達の男子から薬物を買って、「嗜む」日々。
このモデルの女の子に一目ぼれしてからのオッサンは、180度変わってしまいました。それまで愚痴や皮肉、悪態をつくだけだったのに、筋トレを開始して「格好良くなろう」と決意した日から、無駄口をたたかず、物事をクールに進め始めたのです。
・・・・ここからはネタバレになっていくのだけど。
変わってしまったオッサンとともに、妻と娘の状況も変わり始めます。
妻は「不動産王」の男と不倫に走り、娘は好きな男の子(お隣さん)と恋に落ちてから、モデルの子(オッサンの片思いの相手)に従うことに疑問を持ち始める。恋人の男の子が、彼女自身を好きになってくれたことに、大きな自信を持ち始めていました。
一方で、モデルの子にはそれが気に入らない。自分のいうことを聞いてきた友人が、自分の側から離れようとしている。ついには友人カップルを非難してしまいますが、その時に男子から、「君は醜い」と言われてしまう。モデル雑誌の表紙を飾り、学校で最も美形と思ってた自分が、「醜い」と言われたことで、自信を失ってしまいます。
消沈したところに現れたのは、今ではマッチョになっていたオッサンでした。
オッサンは変わっていた。映画開始時の、オドオドして、怠惰な様子を漂わせていた「平凡な中年」ではありませんでした。
立派な筋肉とともに、意中の女の子を相手に、ひるむことなく優しく口説き始めたじゃないか!
「芸能界では当たり前」と周囲に、男との関係を自慢していたモデルの子は、本気のオッサンに明らかにおびえていつつも、逆らえない。
おいおい、10代の女の子に翻弄されていた「情けないオッサン」はどこにいったんだ!?
そして二人は、関係を結びそうになるのです。
で、この映画が撮影されたときって、女の子たちは何歳だったのだろうか?
というのも、このモデルの女の子と、娘の「10代の女の子」の裸の場面が出てくるんですよね。
管理人はこの映画を、20代の時に映画館で見たんだけど、あの時は「芸術のためなら十代の裸も許される」みたいな風潮があったと思う。
なんで裸にこだわるかというと(苦笑)、オッサンの心理描写のためには重要なものだったと思われるので。
雰囲気が盛り上がり、ついにオッサンはモデルの子をソファーに押し倒してしまいます。そして上着を脱がせて、彼女の上半身があらわに。その時、モデルの子は「私初めてなの」と告白します。
「嘘だろ?」と返すオッサン。
実は語っていた「経験」の数々は嘘で、モデルの子は未経験だったのでした。
露になっているモデルの子の上半身は子供そのもの。
むしろ、貧乳に悩んでいる娘の方が、彼女よりもグラマー(死後)だったのです。
彼女の言葉を聞き、彼女の裸を見て、我に返るオッサン。
そう、オッサンが恋した相手は、何もかもが未成熟な子供だったのです。しかも娘と同じ。
オッサンはロリコンではなかった。
我に返ったオッサンは、モデルの子に服をかけます。この状況に、むしろ自分が情けなくなったモデルの子は、自分を責めますが、オッサンは優しく慰めます。
その言葉は口説くためではなく、娘を諭すかのようなもの。
オッサンは娘のことを何も知らないことに気づき、モデルの子に娘のことを色々と聞き始めます。モデルの子もつきものが落ちたかのように「彼女は幸せよ。恋をしているの」と答えます。「そうか」と笑みをこぼすオッサン。
そして家族の写真を見て、素晴らしいものを発見したかのように満面の笑みを浮かべるオッサン。
そこで衝撃のラストを迎えます。
以上があらすじ。
途中で、女の子の裸を書くなど、気持ち悪く思った方もおられると思うけど、映画ではオッサンが何かに気が付くのに重要な要素になっていたので。
自分は決して道徳的なことを宣えるような人間じゃないんだけど、やっぱり子供は子供でしかない。恋愛の対象になるのか?まあ、管理人の趣味がそっちじゃないから、と言えるかもしれないけど。妄想の世界ならどうぞ、だけど、実際に実行するか?と。
で、この映画と「復讐」と何の関係が?と思った人も多いかと思うけど、女の子に一目ぼれしてからのオッサンの変わりようが、尋常ではなかったので。
まるで、それまであきらめていた人生を、取り戻そうとするかのように。
また、周囲が勝手に自分に着せた「キャラクター」から脱却しようとするかのように。
そう、「自分はこういう人間だ!」と勝手に決め込んでいた自分自身や周囲への「復讐」!
今、モチベーションを失いかけている人にお勧め。少しのことで自分も周囲も変わるかもね。まあ、何も変わらない管理人が言うのも「アレ」だけど。
・・・・・ほんとのことをいうと、フィギュアのスキャンダルを見て、この映画を思い出したの。