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パーマンをアホ真面目に考える

 

 *お知らせ

 今回の記事にて、藤子F不二夫氏の作品「中年サラリーマン左江内氏」について触れていますが、管理人が過去の記憶に頼って話しているため、詳細部分では異なっております。ご容赦・ご理解をいただいた上でお読みいただけましたら、幸いに思います

 

 

 

 先日、悲しいニュースがありました。

 

 藤子不二雄原作のアニメ「パーマン」の主人公の声を演じた三輪勝恵さんが、逝去されたとのこと。

 

 管理人世代にとって、日曜朝の藤子不二雄原作のアニメ番組を欠かさず見ていた、という方は珍しくないでしょう。

 

 ドラえもんハットリくんオバケのQ太郎パーマン等々。

 

 そう「ドラハッパ―」ですな。

 

 まさに藤子不二雄の黄金時代で、どの作品も子供の心を鷲掴みしてしまいました。

 

 管理人は「オバケのQ太郎」が大好きでね。

 日本漫画史上、最高の「愛すべきお人よし」と言えます。

 楽天的で感情的ながら、単純明快。笑いも怒りも悲しみも全てむき出し。

 でも、彼の周りには笑いが絶えません。

 現実に存在すれば、「天然」としてからかいの対象になるでしょう。

 

 でも思うんですけどね。

 

 自分は様々な「自称天才」にお会いしてきましたが、会話の多くが「自分は凄い!」というアピールで余念がなかったと思う。良い年齢になってもセンター試験を解いて、職員にアピールする人もいた。あんたの誇れるものは受験勉強だけかい、と陰で言われてるんだよね。

 

 その点、「天然」とされる人といると、おかしな警戒心を持たなくてもいい。下らないことで笑ったりしているものの、なんか人生が楽しそう。

 

 幸せな人生を歩んでいるのは、どっちなんでしょうかね。

 

 なんかQちゃんを見たくなりました。

 

 

 本題がそれてしまいましたが、パーマンも、オバQに次ぐ「気楽に読めるマンガ」ですね。

 

 オバQでは「人生の意味」を学びましたが(爆笑)、「パーマン」では「正義」が執行されます。

 

 主人公の須和みつおは、パーマンセットを手にした日から、人を助け、悪を懲らしめる「正義のヒーロー」の義務を課せられますが、日常はスーパーマンなどではなく、藤子漫画によく出てくるぐうたら小学生。

 「ザ・平凡」を地で行っています。

 仲間もおサルだったり、アイドルだったりしていますが、何よりも大阪在住の「パーやん」の存在が際立っていますね。

 

 彼はパーマンの力を使って、「パーやん運送」という会社を経営し、お金を稼いでいるではないか!

 

 皆さんは、これをどう思いますか?

 作中では「大阪人の商売根性」を理由に許されている形ですが、限られた人にしか与えられない力を使って、お金稼ぎをするとは!

 「正義」に反する行為ではないか!

 

 しかし、このパーやんの、ある意味で「現実的」な姿勢は、小学生ばかりのメンバーに「大人の視点」を与えています。パーやんだけは、どこか「ドシッと」構えていますよね。

 

 パーマンは小学生ながらも、「正義とは何か?」を問う話も出てきますし、子供ながらの「正義心」だけでは解決できないお話もあります。そういうとき、パーやんは必ず、他のメンバーと異なる意見を展開します。

 

 パーやんは、子供と大人の中間のような存在。

 

 しかし、彼は決して、「人とは何か?」「正義とは何か?」を達観しているわけではないのです。

 彼の視点や思考、行動の根本には「お金を稼ぐ」があるのです。

 作中でも、彼は「損得勘定」を会話に出してきます。

 

 これは純情無垢な小学生たち(そうだよね?)にとって、「正しいことを行うのにお金をもらうなんて!」という、スーパーヒーローへの疑問を抱かせてしまう。

 

 当時、小学生だった管理人世代にとって、パーやんとはどのような存在でしたか?

 

 

 この何とも言い難いパーやんですが、藤子不二雄F氏の他の作品にも登場します。

 

 

 1977年から78年まで連載された、藤本先生の「中年サラリーマン左江内氏」という作品にも登場します。

 

 主人公は、中年の平凡なサラリーマン。恐妻家で、高校生くらいの娘がいます。娘も妻に似ているため、左江内氏は家庭でも戦々恐々とする日々。

 

 典型的な日本人、なわけです。

 

 で、その左江内氏がある日、会社帰りに居酒屋によると、隣席の初老男性から「スーパーマンを変わってくれないか?」と頼まれ、当然の如く断ります。

 

 ここがパーマンとの違いですね。パーマンでは、みつ夫はバードマンという格好良いスーパーマンからパーマンに指名されますが、平凡な中年が主人公の同作品では、居酒屋で酒を飲みながら滔々と誘われるわけです。

 で、ひょんなことから引き受けることになる。しかも左江内氏が選ばれた理由というのが、小心者で悪いことができない極平均的な日本人、であるというのがミソ。

 アメリカのスーパーヒーロー作品などでは、主人公がスーパーパワーに気づく場面が、派手な演出などで描かれますが、藤子作品ではそんな場面はありません。

 

 で、スーパーマンになった左江内氏は、様々な事件を解決し、多くの人を助けますが、呼ばれるたびに上司の冷たい視線にビクビクせざるを得ません。

 

 そうやってスーパーマン家業を行っていたある日、一人の少年を助けます。少年はまだ小学校低学年くらい。しかし話を聞けば、学校が終わると夜中まで塾や習い事で一杯。当時、問題になっていた「受験戦争」の体現者だったのです!

 

 勉強付けの小学生に深く同情した左江内氏は、同時に保護者への怒りを覚え、その子の家に乗り込み、母親に少年の詰め込み教育をやめるように直談判するにいたります。

 

 母親を前に、「教育とは」を熱く語る左江内氏。

 その間、母親は静かに聞いているだけ。左江内氏が話し終えた段階で、母親が冷徹に質問をします。

 

 「もし、息子への教育をやめたとします。その場合、塾通いを続けていたら得られたであろう生涯収入を、あなたが代わりに補償してくれますか?」

 

 思わず絶句してしまう左江内氏。母親は畳みかけるように問い詰めてきます。

 

 「あなたの年収をお聞きしてよろしいですか?」

 

 左江内氏はスーパーマンではあるものの、平凡なサラリーマンに過ぎません。

 自分の年収を、母親にそっと耳打ちする左江内氏。それを聞いた母親は、

 

 「失礼ながら、その程度の年収では、息子の将来を語ることなどできないのではないですか?」

 

 と、冷たく言い放ちます。

 

 「完敗」してしまった左江内氏。何もできずに退散せざるを得ませんでした。

 

 その後、真夜中にその小学生の部屋の窓を叩いた左江内氏。スーパーマンの登場に、小学生は無邪気に大はしゃぎします。左江内氏は小学生を背中に乗せ、夜中の街並みを飛び回ります。

 スーパーマンの背中に乗った小学生は大喜び!

 興奮状態の子供を背にしながら、左江内氏は

「ごめんね、スーパーマンにできることなんて、こんなことしかないんだ」

 とつぶやきます。

 

 スーパーパワーを手に入れたところで、変えられないものもあることを悟り、また「正義の執行者」であったはずの自分が、母親から自分とは異なる「正義」を突き付けられたことで、スーパーマンであることに疑問を持ち始めます。

 

 そんなある日、事故にあった政治家を助けます。

 その政治家は野党の新進の若手で、与党の大物政治家の疑惑を晴らすべく、国会で厳しい追及をしている人物でした。

 

 「正義」の政治家は、左江内氏に自分自身の政治信条と、正義を追求する信念を熱く語ります。

 

 「スーパーマン」であることに迷いを感じていた左江内氏でしたが、その政治家の発言を聞いて、自分のスーパーパワーの使いみちの回答を得た気持ちになり、政治家に協力を申し出ます。

 

 その日から左江内氏は驚くべき行動力を発揮!仕事を抜ける際の上司の冷たい視線も、夜中に外出するなとうるさい妻の叱責も毅然と無視して、「悪玉」政治家の自宅を夜通し監視し始めます。

 それまで家庭生活や会社勤務の枠を超えることができなかった左江内氏でしたが、「社会のため」という大正義のもと、それらを投げうってでも「巨悪」に挑む覚悟を決めていたのです。

 

 監視して数日後、ついに悪玉政治家の「悪の現場」を目撃し、左江内氏は現場に突入します。

 あくどい顔をする悪玉政治家に対し、左江内氏は「なぜ、悪いことをするのか!」と強い調子で問い詰めます。

 

 すると悪玉政治家は、水戸黄門のように「申し訳ありませんでした」と弱弱しくスーパーマンにすがりつくようなことはせず、むしろ自分の考えを強弁しはじめます。

 

 「不法をしてまで行おうをしている事業は、必ず国の将来のためになる。現代で割る者にされようとも、後世で「素晴らしいことをしてくれた」と評価されれば、それこそ自分の本懐だ」

 

 この言葉に左江内氏は、ひどく動揺します。

 

 俗に「一人殺せば殺人者、万人殺せば英雄」という皮肉がありますが、これは事実。

 現代では英雄視されている織田信長も、多くの人を殺していますし。

 

 中国の南北を貫く運河も、当時の皇帝が強権を発動し、多くの人々の命の犠牲を払って完工しました。その運河は、その後の中国に大きな恩恵を残しているのも事実です。

 

 こう考えると、「正義」の定義は非常に難しい。与党と野党という立場でも異なるし、スーパーマンと子供の母親でも異なる。そして「後世の評価」も入るとなると、時間軸も考えなければならない。

 

 「悪玉」と思っていた政治家の言葉に、左江内氏は打ちのめされてしまいます。

 

 左江内氏は、平凡なサラリーマンです。会社と家庭だけが、彼のすべてでした。しかしスーパーマンになってしまったことで、普通に生きていれば接することのなかったであろう「正義」に触れてしまった。

 

 しかし左江内氏は、揺れる自身の心にトドメを刺すかのような「現場」を目撃してしまいます。

 

 ある一室で、悪玉政治家と「正義」の野党政治家が、密会をしているではないですか!

 

 悪玉政治家は、正義の志士に向かって、「疑惑追及をやめてくれ」と、談合を持ち掛けます。すると正義の政治家は「しかし、ここまで派手にふるまった以上、自分も周囲を説得するのが難しい」と発言。それに対し悪玉政治家は「その際の償いはさせていただく」と、金を示している。

 

 左江内氏が信じていた「正義」と「悪」が結託しているじゃないか!

 

 これを見て怒りが爆発した左江内氏は、密会現場の建物ごと持ち上げて、どこかに放置してしまいます。そして「何が起こったのか?」と動揺する「悪」と「正義」を残して、飛び去っていきます。

 

 もはや何を信じればよいのか、わからなくなった左江内氏。

 

 脱力したまま無気力で飛行し続けます。

 

 すると、彼方から空を飛んでいる人が近づいてきた!

 それは荷物を輸送中のパーやんでした。

 

 パーやんを見て「人が空を飛んでいる!」と驚愕する左江内氏。その反応にパーやんはいつもの落ち着きと共に、「あんただって飛んでるやん」と冷静な突っ込みを入れます。

 

 意気投合した二人は会話をはじめ、左江内氏はこれまでの出来事を話します。

 

 それに対し、パーやんは、「そんなの当たり前だ。人それぞれ正義があるのに」と諭します。

 左江内氏はそれを聞き、落胆はしますが、受け入れてもいました。

 

 落ち込む左江内氏を見てパーやんは、「いい仕事がありまっせ」と、スーパーパワーを利用してお金を稼ぐことを勧め、その話を左江内氏も聞く、という場面で作品は完結しました。

 

 この左江内氏の作品を見てから、パーやんの行動を見ると、どう見えますか?

 

 子ども向けのパーマンの視線では、「正義」を執行すればよいだけ。むしろスーパーパワーでお金を稼ぐことを、「悪いこと」ととらえがち。

 

 しかし、中年の視点で世間を見てみると、違ってくる。正義を執行することで、誰かの「正義」が踏みにじられるかもしれないし、状況が変われば正義と悪が混じることもある。

 正直言って、とてもじゃないけど「やってられない」ですよね。

 

 その矛盾を埋めるのは「報酬」。

 

 パーやんも左江内氏も、パンピーじゃできない社会貢献を無料でしているのだから、対価があってもいいし、むしろないとやってられない。

 

 そう、これこそ「社会」というもの。

 

 アメリカのヒーロー作品なら、ヒーローには格好のよい結末が用意されていますが、なぜか日本のヒーローものは、葛藤することが多い。日本人はなぜ、そんなに自問自答したいのか?

 

 多くの作品では、その自問自答に対する「回答」を用意していないけど、藤子不二雄は「パーやん」という回答を用意していました。

 

 パーやん、というのは、実に不思議な存在です。

 

 彼が人生の徳を積んで、その考えを手に入れたわけではなく、あくまでも基本は損得勘定。

 

 最も私欲むき出しのはずなのに、実は最も公平公正な判断基準だったとは。

 

 若い人に言えるのは、社会に出たら、働いて給料をもらって、納税することこそ「絶対正義」。