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石水氏、死去。

 これまで、縁もゆかりもない人のことについて記事を書くことは、極力、避けてきました。

 

 ただ、先日、亡くなった石屋製菓の石水氏については、どうしても書きたくなりまして。

 

 石屋製菓の石水氏と言えば、「白い恋人」を全国ブランドにして、「北海道と言えば白い恋人」という認識まで植え付けてしまいました。しかもほぼ一代で。

 

 昭和後期のバブル時代を経て平成に入り、「一代で会社を大きくした」とカリスマ経営者の立身出世譚が、都市伝説になりつつある昨今。

 現在、存在する大企業の多くが昭和初期の戦後直後に発展したものばかり。

 IT企業が出ては消える、を繰り返す中、現代ではアメリカンドリームのような一代記は不可能、と言う空気が大勢になりつつあります。

 

 それは自分の若いころも同じ。いや、むしろ自分の若いころのほうがそういう空気が強かったような気がします。

 

 自分の学生時代はバブルがはじけた直後。

 

 日本中の誰もが、日本の将来について悲観的なことばかり語っていました。

 

 ましてや北海道は、拓銀の破綻で悲惨な状況に。

 

 道内の企業がバタバタと倒産し、テレビでは超氷河期時代の就職状況に関してのニュースばかり。

 

 そんな時だったんですよね。

 

 コンサドーレができたのは。

 

 石水氏の功績として、氏が中心となってコンサドーレを誘致・誕生させた、ということが報道されていますが、それだけでは説明が足りません。

 

 どの企業も事業を縮小、もしくは倒産させている暗い空気の中で、北海道に初めてのプロスポーツチームを誕生させたのです。

 

 自分はプロ野球ファンでしたが、「地元にプロスポーツチームができた!」と言うこと自体がとてもうれしく、サッカーに詳しくなくてもコンサドーレに注目しました。

 

 あの時、Jリーグも苦境を迎えていて、フリューゲルスが消滅したり、ベルマーレも親会社が撤退する、などの大事件が頻発し、プロ野球も「1リーグ構想」が実現間際になったりと、プロスポーツ自体も「お荷物」とされていました。

 

 あの当時の世相って、不思議だったね。それまでテレビや雑誌で「株買え!土地買え!」って言ってた人たちが、いきなり「これからは大変な時代だ」「日本はダメになる」って言い出したの。しかも「自分は前からこうなることがわかっていた」って感じで。

 あのわかりやすい変節を見て以来、経済評論家って人たちを信じていません。でも、今はしっかりしたことを言っている方も増えてきたので、一概にひとくくりにしては失礼なんですが。

 

 話がそれらけど、あの圧倒的に「衰退」へと向かう空気の中で、石水社長は北海道にプロスポーツチームを作ってくれたのです。

 

 その後も石水氏は、あの状況で事業を拡大していきました。

 

 チョコレートファクトリーの横に、コンサドーレ専用の練習場も作ってしまいました。

 見たことありますか?とてもオシャレな練習場。冬でも芝の上で練習ができるようになっている、とのこと。

 そんなお金を費やして、全国人気とは言えないチームの練習場を作ってしまう、というだけで驚きでした。

 

 しかもその後、チョコレートファクトリーの横に西洋の街並みを意識した大きなテーマパークも作ってしまう。

 

 そして21世紀以降もどんどん拡大させていきました。

 

 白い恋人パークの上の階にカフェがあるので行ってみてください。そこでスイーツを食べながら、目の前のコンサドーレ専用練習場を眺めてみてください。

 

 これ、個人の夢を実現させたんだ、と思うと、本当にすごいなあ、と。

 

 自分の好きな建物を作って、自分のプロチームを作って、自分専用の練習場を作って、それを眺める。

 

 サッカーチームを作るゲーム、と地で行くような感じ。

 

 サッカー場もテーマパークも、見ようによってはおもちゃでできているかのよう。

 

 バブル崩壊直後、バブルで踊った人たちはお金持ちを見ると、「贅沢している!」とむしろ批判を集中させていました。

 でも、石水氏は、あの時、北海道の若者に夢を見せていたようにも思えて。

 

 「金を稼いで、自分の夢を実現させろ」と。

 

 「金を稼いで」も、アコギな商売やネットワークビジネス、今はやりのネットのビジネスなどの眉唾なものではなく、美味しいお菓子を作って売る、というもの。

 

 北海道には「ボーイズビー アンビシャス」なんて言葉がありますが、それを体現してみせたような気がします

 

 しかも戦後の上昇期ではなく、人々が希望を持てなかったバブル崩壊後に。

 

 夢の体現者として、遠い存在ながらも尊敬していました。