ここまでベンゲル監督の著作を見てみると、その中身も実に「読ませる」内容になっていることがわかります。
章立てでいろいろなことが話されているのですが、章の開始は軽い話題から入り、徐々に確信にせまり、そして章の終わりの結論は、極めて論理的で無駄の無い言葉運びのため、見ている側は各章の終わりに至ると読む速度が加速し、一気に最後まで読んでしまいます。
それは、一冊の本を通しても当てはまります。本の終盤に至るにつれ読書スピードの加速度が増します。話はいよいよクライマックスへ。彼が最も言いたかったこととはなんなのでしょうか?
ベンゲル監督は、ワールドカップでの日本の戦いぶりや、ブラジル、イタリアなどの代表の印象などを語りました。
その上で日本代表の強化のためにいくつかの意見を提示しています。
そのうちの一つをご紹介。
「こうして日本のワールドカップでの戦いぶりを振り返ってみると、今回のチームがさまざまな点で日本サッカー全体の特長と課題を象徴していたことがわかる。
あらためて整理してみよう。
まず日本代表は日本のサッカーそのものをプレーしてみせ、それは見る人に好印象を与えた。このことは日本のサッカーが正しい方向に向かっていることの証明であり、それはまた世界のサッカーの潮流とも一致しているという事だ(注 あくまでもフランス大会終了後の話)。これで満足していいというわけではないが、3敗という結果をもって悲観的になる必要はない。結果よりも内容を見るべきだと思う。
だが試合には勝つことができなかったのは事実であり、今後の課題でもある。
そして敗因を分析すると、やはり攻撃力に行き着く。日本の弱点は創造性に欠けること、不測の事態に対応できないこと、そして攻撃の質に問題があること、などにある。そしてこれらの弱点は、相手ゴールから25メートル以内に入ると特に目立つようになる。攻撃の質の問題とは、主としてテクニックの問題である。」
「徹底した戦術や組織立った戦い方は日本の長所であり、とくにそれは守備面で発揮された。個人技よりも組織と運動量を優先させた戦い方は間違っていない。ただしサッカーとは最後は1対1の戦いなのであり、これを避けることはできない。日本の攻撃陣はこの戦いを避けていた。そして日本の場合、1対1の戦いに弱いというのは必ずしもフィジカルの弱さからくるものではない。ここでも問題はフィジカルよりもテクニックにある」
こうして日本の弱点の本質をむき出しにしたうえで、ここから、彼が言いたかった大事なことの一つ目が語られます。
「これは他のスポーツにもいえることだが、私は選手の技術が向上するということは、個人の自己実現を伸ばすことだと思っている。
サッカーにおけるテクニックとは、作家の持つボキャブラリーに似ている。ボキャブラリーが豊富だからといって作家としての才能があるとはいえないが、ボキャブラリーが少なければ優れた小説を書けるわけがない。テクニックも同じことだ。
まず重要なのは、選手たちに価値ある技術を植え付けていくことだ。選手のボキャブラリーを増やしてあげることだ。実用的なボキャブラリーを増やしていけば、選手は思い通りに自己実現をするようになるはずだ。」
管理人が最初にここを読んだ時、「ボキャブラリー」の意味が分かりませんでした。でも、あらためて読んでみたとき、「ボキャブラリー」を「引き出し」に変えてみたところ、納得できました。
「引き出し」が多くなれば、それだけ色々な場面に対応できるようになるし、自分の「伸びしろ」を広げることになり、自分オリジナルの表現方法が確立されやすい、ということでしょうか。
そしてベンゲルは日本の課題の一つに、「コンプレックスの払しょく」をあげます。
「新しい日本代表が選手の質の向上に成功したら、次に必要なのはチームの目標を定め、自分たちがこれをベースにすればこのようなプレーができるのだというような、もっと自信をつけさせるプレースタイルを確立していくことだ。
そういうことが2,3年という短い間にできるのかと疑問に思う人もいるかもしれない。私はできると思う。私はできる事しか提案しない。私は日本のサッカーの基本的な部分の価値を信頼している。
ある意味ではそういう疑問が生じること自体が、日本人のコンプレックスを物語っているといえるかもしれない。」
これは正鵠を射ていますね。日本は「外国」への距離を意識しすぎているのかもしれません。
そして、その「日本人のコンプレックスを解消しようと、ベンゲル監督は雄弁に語り始めます。
「今回のワールドカップ(1998年フランス大会。フランスが優勝)で、もしフランスが、自分たちは100年に及ぶサッカーの伝統がありながら、これまで優勝することができなかったのだから、きっと今回も優勝するはずがないと思っていたら、果たして優勝することができただろうか。彼らは優勝したことがなくても勝者のエスプリを持っており、勝てると信じていたから、チャンピオンになったのだと思う。
勝者のエスプリを備えていて、自分を固く信じていれば、勝てるチャンスは必ず巡ってくる。ワールドカップのような大会が自分たちに巡ってくるのをただ待っていて、勝てたら勝者のエスプリが持てるようになるだろうと考えてしまうこと自体、正しい論理とは言えない。
負けるのではないかと心配する以前に、まず勝者のエスプリを身に付けることの方が先決であるのは明らかだ。
イワン・レンドルはテニスの四大トーナメントの決勝で5回敗れながら、やっと初優勝を果たした。誰にだって人生で初めてのことはあるし、初めての勝利はある。(中略)
アーセナルにしても、リーグ優勝などできるはずがないと誰もが思っていたが、勝てると信じ込むことで勝者のエスプリを持てるのだと、私は選手たちに言い聞かせた。勝ちたいと思ったら勝てるのだと言い続けた。そして勝ちたいと思ったら、そのためのあらゆることをやってみる。」
そしていよいよベンゲルの伝えたかったことが語られます。
「自分は勝てるのだろうかと自問するのではない。あらゆることをやってみて、そのひとつひとつが自分を勝利に導くのだと自分に言い聞かせる。そして勝てる可能性が生まれる。
日々の小さな積み重ねから勝利のチャンスは生まれる。日常の小さな努力のひとつひとつが勝利につながる。そうした積み重ねのなかで、勝者のエスプリは養われていくものなのだ。」
そして、自身の心構えについても言及します。
「サッカーのチームで選手たちにその気持ちを持たせようとするなら、まずは監督本人がそのことを自分自身で信じている必要がある。
コミュニケーションは言葉による表現と、無言のうちに伝わってしまう表現がある。口で言うことはある程度ごまかしもきくが、無言のコミュニケーションはごまかせない。
私が自分のチームに「君たちは勝てるんだよ、絶対に勝てるんだよ」といくら口で言ったとしても、心の底で100%勝てると信じていなければ、それは私の態度、ボディーランゲージを通じて、周囲の人々に無意識のうちに伝わってしまう。
選手に「君たちは最高のチームだ」といくら口で言っても、私の身体や神経が言っていることと裏腹であったなら、つまり全面的に選手を信頼していなければ、選手はそれを敏感に感じ取ってしまう。
自分の目の前にいる相手をごまかすなど不可能だ。だから私は心の底から、自分の言葉と自分のやっていることに納得している必要がある。
私はシーズン前、まずチームへの対応の仕方を明確にした上で、自分の思っているサッカーをチームが可能にしてくれることを心の底から信じるようにしている。(以下略)」
そして彼が何より伝えたかったこと。
「だがいつだって、ここまでやれば絶対勝てるという保証などない。勝ち残るチームは皆、同じような信念と同じような意欲、それに同じような自信を持っているからだ。
勝ったことのない者がどうやって自信を持てるのか。
勝てるチャンスはあると信じる姿勢があり、そのためにあらゆる取り組みを実際に行い、そこで初めて本当に勝てるチャンスがやってくるのだ。
勝ったことがあるから勝者のエスプリを持てるわけではない。勝ったこともないのに、どうして勝者のエスプリを持てるかなどというのは発想が逆だ。勝つためにこそ、勝者のエスプリは必要なのだ。
勝者とは必ずしも試合に勝つ者を意味しているわけではない。困難に打ち勝った者、征服した者のことなのだ。
大きなサクセスストーリーと身近に接していると、その裏には必ず同じだけの失敗があることに気が付く。表面に表れるのは成功だけかもしれないが、成功している人ほど、同じだけの失敗をしているものだ。
カメラを発明した人も、ある朝目覚めて、突然今日こそ征服してやろうと思い立ったわけではなく、さまざまな失敗を繰り返し、その失敗から学び、その積み重ねのなかからなんとかカメラを発明できたのだ。だがその心の底にはきっと、成功に対する確信があったはずだ。
それが勝者のエスプリというものだ」
以上がアーセン・ベンゲル氏の著作「勝者のヴィジョン」からの抜粋。
最後に必要なのは「勝者のエスプリ」。すなわち「魂」!
フランス語で「エスプリ」、日本語で「大和魂」と、それぞれ表す言葉があるように、各国でも表現する言葉があると思います。
自信があるか無いか、ではない!それぞれの国・民族の根底にある魂を見せてくれ!
そして、この5年間の成果を出し切ってくれ!!!
追記
文中の表現
「しかし私は結果よりもプレーの内容を重視すべきだと考えている。その結果ではなく内容をもってして、世界には少なからず日本サッカーの理解者が生まれた。」
というのが、なんだか心に残りました。
コロナの不安の中、無観客で行われることになった今回の日本でのオリンピック。
「がっかり感」は否めませんが、まだオリンピックは終わっていません。
世界に「何か」を発信できればいいですね。