ついに完結した「麒麟が来る」。
最終回は、これまでのどの大河よりも見ごたえのある「本能寺の変」でした。
昨年末だったかな?今年の大河は本能寺で終わる、と聞き、少しがっかりしてしまった。
なんせ「本能寺後」、光秀の人生は激しく動きましたので。
でも、他の方の批評にある通り、今回の「本能寺」を見て、なぜ信長の死をもって終わるのか、わかったように思います。
大河ドラマというと、その人の一生がロングランで描かれるもの、というのが普通の考えと思います。
多くの大河の最終回は、主人公が大業を成し遂げ、自らが築いたものが安泰となった状況で、安らかに眠る、というもの。
主人公が臨終に臨み、目をつむるシーンをもって、視聴者も一年間にわたる絵巻の完結を見届けた気持ちになります。
ところが今年は違った。
今年は主人公の死の瞬間が描かれなかった!
むしろ信長の死にざまに長い時間が割かれていました。
明智光秀の名前を知っている日本人は多いはず。
歴史好きならいざ知らず、歴史に興味のないという人でも聞いたことはあると思います。
しかしそれは明智光秀という人物の功績のために高いのではなく、「本能寺の変を起こした人」であるから、ではないでしょうか?
「本能寺の変」という、日本史上でも屈指の歴史事件に付随する形で記憶している人が多いのでは?
日本史には大きな「事件」があります。
そして、その「事件」の首謀者、関係者であったというだけで、小学校の歴史の教科書にも名前が乗る人の方が多い。
一生涯をかけて大きな功績を残した人物の方が、むしろ希少。だから近年、大河ドラマの主人公選びが大変なんだけど・・・・・。
それはさておき。
しかし、日本史で重要なのはむしろ「事件」です。
その「事件」をきっかけに、その後の歴史が大きく変わったということが多くあります。
まさに日本史にとっての「ターニングポイント」。
「本能寺の変」は、日本史でも重要な「ターニングポイント」です。
本能寺の変後、政権の行方は目まぐるしく変わりますし、「統一」へと急速に向かっていきます。
まさに本能寺の変が起こした変化です。
一方で、ターニングポイントであるだけに、「もし本能寺の変が起きなければどうなっていたのか?」という想像もできる。
信長が天下を統一していたのか?統一後、中国へと進出したのか?妄想の域だけど、非常に興味を掻き立てられます。実際に漫画や小説のネタになってるし。
その歴史的大事件は、なぜ起こったのか?
「本能寺の変」こそ、今年の大河の主人公であったのかもしれません。
そしてその理由を探るには、当事者の明智光秀がどのように生きていたのかを追うことが、最も重要。
ある意味、忠臣蔵の討ち入りまでの過程を見てきたのと同じかもしれない。結末がわかっているけど、どのようにしてそこに至ったのか。これも興味深い視点ですね。
光秀は本能寺後もわずかながらも生きましたが、結果的には、彼の歴史での使命は本能寺で終わりました。
しかし、本能寺によって、その後の日本史は大きく変わった。
今回の大河を見て、歴史に名を残す人物が事件を起こした、のではなく、歴史が人を動かして事件を起こさせたのではないか、とも思ってしまいました。
これからも、歴史事件が主人公の大河ドラマがあっても面白い、と思いました。