本日の読売新聞にアメリカのフェイスブックが中心となって計画している仮想通貨「リブラ」について、マスターカードやビザなどの国際的なクレジットカード会社が参加を見送る方針を表明した、とのこと。
これは、一見、自分たちとは遠いところの話のように思えて、実は身近なニュースじゃないかと思います。
リブラについて、あまり詳しくなかったのですが、例えばフェイスブック内で市場などを作って、その取引をリブラで行う、という形であるならば、話は単純ではなくなってきます。
リブラについて、各国政府が金融ルールの複雑化やマネーロンダリングに利用される可能性を指摘しています。
お金の不正に利用されるとなると、やはり看過できません。
それ以外でも、仮想通貨は各国の現状の経済ルールをゆがめてしまう可能性があります。
ここで、通貨について考えて見ますが、なんで日本では日本円が使用されているのか?日本だから、と答えられると終わってしまいますが。
通貨は、結局は、中心となる市場の存在が必要となります。
大根を作っている人がいます。
彼の家には大根がたくさんありますが、大根だけでは生活できませんよね。
なので大根を他の何かと交換して、必要なものを手に入れます。
市場は様々なモノや人が集まる場。
ここで大根と何かを交換します。
でも、例えば大根とトマトなら、大根〇個とトマト〇個を交換、と、お互いの価値である程度話がまとまりやすいですが、大根をダイヤモンドに交換する、となると容易ではありません。果たして、何個の大根を集めれば、ダイヤモンドと交換できるでしょうか?
このように、異なるものを測る物差しとして通貨が使われるようになります。
で、通貨を発行するのは、モノが売買される市場の責任者。市場での取り扱いの品の量と種類が豊富になるほど通貨が必要とされます。
そして市場での取引が大きくなると、より遠いところからもその市場にモノを売るために人や物資が集まってくる。
そうやって少しづつ、市場の影響の規模が大きくなっていきます。
ただ、規模が大きくなるとそれを維持するためにお金が必要になります。そのために税金のようなものを徴収することになります。
また、取引にはトラブルがつきもの。そのため市場責任者はルールを作って違反したものを罰したりします。
そう、これが「政府」の原型だと思うんですよね。
各国には通貨が存在していますが、それは各国内の人口の大きさにもかかわってきますし、「市場」言い換えれば「大都市」の大きさにもよると思います。
日本円の信用が高いのは、1億2千万人という国内人口が多いことはもちろん、東京という世界的に見ても巨大な「市場」があるため。
国内で生産したものを、国内で消費できる。この循環ができているからこそ、信用も得られる。
シンガポールは国際的な市場ではありますが、国内生産ができないため、物資の調達は外国頼みになってしまうし、逆にニュージーランドは生産力は高いけど大きな市場を国内に持たないため、外国の市場を頼りにすることになります。
そして通貨を発行するものがルールを作ることができるため、国境線で独立している国同士でも、経済では他国の影響下、他国の「市場」のルールの影響を受ける、という事態になってしまいます。
かなり端折って話していますけどね。
これまでの取引は、具体的に人が多い「市場」で行われていましたが、インターネットの普及によって情勢が変化しています。
ネット取引の増大は、ネットに各国の「都市」に匹敵する「市場」が生まれた、ということも意味しています。
もし、フェイスブックが通貨を発行し、フェイスブックでの取引はリブラでしか認めない、となるとどうなるでしょうか?
人々は国境線に関係なく、リブラを使用するようになれば、市場運営者であるフェイスブックの定めたルール、税金に従う必要が出てきますし、日用品などもフェイスブックで購入するまでに普及すれば、お店での日本円での取引が少なくなってしまい、日本円の存在価値も低下してしまうかもしれない。
日常的にリブラが使用されるようになれば、給料もリブラで支給されるようになるかもしれない。
ネット取引の浸透は、これまでの人類史上の「通貨」に関する概念を変えてしまう可能性があります。
その意味では産業革命に匹敵するインパクトとなるかもしれない。
各国政府が危惧するのは、リブラを用いたフェイスブックの影響力の増大と、自国通貨の存在価値の低下です。
この辺りはもっと語りたいことがあるので、今後、エゾエクスプローラーでお話ししようと思います。