昨夜、大きなニュースが飛び込んできましたね。
日本人の吉野彰氏が、ノーベル化学賞を受賞した、とのこと!
いやあ、とてもうれしいニュースですね!!
吉野氏が発明したリチウムイオン電池は、軽量かつ高出力で、充電して繰り返し使用できるとのこと。
この技術があったからこそ、携帯電話も実現した、とのこと。
なるほどねえ!
今では当たり前になった携帯電話、スマートホンですが、自分の幼少期には考えることができず、鉄腕アトムとかハリウッドのSF映画で登場する「未来の夢のアイテム」でしかありませんでした。
平野ノラの「携帯電話」を見ましたよね?
あれだってかなり「画期的」なことだったんですけどね。
携帯電話、スマホの登場は、人々の生活を根底から変えてしまいました。
今では通話だけではなく、ネット閲覧を通して情報収集、各種手続き、支払い、教育などもできるようになりました。
人々の生活スタイルを変えたことは、産業革命にも匹敵する「革命」だと思います。
その革命を起こした発端の人々の中に、日本人も含まれていたことが、とてもうれしい!
吉野さん、関係の方々、心よりお礼申し上げます。
追記
こういう日本人の快挙のニュースが広まり、ネットなどで「おめでとう!」という声が高まるとかならず、「お前が受賞したわけではない」「お前が凄いわけではない」などという言葉が出てきます。
受賞したのは吉野氏で、吉野氏が素晴らしい才能を持っていたのは紛れもない事実です。そして自分たちと吉野氏を同一視していないのも、当たり前な事実。
なんでこんなことを、イチイチ口にしないといけないのだろうか?
でも、同じ日本人として、うれしくなる気持ちや、日本人であることを誇らしく思う気持ちも出てきます。
この気持ちは間違っているのだろうか?
甲子園で地元のチームを応援してしまう気持ち、とそんなに違いはないかもしれない。
皮肉や嫌味を言うのは、「意識が低い」のではなく、単なる嫌な性格というだけ。
やはり心から、吉野氏の受賞をお祝いいたします。